本日は、「世界メシア教 祖霊大祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 皆様ご承知のように、先月7月、教主代行である真明は、アフリカのアンゴラを巡教いたしました。 明主様が宗教活動をお始めになって以来、アフリカへの巡教は初めてとなります。 アンゴラにおいて真明は、昨年11月のボリビア・ブラジルへの巡教と同様、祭典や面会行事での聖言、また、懇親会での語らいを始め、あらゆる場面での会話をポルトガル語で行いました。その努力は並々ならぬものであったと思います。 アンゴラの公用語であるポルトガル語で直接語られる言葉は、アンゴラの人々の心に強く響き、理解を深め、意欲を高める上で大きな力となったに違いありません。大変ありがたく思っております。 7月5日、アンゴラで入信式が執り行われ、内外から5500名を超える信徒が参列する中、真明は、アンゴラ全土からの約800名の入信希望者お一人おひとりに「入信証」をお渡しいたしました。 この「入信証」は、入信希望者が多いため、「おひかり」が届くまでの間、世界メシア教信徒としての証となるものであります。 明主様とイエス・キリストを信じ、私どもと同じ道を歩む者が新たに約800名生まれたのであります。何と心強く、頼もしいことでしょう。 こんなにも大勢の入信者が生まれたことについて、私は、アンゴラの信徒の方々が真実に目覚めた喜びを多くの方々と分かち合ってくださったことに加えて、明主様が最も大切にされたメシアの御名に込められた神様のみ旨が、すなわち、人は神の子たるメシアとして新しく生まれるというみ旨が、民族、言語、宗教などの違いを越えて、人類一人ひとりの中に、あらかじめ刻み込まれているからであると思います。 そのみ旨が一人ひとりの中に存在しているからこそ、メシア教を通して真実に触れ、共振共鳴することによって、入信を希望される方が数多く生まれるに至ったのではないかと思います。 私どもは、いつどこにいようとも、お互いに、時間、空間を越えて、メシアの御名の教会の聖徒であることを確認し、地球とそこに住む人類を救おうとしておられる神様の御用にお仕えする喜びを、一人でも多くの人と共に分かち合いたいと思います。 入信式に続いて、7月7日、アンゴラにおいて、「土の聖地」となるべき広大な土地の「地鎮祭・聖別式」が、アンゴラを始めアフリカ全土から、また、日本を始め、ヨーロッパ、ブラジルから、合わせて2万人が参列する中で、厳粛且つ盛大に執り行われました。 真明が教主代行として、この極めて意義深い式典の祭司を務め、この土地を神様がお使いになる土地として聖別するとともに、明主様の「土の聖地」として定めました。 人類発祥の地とされるアフリカにおいて、天国の写しとしての聖地の建設が始まることを、どんなにか明主様はお喜びになっていらっしゃるでしょう。 私は、この聖別された土地が「土の聖地」としての働きを十分に果たすことができるよう明主様が導いてくださいますように、と願わせていただきました。 そして、一人ひとり、この重大な式典が、時間と空間を越えて、自分の意識の中心において行われたことを認め、この「土の聖地」の建設のために、私どもをお使いになろうとしておられる神様に感謝させていただかなければならないと思いました。 ある土地が聖別されるということは、その土地は、神様の物、神様がお使いになる物であることを、私どもが認めさせていただくということであります。 今日まで、私どもは、神様がご自身を現すためにお創りになり、維持し、お使いになっておられる地球上の土地を自分たちの物とし、自分たちの都合に合わせて使っておりました。 神様は、そのような罪深い私どもを、イエスの捧げた血汐によって、贖われ、赦された者とし、土地を始めとする万物と共に天国に迎え入れてくださいました。 私は、私どもがこの式典を地上において執り行うことを許してくださり、この土地を聖別し、聖地とすることをお許しくださった神様に感謝し、神様がご自身の物であるこの土地を始め、創造されたすべてのものを、み旨によって治めてくださいますように、と委ねさせていただきました。 このようにアフリカにおいて「土の聖地」の建設が始まろうとしている今、私どもは、明主様が私どもに託してくださった、「火の聖地」たるメシア聖堂の建設に真心を尽くさせていただきたいと思います。 そして、建設することをお許しくださった神様に感謝し、〝あなたがわたしの中に聖地を用意してくださり、教会を建設してくださったからこそ、地上でもメシア聖堂という教会を建設することにお仕えさせていただけるのですね〟という思いをお捧げしたほうがよいと思います。 さて、本日は祖霊大祭でありますが、明主様が「現在、生きている人間は、自分一個の存在でなくて、祖先の繋りで、祖先の延長である事を知らなくてはならない。又言い換えれば、無数の祖先の綜合が、個体たる自分である」と述べておられますように、神様は、先祖の方々のことを死んだ存在とはご覧になっておられません。私どもと一体の存在としてご覧になっておられます。 神様は、先祖の方々の中で生きておられるのです。生きて呼吸しておられるのです。 ところが、私どもは、先祖の方々をどのように思っているのでしょう。 