本日は、「世界メシア教 立春祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「ホテルニューオータニ大阪」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「ホテルニューオータニ大阪」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 この度の能登半島地震により犠牲になられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災されました皆様とそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。 震災後、約一カ月が経過いたしましたが、今なお大変厳しく、ご不自由な生活を余儀なくされている方々が大勢おられると伝えられています。 現在、懸命に行われています救援活動と共に、復旧・復興が順調に進められ、一日も早く平穏な生活を取り戻すことができますよう願っております。 ここで、私どもが忘れてはならないことは、主神は、諸々の元素を始め万物をお使いになって大調和という創造の営みをなさっておられる、ということであります。 私は、創造のみ旨を成し遂げるために万物をお遣わしになった主神のみ旨を改めて確認し、万物に感謝させていただかなければならない、と思わせていただきました。 そして、〝この度の地震によりお亡くなりになった方々、被災された方々を始め、全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共に、贖われ、赦され、生きた者として天国に立ち返らせていただきますので、み旨の成し遂げられますようお使いください。お仕えさせていただきます〟とメシアの御名にあって主神に委ねさせていただきました。 さて、本日、皆様にお伝えしたいことがあります。 真明につきましては、すでに教主後継者と定めさせていただいておりますが、現在、重要な行事や場面、また、様々な事柄において、私に代わって、教主代行として、その役目を果たしておりますことは、皆様ご承知のことと思います。そうした現状を踏まえ、また、今後ますます進展していく世界メシア教のご神業を思い、真明を、教主後継者であることに加えて、この度正式に、「教主代行」と定めさせていただきました。 今後とも、私は、明主様のみ心を尋ね求めつつ、真明と共に、明主様の指し示される真の救いの道を、皆様と心一つに歩んでまいりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 明主様は、御歌に、「奴羽玉の暗にさ迷ふ諸人の灯火となれ光の友たち」とお詠みになり、私ども信徒のことを「光の友」とお呼びになりました。 また、イエスは、「あなたがたは、世の光である」(「マタイによる福音書」第5章14節)と言われ、聖書には、「光の子らしく歩きなさい」(「エペソ人への手紙」第5章8節)と述べられています。 私どもの魂の親であられる神様は、光の源であります。 神様は、創造をお始めになる前、天国において私どもの魂を生んでくださいました。 魂は、神様の光を受けて光り輝いていました。 私どもは、光の源である神様から生まれた「光の子」だったのです。 そして、私どもの魂は今、天国から世に降り、私どもの肉体の中に宿っているのですから、私どもは、今も「光の子」なのです。 たとえ肉体が滅んでも、魂は永遠に存続するのですから、私どもは、永遠に「光の子」なのです。 大光明燦然と輝く神様は、天地万物一切を照らしておられます。 神様は、私どもの心を照らしてくださっているのです。私どもの魂を通して心を照らしてくださっているのです。 それは、私どもの心を養い育て、ご自身の子どもとするためです。 だからこそ、私どもは、何か事が起こって、自分の至らなさが表に現れたことに気づいた時に、〝照らされた〟とも言うのではないでしょうか。 明主様は、御歌に、「大光明世界といふは曇りなき水晶世界の状をいふなり」とお詠みになり、「曇りを取る」「曇りを解消する」ことの重大性についてお説きになりました。 魂は常に輝いているのですから、曇りがあるということは、魂の器である心が魂の輝きを、言わば遮っているということではないでしょうか。 私どもの父や母を始め先祖の方々、すなわち、私どもは、神様の生命と意識と魂を自分のものとしたために思い上がり、傲慢にも神様の徳を自分の徳とし、自分の価値を高めようとする思いに囚われていました。 神様の御心を尋ねるよりも自分の正しさや尺度を守ることに汲々として生きてまいりました。 その結果、私どもは、神様のものを横取りするという罪を犯した負い目を背負う姿になり、私どもの心は、神様から離れてしまいました。 そうした私どもの心の姿が、曇りと言われるものなのではないでしょうか。 しかしながら、神様は、曇りある私どもを顧みてくださり、大きな愛をもって私どもの心を照らしてくださいました。 そして、私どもの心の曇りを、イエスの血汐をもって、贖い、赦し、御手に治めてくださいました。 