本日は、「世界メシア教 立春祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「ホテルニューオータニ大阪」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「ホテルニューオータニ大阪」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 さて、皆様ご承知のように、私どもとMOAの母体である世界救世教との間で行われてまいりました裁判が、昨年12月24日、東京高等裁判所において、和解の成立をもって終了いたしました。 私どもは、5年前の立春より、教団の法人名は「世界救世教主之光教団」としたままで、宗教活動を「世界メシア教」の名によって進めてまいりましたが、この度の和解により、名実共に、「宗教法人世界メシア教」として歩むことのできる道が開かれました。 このことを、明主様ご昇天より70年を経た本年、皆様にお伝えすることになりましたことを感慨深く思っております。 この度の和解に至りましたのも、信徒の皆様が成井理事長を始めとする教団の体制を信頼し、学びを深めると同時に、その実践に励んでくださっていることが、教団にとりまして大きな力となったからであると思います。 皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 また、ここで特に申し上げたいことは、先月の新年祭の折に真明も触れましたように、仲泊名誉会長が、和解に至るまでの長い間、世界救世教の管長として、直面する様々な問題や困難に対して、揺るぎない信仰心と情熱をもって、誠心誠意対処されたことであります。 裁判に対しても、弁護士の方々と共に、忍耐強く、常に前向きに臨んでくださり、そのご努力、ご苦労は、筆舌に尽くしがたいものがあったと拝察いたします。 私は、私にとりましても大きな支えとなってくださった仲泊先生には、どんなに感謝してもしきれない思いであります。 仲泊先生、本当にありがとうございました。 先生には、今後とも名誉会長のお立場で、引き続きご尽力いただきたいと思っております。 この世界メシア教という名前は、明主様が、メシアの御名と共にある神の決定的な力を確信され、キリスト教と呼応して人類の救いと平和を成し遂げていくとのご決意をもって、75年前、昭和25(1950)年の立春を期して開教された教団の名前であります。 私どもは、明主様が愛された世界メシア教という名前を、大いなる赦しのうちに、託していただいたのです。 また、私は、和解が成立したということは、争いの終わりを意味するだけではなく、新しいものの始まりを意味していると思います。 神様は、私どもの今までの営みを、贖われ、赦されたものとしてお受け取りになり、私どもを和解へと導いてくださいました。 それは、私どもを未来に向かって、さらに前へと進ませてくださるためであります。 その御心にお応えし、私どもは、イエス・キリストと明主様が御身をもってお示しになった唯一の道、すなわち、万物は更新し、人は神の子たるメシアとして新たに生まれるという道を、自分の中心に定め、神様のご援助を賜りながら、前進してまいりたいと思います。 そのためにも、私どもは、畏れ多くも、私どもに世界メシア教の名前を託していただいたことに感謝するとともに、メシアの御名にある祝福を分け与えるみ業に仕える者として、さらに成長させていただきたいと願うべきではないでしょうか。 私どもは、今回、裁判上の争いに対して、神様から和解をお許しいただきました。 しかしながら、私どもの誰もが、神様との和解をお許しいただいていたことを知る必要があると思います。 それは、生命に関わる重大な和解であります。 私どもが神様との和解が許されたということは、私どもは、神様と敵対していたということではないでしょうか。 私どもは、神様から禁じられているにもかかわらず、神様のものである生命と意識と魂を自分のものとしてしまいました。 私どもは、神様の命令に背き、自分を誇り、驕り高ぶり、神様と敵対する者となっていました。 こうした私どもの神に背いた姿を、明主様は、次のような御歌を通して、私どもに気づかせようとしておられます。 「魂機張る生命は神のものにあり神に叛きて栄え得べきや」 「正しきと神とに背きし人々の滅ぶる時の自らなる」 「人間の智慧のみ如何に揮ふとて甲斐なき世なり神に背けば」 また、明主様ご自身のことについて、「大前に額く我となりにけり神に背きし罪を悔みて」とお詠みになって、ご自身が神様に背いたことをお認めになりました。 神様に背くということは、神様と敵対することであります。 聖書においては、「キリストの十字架に敵対して歩いている者が多い」(「ピリピ人への手紙」第3章18節)とあり、また、「あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた」(「コロサイ人への手紙」第1章21節)と記されております。 このように私どもは、生命そのものである神様から離れ、死と滅びを免れ得ない者でありました。 しかしながら、神様は、なんと深い愛をお持ちなのでしょう。 ご自身に敵対する私どもを赦し、ご自身のみもとに迎え入れるために、あらかじめ天国で用意しておられたイエス・キリストを世にお遣わしになりました。 そして、イエスを十字架にお上げになり、その血汐を私どもの罪の贖いとしてお受け取りになって、死と滅びを免れ得ない私どもを赦し、生きたものとしてくださったのです。 