本日は、「世界メシア教 秋季大祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「ホテルニューオータニ大阪」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「ホテルニューオータニ大阪」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 私どもは、普段、特に意識をせずに言葉を使わせていただいておりますが、言葉は、私どものものではなく、神様のものであります。 明主様は、「言霊神也」という御書をご揮毫になりました。 そして、言葉について、「それを発する根本は言葉によって表現せんとする想念である」とお述べになりました。 また、聖書には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(「ヨハネによる福音書」第1章1節~3節)と記されております。 言葉と申しましても、それは意識であり、想念、思いであります。 言葉には必ず思いが伴い、思いには必ず言葉が伴います。 私どもは、そして、すべてのものは、神の言葉、すなわち、神の思いによって創造されたのであります。 私どもの意識の中心には、神様の思いがあります。 神様は、私どもと融合し、私どもと思いを通わせ、私どもをご自身の思いを継承する子ども、すなわち、メシアとしてくださろうとしておられます。 神様は、私どもが神の思いを認知し、理解して、成長することができるように、ご自身の思いを言葉を通して表現してくださっています。 しかしながら、人は、この世に生まれ、自我意識を持たされることによって、言葉、思いを自分のものとするようになりました。 自と他とを明確に区別し、自分が他人よりも優った者でありたい、高く評価されたいという優越性を追求するようになりました。 自分の好みや善悪の尺度を持ち、それらを自分のものとしてしっかりと抱きかかえて生きているために、喜びや楽しみだけではなく、悲しみや怒り、また、様々な不安や心配が心を覆うようになりました。 私どもは、知らず識らず、神様を疎んじ、神様よりも優った者のようになり、神様の思いに心を向けようとするよりも、自分にとって都合のよい神様を思い描きながら、言葉、思いを使うようになったのであります。 にもかかわらず、父なる神様は、神様から離れた者のようになった私どもを顧(かえり)みてくださり、イエス・キリストの御血汐によって贖われ、清められ、赦された者としてくださいました。 神様は、私どもを赦し、私どもの今までの姿にピリオドを打ってくださったのです。 そして、私どもが言葉を使うことを許してくださり、再び神様と思いを交わすことができるようにしてくださったのです。 神様は、なんと慈しみ深いお方なのでしょう。 私どもは、言葉を使うことをお許しくださった神様に感謝するとともに、言葉を天国で賜っていたことを思い出し、先祖の方々と共に天国に立ち返って、今まで自分のものとしていた言葉、思いを神様に委ねさせていただく必要があると思います。 現れるべきは〝わたし〟の思いではなく、神様の思いです。 私どもは神様に対し、〝わたしの思いではなく、あなたの思いが現れますように〟と申し上げることを忘れないようにしたいものであります。 そして、神様は、どんな時でも私どもを養い育ててくださっているのですから、分からないこと、理解を深めたいことがあるならば、神様に対し、〝あなたの思いをより良く理解することができますように、ご援助をお願いいたします〟という心遣いが大切であると思います。 言葉、思いの源は天国にあります。 その天国という世界を、神様が私どもの中に用意してくださったこと、そのことを私ども一人ひとりが認めなければなりません。 しかしながら、私どもは、自分の中に天国があることを認めるよりも、自分の心の弱さや甘さ、至らなさを認めることだけで終わっているように思います。 神様が〝あなたの中に天国を用意してありますよ〟と仰っているのに、〝わたしの中に天国がない〟〝わたしの中に天国があるかどうか分からない〟などと言って、巧みに自分をごまかす生き方をしているかもしれません。 それは、私どもが自我意識を持たされたために、自分の中にある尊いものを、あからさまに人に見せられない、隠さなければいけないという、自分の中に隠れ潜んでいる本能的な思いが現れているからであると思います。 だからこそ、イエスは、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(「ルカによる福音書」第17章21節)と語られ、明主様は、「天国在我心中」(天国我が心中に在り)という御書をご揮毫になり、私どもを真実に目覚めさせ、真実を認める勇気を与えてくださっているのではないでしょうか。 私どもは、自分を今までの姿から解放するために、自ら進んで、自分が初めに天国で生まれたこと、今も天国の息を嗣がせていただいていること、その天国に自我の意識が立ち返ることができるように、贖いと赦しを受けていることを断言しなければならないと思います。 