ですから、曇りを取る、曇りを解消するということは、曇りを心の奥底に隠したり、どこかに放り投げたりするのではなく、今まで自分のものとしていた心を、イエスの血汐によって贖われ、赦されたものとして神様に委ねさせていただくことであります。 神様は、私どもの心をお受け取りになり、心を新しく造り替えてくださろうとしておられるのです。 明主様は、また、御歌に、「魂磨き心清めて世を救ふ尊き神業に励しめよ皆」「地上天国生れなんとすも信徒よ身魂磨きを怠るなゆめ」とお詠みになりました。 魂を磨くということは、元々、神様の光によって輝いている魂そのものを磨くと言うよりも、魂の器である心を神様が照らし、磨いてくださっていることを私どもが認める、ということであります。 神様は、私どもの心を贖われ、赦され、清められたものとしてお受け取りになり、心を養い育ててくださっている、言わば磨いてくださっているのです。 そして、私どもの心が神様によって養い育てられているということ、そのこと自体が、救いのみ業にお使いいただいているという恵みの証しなのです。 私どもは、私どもの心を養い育ててくださっている神様に感謝し、すべてのものと共にイエスの御血汐をお受けして、天国に立ち返り、光の子として世を救うみ業にお仕えさせていただく務めがあると思います。 私どもが養い育てられていることについて、聖書には、「あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか」(「ヘブル人への手紙」第12章7節)と語られています。 また、「すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい」(「ヨハネの黙示録」第3章19節)と記(しる)されています。 私どもの父であられる神様は、私どもをご自身の子どもとして迎え入れるために、一瞬たりとも絶えることなく、私どもの心を照らし、深い愛をもって養い育ててくださっています。 神様は、私どもに対し、神様が生きておられ、実に私どもの中にいらっしゃることを気づかせようとしておられます。 そして、私どもが神様に心を向け、神様の思いに私どもが少しでも気づくことができるようにと、絶えず努力してくださっています。 私は、神様が自分を養い育てるために、どれほど努力してくださっているだろうか、などと考えたこともありませんでした。 私どもは、体の具合が悪かったり、病気になったり、人間関係や金銭に関わる問題など、様々な問題に直面して、心の中に不安や心配、悩みや苦しみが生まれた時、また、何か事が起こった時に、神様に心を向け、そして、神様の思いを尋ねようといたします。 私どもが明主様を通して「浄化」という聖言を知らされたのも、私どもが神様に心を向けるようになるためであると思います。 しかしながら、私どもは、何事も起こらず、平穏無事で、物事が順調に進んでいると感じている時には、神様に心を向けることを忘れがちになります。 神様は、どんな時でも、絶えず私どもを照らしてくださっているのですから、物事が順調に進んでいると思っている時にも、神様に心を向けさせていただくことを怠らないようにしなければならないと思います。 そして、自分を生んでくださり、養い育ててくださっている神様の思いに触れさせていただきたいと願うべきではないでしょうか。 神様は、たとえ私どもが神様に心を向けなくても、私どもに御心を向けてくださっているのです。 私どもは、人として、自分がどこから来たのか、そして、どこへ帰るのかを知らなければなりません。 自分が天国から来ていること、そして、天国に帰るべき者であることを知ることは、大変大切なことであります。 明主様は、神様が一人でも多くの人に対し、自らの中に天国が存在することを思い出し、真の生命の親に心を向けてほしいと強く願っておられる、その神様の御心にお応えになろうとして、天国の写しとしての地上の聖地のご造営に心血を注がれ、その営みを神様のなさったみ業として神様にお捧げになりました。 私どもがその尊いお姿に倣わせていただきたいと願っているさなかに、皆様ご承知の通り、この度、世界メシア教の聖地建設予定地が決定いたしました。 私ども明主様の信徒一同、自らがメシアの御名の教会の聖徒であるとの自覚をもって、「メシア聖堂」の建設に一丸となって、更に一層努めさせていただきたいと思います。 また、現在取り組んでおります、祈り、食、音楽という「真の救いの三本柱」の実践を通して私どもを養い育ててくださっている神様に、心からなる感謝を捧げさせていただきたいと思います。 終わりに、明主様が明言された、キリスト教と呼応して救いを成し遂げるというみ業が、自らの内に進められていることを認め、その救いのみ業に、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々と共に、そして、万物と共に、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちにお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 ありがとうございました。