私は、神様がイエスを十字架に上げなければならなかったその思いは、人間の知恵では計り知ることのできない深いものがあると思います。 神様は、ご自身に背き、敵対する私どもに対し、ご自身と和解させてくださったのです。 このことについて聖書では、「神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さった」とあり、また、「御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さった」(「コロサイ人への手紙」第1章19~20節、22節)とあります。 私どもは、明主様に倣い、神様に対して、自分が神様に背き、敵対していたことを、まず認め、〝御血汐によって、あなたと和解させてくださったのですね。すべてのものと共に御血汐をお受けします〟と、心の中で申し上げたほうがよいと思います。 また、神様は、私どもをご自身と和解させてくださっただけではなく、私どもを通して、和解の福音を世にもたらそうとしておられます。 聖書には、「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである」(「コリント人への第二の手紙」第5章19節)と書かれています。 神様が私どもに和解の福音を委ねられたということは、ご自身と和解させた、その思いを私どもに継承させようとしておられるからであると思います。 神様は、メシアの御名にある祝福を分け与え、救いを成し遂げるために、私どもを必要としておられるのです。 その神様の愛に満ちた思いについて、イエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(「マタイによる福音書」第5章44節)と語られました。 明主様は、「悪が強ければ強いほど救う必要があるわけです」とお説きになりました。 私どもは、人々が大小様々な問題で互いに敵対し合う状況を見聞きすることになったり、自分を取り巻く人々と接する中で、時には、怒り、憎しみなどの敵対する感情に囚われたりいたします。 それは、私どもの中におられる神様が、そこにこそ和解の福音をもたらすために私どもをお使いになっていることを、私どもに気づかせようとしておられるからであると思います。 私どもは、神様から遣わされた世界が目に見える現象の世界であるために、心を自分の外側に向けるだけで終わっているような気がいたします。 世の問題にせよ、身近な相手との些細な問題にせよ、それらの問題に反応しているのは自分の心であることを忘れてはならないと思います。 どんな問題でも、自分の心がそれに反応しているのですから、問題の本質は、自分の外側ではなく、自分の内側にあるのです。 すべては、自分の中にあるメシアの御名に結ばれているのです。 すべてが自分の中にあるからこそ、そのすべてをメシアの御名にあって、自分の中におられる神様に委ね、とりなしをさせていただくことが可能になるのではないでしょうか。 委ねるべきは、世の問題ではなく、世の問題を見聞きして感じさせられている、そのままの自分の思いです。 委ねるべきは、相手のことではなく、相手に対して感じさせられている、そのままの自分の思いです。 ですから、私どもは、神様に対して、御血汐によって和解が成し遂げられたことを認めるとともに、〝思いはあなたがお使いになる思いだったのですね。贖われ、赦され、生きた者として天国に立ち返り、すべてのものと共に、わたし自身をメシアの御名にあってあなたに委ねさせていただきます。あなたがお持ちの平和と安らぎをもって治めてくださいますように〟と申し上げ、少しでも神様のお役に立たせていただきたいものであります。 治めていただくのは、〝わたし自身〟です。 〝わたし自身〟の心を治めていただくからこそ、それが世に投影され、世も治められていくことになるのではないでしょうか。 また、このようにして、私どもがメシアの御名にある祝福を分け与え、和解の福音にお仕えすることが、前へ進ませていただくことでもあるのではないでしょうか。 私どもは、神様に背いた責任を私どもに負わせることなく、和解の福音に仕えることを許してくださった神様に感謝しつつ、「祈り、食、音楽」という真の救いの三本柱の実践に更に一層励ませていただきたいと思います。 また、昨年アフリカ・アンゴラの地に誕生した「土の聖地」の建設奉仕が始まり、ブラジルの信徒の方々が「水の聖地」を担う使命に燃えておられる中で、本日、「火の聖地」たるメシア聖堂の建設予定地の発表に至ったことを、共に喜び合いたいと思います。 と同時に、天国の写しとしての地上の聖地の建設にあらん限りの力を注がれた明主様の尊いみ心を改めて胸に深く刻み、私ども一同、メシア聖堂の建設に向けて精一杯努め、多くの人々と共に、自分に内在する天国に常に心を向けることができる者にならせていただきたいと思います。 そして、神様があらかじめ天国で成し遂げてくださった、メシアの御名にある祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、これから世に生まれ出る子どもたちに、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに定め、未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 終わりに、この年の立春を迎えた皆様が、光と安らぎに満たされ、希望をもって前へ進むことができますようお祈りいたしております。 ありがとうございました。