そのように心に決めて、〝メシアの御名にあって、父母先祖の方々と共に、天国に立ち返らせていただきますので、あなたに治めていただき、み旨が成し遂げられるようお使いいただきたいのです〟と神様に申し上げるほうがよいと思います。 そして、〝あなたの息を嗣がせていただきます。その息をわたしの中の生命の枯れているものたちの上に吹きかけてくださり、甦らせていただきたいのです。吐く息吸う息によって成し遂げてくださいますように〟と神様に委ねさせていただくことが大切であると思います。 天国と地上との間を閉ざしていた門は、メシアの御名の恵みによって、すでに開かれています。 明主様は、御歌に、「天地を開くる鍵は早已に救主が御手に握らせ給はん」とお詠みになりました。 この御歌の「救主」は、メシアのことであります。 メシアが門を開く鍵を握っているということは、自分の中にメシアの御名があることを信じるか否かが鍵だということではないでしょうか。 私どもは、無知のゆえに、今までその門の鍵をかけ、門を閉ざしたままにしていたのかもしれません。 神様は、私どもがメシアの御名を信じて、意思表示するのを待っておられるのですから、一人ひとり、〝メシアの御名にあって、天国の門を開いてくださいますように〟とお返事させていただく必要があると思います。 私どもは、メシアの御名の恵みがあればこそ、立ち返るべき天国の門が開かれていることを知らされた者として、その御名の恵みを、父母先祖を始め、すべてのものに分け与えるという救いのみ業にお仕えする責任があると思います。 私どもは、一人ひとり、地球を救出するという任を天国で賜って世に遣わされた、メシアの御名の教会の聖徒の一員なのです。 実りの秋を迎えました。 神様にとって、ご自身の創造のみ業の実りは、私ども自身なのではないでしょうか。 なぜならば、神様は、私どもをご自身の子どもとするために、深い愛をもって、天国において、私どもの中にご自身の永遠の生命(いのち)と意識と魂を用意され、また、ご自身がお造りになった万物をお使いになって、私どもを人という、意識ある存在としてくださったからです。 明主様は、御歌に「長き世を仕組み賜ひし大神の刈りとる時のせまりけるかも」とお詠みになりました。 この御歌を通して、私は、神様がご自身の創造のみ業の実りとして、私どもを刈り取り、収穫してくださろうと、私どもに対して早く天国に立ち返ってくるように、と強く願っておられるように感じられます。 こうした神様の願いに明主様はお応えになって、御歌に、「御恵の万分一に届かねど誠のしるし受けさせ給へ」とお詠みになったのではないかと思います。 私は、この御歌の中の「誠」とは、神様の恵み溢れる思い、すなわち、神様が私どもをご自身の子どもとするという思いであると思います。 そのしるしを神様は、天国において、私ども一人ひとりに付けてくださったのです。 ですから、「誠のしるし」とは、私ども自身のことではないでしょうか。 明主様は、ご自身を神様の誠のしるしとして、言い換えれば、神の創造のみ業の実りとしてお受け取りいただくべく、ご自身を神様にお捧げになり、その思いをこの御歌にお詠みになったのではないかと思います。 そして、実りについて、聖書においては、「キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(「コリント人への第一の手紙」第15章20節) また、「父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである」(「ヤコブの手紙」第1章18節) あるいは、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」(「ローマ人への手紙」第12章1節)と記されております。 私どもは、御血汐の恵みによって、贖われ、赦され、生きた者とされた「初穂」として、「聖なる供え物」として、すべてのものと共に天国に立ち返って、自らを神様にお捧げするとともに、すべてを新しいものに造り替えるという、第二段階の創造にお使いいただきたいと願うべきであると思います。 こうした新しい段階の創造のみ業を成し遂げておられる神様をお讃えしつつ、私どもは、「祈り、食、音楽」という真の救いの三本柱の実践に更に一層励み、世界中の人々に生きる勇気と希望を分け与える御用にお仕えさせていただきたいと思います。 また、今年の7月にアフリカ・アンゴラの地に誕生した「土の聖地」の建設奉仕が始まろうとしている今、天国を地上に写すことに全力を注がれた明主様の尊いみ心を改めて胸に刻み、私ども一同、「火の聖地」たるメシア聖堂の建設に向けて精一杯努め、多くの人々と共に、自分に内在する天国に常に心を向けることができる者にならせていただきたいと思います。 そして、畏れ多くも、メシアの御名を唱えることをお許しくださった神様に感謝し、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共に、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに、未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 ありがとうございました。