本日は、「御生誕祭並びにイエス聖誕祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 明主様は、キリスト教と呼応して人類の救いを成し遂げていくと明言されました。 その明主様とイエス・キリストのお二人の聖誕を、本日、世界中の信徒の皆様とご一緒にお祝い申し上げることができますことを、大変嬉しく思っております。 明主様は、今から141年前、明治15(1882)年12月23日、この世に生をお享けになりました。 明主様は、ご自身がこの世にお生まれになったことについて、次のような御歌をお詠みになりました。 「吾もしも生れざりせば人の世はやがて潰えなむとふと思ひける」 明主様は、もしもご自身が世に生まれなかったならば、やがて人間世界は滅びてしまうだろう、というご心境に至られました。 明主様がここで仰せの「吾」は、明主様の中におられる唯一の神・主神のことでもあると思います。 その主神が、明主様の「吾」という言葉、「吾」という思いをお使いになって、滅びゆく私ども人類を救うために、神様ご自身が世に来てくださった、すなわち、明主様のお心の中に、全ての人の心の中に来てくださったことを、私どもに気づかせようとしておられると思います。 私どもは、神様の永遠の生命を自分の限りある生命とし、神様がお持ちの魂を自分の魂としたために、神様から離れ、死と滅びの世界におりました。 そうした私ども人類を神様は顧みてくださったのです。 神様は、ご自身の大切なイエスを、ご自身に代わる者として、世にお遣わしになり、十字架に上げ、私どもの罪の贖いとして、その血汐を捧げさせられました。 神様は、その血汐をお受け取りになり、私ども人類に赦しをお与えくださいました。 神様は、私どもを赦すために、そこまでされなければならなかったのです。 何と大きく深い神様の愛なのでしょう。 明主様は、イエスの御血汐による贖いがあればこそ、人類は罪無き者となり、死と滅びの世界から解放されたことを感じ取られ、この計り知れない恵みをお与えくださった神様に心を向けるようにと、私どもを促しておられるように思います。 私どもは、自らの中におられる神様に対し、大きな愛をもって私ども人類を顧みてくださったことに感謝申し上げるとともに、その神様が今、私どものすべてを掌握し、治めてくださっていることを認めさせていただいたほうがよいと思います。 明主様は、神様が絶対的な権威をもって救いのみ業を成し遂げておられる、その神様がご自身の中におられるというご自覚をお持ちであられた一方、その神様に対してご自身は、あくまでもお仕えするお立場であられ、そこに喜びを見出しておられたことを、次のような御歌を通してもお示しくださっています。 「数ならぬ身にしあれども御心のままに召さしめ給へと祈るも」 「数ならぬ身にしあれども御業の端になりとも加へさせたまへ」 「例しなき神業に仕へ奉るこそ人と生れし此世なき幸なる」 神様にお仕えするために、私どもは世にいるのです。 神様は、私ども一人ひとりを通して現れようとしておられます。 神様が現れること、すなわち、神様がご自身の子をお生みになることは、神様の創造の目的であります。 この創造の目的は、イエスが「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(「ヨハネによる福音書」第3章3節)と説かれたことによっても明らかであります。 そして、イエスは、十字架上で死を遂げた後、死の世界から甦り、キリスト、すなわちメシアとして復活し、神様の創造の目的を成し遂げられました。 その二千年後、世にお生まれになった明主様は、メシアの御名とイエスの血汐をお受けになり、罪赦された者としてご自身を神様に捧げられ、メシアとして新しくお生まれになりました。 明主様も、イエスと同様、ご自身の中で神様の創造の目的を成し遂げられたのです。 神様は、イエスのみを神の子たるメシアとするのではなく、明主様をメシアとすることによって、全人類をメシアとするという創造の目的を私どもに思い出させてくださろうとしておられます。 私どもは、天国において、この創造の目的をお受けしていたのです。 人類の誰もがメシアとして新しく生まれることができるのです。否、新しく生まれなければならないのです。 このように、明主様とイエスとは、メシアの御名と共なる神のもとにあって、密接な関係にあります。 それだけではなく、明主様の信徒である私どもも、イエスと深い関係にあり、また、その弟子の方々とも深い関係にあるのです。 明主様と私ども信徒も、イエスとその弟子の方々も、共に創造の始まりの天国において神様にお仕えしておりました。 そして二千年前、イエスの弟子の方々は、私どもより先に、イエスと共に地上に降ろされ、あらゆる苦しみや困難を乗り越え、イエスによる新しい段階の創造のみ業を宣べ伝えると同時に、イエスと共に贖いのみ業にお仕えになりました。 その時天国にいた私どもは、地上においてお働きくださっているイエスとその弟子の方々と共に、神様にお仕えしていたのです。そして、共に神様に栄光を帰させていただいていたのです。 二千年後の今、今度は私どもが地上に降ろされ、メシアの御名とイエスの御血汐を、明主様と共にお受けし、イエスの弟子の方々と共に、全く新しい救いのみ業にお仕えさせていただいているのです。 イエスとその弟子の方々は、始めの教会として、人類に真の救いをもたらすための礎となられ、今地上に降ろされている私どもは、終わりの教会としての御用を担わせていただいているのです。 神様は、始めの教会の方々と終わりの教会の私どもとを、一体のものとしてお使いくださっているのです。 そのことを私どもは、今、認めるとともに、〝終わりの教会である私どもが天国に立ち返って、始めの教会の方々と共に、メシアの御名にある一つ教会として、創造のみ業の成就のためにお仕えさせていただきます〟と神様に申し上げるべきではないでしょうか。 天国は、神様にとって、そして、私どもにとって、最も大切なところであります。 なぜならば、天国は、神様が私どもを生んでくださったところであるからです。 神様は、創造の始まりの天国において、私どもにご自身の生命と魂を託してくださいました。 その天国が私ども一人ひとりの中に存在しているのです。 天国あっての私どもであります。 神様は、全人類に対し、自分が元々天国に生まれ、天国にいたことを思い出してほしい、そして今も、その天国が自分の中にあることを認めてほしい、と願っておられます。 その神様の思いを明主様は継承されて、人々が自らの中に存在する天国を思い出し、その天国に少しでも心を向けることができるようにと、天国の写しとして、地上の聖地のご造営に熱い情熱を注がれました。 その尊いみ心と情熱にお応えし、私ども明主様の信徒一同、自らがメシアの御名の教会の聖徒であるとの自覚をもって、天国の写しとしての「メシア聖堂」の建設に向けて一丸となって精一杯努めさせていただきたいと思います。 そして、一人ひとりの内にメシア降誕を成し遂げるという祝福が、あらかじめ天国で成し遂げられていたことに感謝し、その祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちにお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 終わりに、本年一年、神の聖徒として、明主様とイエス・キリストを通して賜る真の救いを、多くの方々と分かち合う御用に励んでくださった皆様に感謝申し上げますとともに、まもなく迎える新しい年が、皆様にとりまして、光と希望に満ちた前進の年でありますようお祈りいたしております。 ありがとうございました。