日本では、亡くなった方に対する慰霊を行う時、何年祭、何回忌というように過去に遡り、また、お寺や、ご家庭によっては仏壇に、亡くなった方の記録を書いた、過去帳と言われる帳簿が置かれております。 このように、私どもにとって、先祖の方々を過去の存在とみなすことは、この世と言われる現象の世界で社会生活を営む以上、必要なことでもあります。 しかしながら、私どもの本体は、霊の体であり、天国に属しております。 そして、私どもの思いは、神様の思いを知覚する、感じ受け取るために、メシアの御名にあって、神様から賜ったものであります。 私どもは、神様の意識を継承する者となるように定められているのです。 ですから、私どもも、神様がお思いになっておられるように、先祖の方々は、決して過去の存在ではなく、私どもの中で、私どもと共に呼吸し、神様の御用にお使いいただいていると思えるはずであります。 ところが、私どもは、なぜそのように思えないのでしょうか。 それは、私どもが思いを人間の思いとしたために、時間の隔たりを作り、空間の隔たりを作り、先祖の方々を死んだ存在、過去の存在と思うようになったからであります。 私どもは元々、時間と空間とが創造される前の世界である天国に存在させていただいたにもかかわらず、世と言われる、時間と空間とが創造された世界に遣わされたために、自分が天国に属していることを忘れてしまいました。 時間と空間とは、神様がお使いになる時間であり、空間であること、そして、思いは、神様がお使いになる思いであることを忘れてしまったのです。 このようにして、私ども人間の思いと神様の思いとの間には、人間の努力では回復することのできない、大きな歪みが生まれてしまいました。 このままでは、私どもは、神様の意識を継承する子どもにはなれません。 だからこそ、神様は、イエスの血汐による罪の贖いととりなしを必要とされたのではないでしょうか。 私どもは、思いを自分のものとし、時間と空間とを自分のものとしていたために、死と滅びを免れ得なかった姿でありましたが、その姿から贖い出され、赦され、生きた者とされたのです。 私どもは、神様に対し、賜った恵みに感謝するとともに、〝思いはあなたのものだったのですね。わたしのものとしていた思いをあなたがお使いくださいますように〟と委ねさせていただくべきではないでしょうか。 私どもの先祖の方々は、私どもと同じように、思いを自分のものとし、この世を一生懸命生きてこられました。 しかしながら、先祖の方々は、イエスによる贖いの血汐とペンテコステの聖霊による新しい生命と安らぎの賜物を受けていたことを知らずにいたために、唯一の神様から離れ、死と滅びから解放されない姿のままになっていました。 そうした先祖の方々に対して、神様は、救いの手を差し伸べてくださいました。 明主様は、「救霊」と題する一連の御歌の中で、「惜しまれつ此世去りにし汝なりきはや天国の門に入るらむ」とお詠みになり、神様が先祖の方々を天国の門から迎え入れて、救おうとしておられる、その神様の思いを私どもに気づかせてくださろうとしておられます。 この御歌の中の「天国の門」の「門」とは、一体何でしょうか。 イエスは、「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ」(『ヨハネによる福音書』第10章9節)と述べておられます。 明主様も、イエスと同様、メシアの御名にある門であります。 私どもも、メシアの御名の教会の一員として、門としてお使いいただいているのです。 神様は今、先祖の方々を始め、多くの方々を、メシアの御名に結ばれた私どもという門の前に呼び寄せ、私どもを通して天国に迎え入れておられるのです。 だからこそ、私どもの心は、プラスの思いやマイナスの思いなど、いろいろな思いを感じさせていただいているのではないでしょうか。 私どもは、自らが天国に属する者との自覚をもって、神様の思いにお応えすべく、神様によって呼び寄せられた多くの方々に対して、天国の門が開かれていることを告げ、吐く息吸う息のうちに、共に天国に迎え入れてくださるようにと、メシアの御名にあって、神様にとりなしをさせていただく務めがあると思います。 そのような務めがあることを心に留めて、「祈り、食、音楽」という真の救いの三本柱の実践に更に一層励み、世界中の人々に恵みと安らぎをもたらす御用にお仕えさせていただきたいと思います。 また、天国を地上に写すことに全力を注がれた明主様の尊いみ心を胸に刻み、私ども一同、メシアの御名の教会の聖徒として、栄光輝く「メシア聖堂」の建設に向けて、希望と喜びを持って努め、多くの人々と共に、自分に内在する天国に常に心を向けることができる者にならせていただきたいと思います。 そして、畏れ多くも、メシアの御名を唱えることをお許しくださった神様に感謝し、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共に、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに、新しい未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 ありがとうございました。