本日は、「イエス復活祭並びに春季大祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 誠に畏れ多いことではありますが、唯一の神の経綸、すなわち、創造主のご計画は、すでに、私どもの中に存在する天国という原因の世界において、成し遂げられております。 このことについて、明主様は、御歌に、「人の眼に見えねど神の経綸は已に成りけり霊の世界に」とお詠みになり、神の経綸がすでに、目に見えない霊の世界である天国で成し遂げられていることを告げ知らせてくださいました。 そして、その神様の経綸の目的は地上天国建設であることを、明主様はお説きになりました。 地上天国建設とは、神様が地上にいる私どもをすべてのものと共に天国に迎え入れ、ご自身の意識と融合し、天国と地上とを一つものとすることであると思います。 それは、私ども一人ひとりに当てはめてみれば、明主様ご自身が御身をもってお示しになりましたように、一人ひとりが、すべてを携えて天国に立ち返り、神の子たるメシアとして生まれることであります。 それは、すなわち、神様がご自身に似た子をお生みになることであります。 そのために神様は、創造をお始めになる前の天国において、万物となる霊と共に、人間となるべき多くの霊の子をお生みになりました。 そして、多くの霊の子の中から、一つを選び、それをメシアとしてくださいました。 万物と私どもとは、天国において、すでに、メシアに結ばれた一体の存在であり、神様の一つ体であったのです。 神様は、創造の始めに、メシアに結ばれた私ども霊の子に、ご自身の生命と意識と魂を授け、私どもをお使いになって、万物諸元素を地上に出されました。 そして最後に、私どもを地上に送り出してくださいました。 地上と申しましても、天国から離れているのではなく、天国という濃い密度の世界の中の一部として、天国に包まれて存在している、地上という粗い密度の世界であります。 神様が万物を地上に出されたのは、万物をお使いになって私どもの感覚器官を造り、そして自我意識を造り、私どもを、個性ある一人ひとりという、個々別々の存在とするためであります。 そして、一人ひとり、意識ある者となった私どもを再び天国に迎え入れ、ご自身の子とするためであります。 私どもに永遠の生命を授け、私どもと共にお住みになるためであります。 神様が私どもを意識ある個々別々の存在とされたということは、神様は、私ども一人ひとりの思いを大切にしてくださっているということです。 神様は、ご自身の思いが私どもの思いと合致するよう努力しておられるのです。 しかしながら、私どもは、地上に生まれ出た時から、目に見える現象の世界で懸命に生きてきたために、自分が天国で生まれ、神様の思いを感じ受け取っていたことを忘れ、また、生命と意識と魂が自分のもののように感じられたために思い上がり、神様に背いて生きていました。 神様は、そうした罪を犯した私どもを、そのまま天国に迎え入れることはできません。 なぜならば、人類が世に生まれて以来、積み重ねてきた罪が、私どもの血液の中にあり、人間の力では、到底その罪を拭い去ることなどできるはずもなく、神様と人間との間にできてしまった隔たりを取り払うことは不可能だからです。 だからこそ、神様は、大いなる慈しみをもって、イエスを世にお遣わしになり、人類の罪の贖いのしるしとしてイエスの血汐をお受け取りになり、私どもを犯した罪から贖い、清め、赦してくださいました。 それだけではなく、イエスを死人の中から甦らせ、復活させることによって、万物を更新し、死と滅びの世界にいた私どもを救い出し、永遠の生命に生きる者として甦らせてくださいました。 神様は、イエスを通して、万物と一体である人類を、その罪から贖い、清め、救い、甦らせてくださいました。 なんという恵み深いご経綸、ご計画でありましょう。 ここで、私どもが知らなければならないこと、否、思い出さなければならないことは、神様は、キリスト・イエスと共に、贖いと救い、そして、新しく生まれさせるという再生のみ業を、天国という原因の世界において、ご自身の一つみ業として成し遂げてくださったということです。 神様は、原因の世界において、目的をお立てになっただけではなく、結果をもお持ちなのであります。 そして、永遠無限の世界である天国で成し遂げた、贖い、救い、再生のみ業を、有限の世界である地上に投影しておられたのです。映し出しておられたのです。 地上、あるいは、世と言われる現象の世界は、時間と空間が存在する世界であります。 私どもは、時間と空間とを神様からお預かりしているのですから、私ども一人ひとりが今、神様が天国で成し遂げられたことを認めなければなりません。 私どもは、一人ひとり、御血汐あればこそ、贖われ、赦され、甦らせていただいた者として世に生まれさせていただけたことを認めなければなりません。 御血汐あればこそ、神の子たるメシアとして新しく生まれることができることを認めなければなりません。 このように、天国で成し遂げられた結果が、今の自分自身であることに気づくことができたならば、その結果を自分のものとするのではなく、自分自身を神様の創造のみ業の結果として神様のところに持って帰ることによって初めて、神様のご計画、ご経綸が自分の中で成し遂げられたと言えるのではないでしょうか。 先ほども申しましたように、贖いと救いと再生のみ業は神様の一つみ業であります。 ここで私どもが確認しなければならないことは、神様のご計画の眼目は、ご自身の子を生むことであり、言い換えれば、私どもが甦って、新しく生まれる、すなわち、再び生まれる、再生する、ということであります。 私どもは、十字架のイエスと言うと、私どもの罪を贖うために磔の刑に処せられたイエスというイメージを持ちますが、神様は、私どもの罪を贖うためだけに、イエスを十字架に上げられたのではないのです。 万物を更新し、私どもを新しく生まれさせるために、イエスを十字架に上げられ、死人の中から甦らせ、復活させられたのであります。 私どもは、神様がイエスを世にお遣わしになった目的を決して見失ってはならないと思います。 このことについて、聖書には、「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」、あるいは、「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう」(「コリント人への第一の手紙」第15章14節、17節)と記されております。 また、イエスご自身、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(「ヨハネによる福音書」第11章25節)と述べておられます。 イエスのことを明主様は、「贖罪主」と仰せになりましたが、それだけではなく、イエスの復活をお認めになっておられたと思います。 だからこそ、明主様は、新しくお生まれになったことをご発表になった時に、「メシア降誕と言ってね、メシアが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんです」と断言され、新しくお生まれになったことを、私どもが事実として受けとめるよう強く促されたのではないでしょうか。 私どもは、御血汐によって、死と滅びから救い出され、甦らせていただいているのです。 万物を更新し、神の子として新しく生まれるために養い育てていただいているのです。 そして、その御血汐による祝福を、甦りの息と共に、すべてに分け与える御用にお仕えするために今、世にいるのです。 私どもが、今までの自分を父や母、先祖の方々と共に、万物と共に、メシアの御名にあって神様に委ねさせていただくのは、神様が私どもに過去の清算、後始末だけをおさせになりたいからではありません。 私どもの思いと呼吸をお使いになって、創造のみ業を成し遂げようとしておられるからです。 先祖の方々も万物も、すべてのものが新しい生命に甦り、未来に向かって前へ進んでほしいと願っておられるからであります。 私どもは、忘れてしまっていた自分の始まりの世界を思い出し、すべてに大きな愛をもって臨んでくださっている神様に感謝しつつ、「祈り、食、音楽」という真の救いの三本柱の実践に更に一層励ませていただきたいと思います。 また、昨年アフリカ・アンゴラの地に誕生した「土の聖地」の建設奉仕が始まり、「火の聖地」たるメシア聖堂の建設予定地が定まったことに続いて、この度めでたく、ブラジルの「水の聖地」の建設予定地が定まった今、私どもは、天国の写しとしての地上の聖地の建設にあらん限りの力を注がれた明主様の尊いみ心を改めて胸に深く刻み、メシア聖堂の建設に向けて精一杯努め、多くの人々と共に、自分に内在する天国に常に心を向けることができる者にならせていただきたいと思います。 神様があらかじめ天国で成し遂げてくださった、メシアの御名にある祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、これから世に生まれ出る子どもたちに、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに定め、未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 ありがとうございました。