本日は、「世界メシア教 祖霊大祭」おめでとうございます。 本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。 誠に畏れ多いことではありますが、唯一の神の創造の目的は、ご自身の子供を生むことであります。 この目的のために、神は、創造に先立って、まず天国において、私どもをメシアの御名に結ばれた霊の子供としてお生みになりました。 その後、天国にいる私どもを通して、宇宙を始め万物一切をお造りになり、最後に私どもを世にお遣わしになりました。 神と共にある私どもにとって、神の創造の目的は、決してないがしろにしてはならないものであります。 神の創造のみ業は、万物をお使いになって、一人ひとりの心、すなわち、自我意識を造るという第一段階の創造から、一人ひとりを贖われ、赦されたものとして、天国に迎え入れ、ご自身の意識と融合して、ご自身の子供とするという第二段階の創造にすでに入っています。 私どもは、2カ月程前の6月15日、「メシア降誕本祝典」を執り行わせていただきました。 その折に、私は、明主様が68年前の仮祝典において告げられた、全人類に対する罪の赦しとは、イエスの捧げた贖いの血汐をお受け取りになった神から賜ったものである、ということを申し上げました。 そして、イエスの復活後に降ったペンテコステの聖霊によって、今までの天地が新しい天地に転換したことを、明主様が夜昼転換という聖言をもって私どもに告げ知らせてくださったことをお伝えいたしました。 私どもは、今に至るまで、この重大な事実を知らずに生きてまいりました。 私どもは、長い眠りから目覚め、自らの中に、新しい天と地、新しい世があることを知るものとならせていただいたのであります。 ここで、私どもが決して忘れてはならないのは、この大転換は、二千年前、イエスが捧げた贖いの御血汐あればこそ成し遂げられた、ということであります。 神は、イエスを通して、私ども人類が創造の目的をないがしろにし、死という思いに囚われていた姿を顧みてくださり、贖い出してくださったのです。 イエスは、私ども全人類とその父母先祖の方々に代わって、ご自身の血汐を捧げられました。 すなわち、〝わたしのために〟〝わたしに代わって〟御血汐を捧げられたのであります。 ということは、イエスが神に捧げた血汐は、〝わたしの血〟でもあったのではないでしょうか。 私どもの中を流れている血は、もはや私どものものではありません。 私どもの血は、私どもを贖ってくださった方、すなわち、私どもの罪の代償を支払ってくださった方のものになったのです。何と大きな恵みでありましょう。 ですから、私どもは、神様に対して、「わたしの中を流れている血は、あなたのものだったのですね」と申し上げる必要があると思います。 ところで、私どもの父母先祖の方々は、この神の恵みをご存じなのでしょうか。 先祖の方々も、その本体は天国に属していますから、私どもと同じように、イエスの贖いの御血汐による赦しを受け、イエスを復活させた神の甦りの息を受けておられます。 そして、イエスの復活後に降ったペンテコステの聖霊を受けておられます。 しかしながら、先祖の方々は、私どもと同様、世に遣わされたために、目に見える世界のみに心を奪われ、知っていなければならない最も大切なこと、すなわち、天国で受けていた恵みを忘れてしまいました。 そうした先祖の方々が、私どもの意識の中で、全身の細胞の中で生きておられます。 私どもは、明主様が仰せのように、「祖先の綜合体」なのですから、先祖の方々の思いが私どもの心に大きく作用しないはずはありません。 先祖の方々が、天国で受けていた恵みを忘れてしまい、真理に目覚めないまま、言わば眠っている姿になっているならば、私どもも、その恵みを思い出すことは、容易なことではありません。 それではなぜ、私どもは、祖先の綜合体という立場を担わされているのでしょうか。 それは、先祖の方々に救いをもたらすためであります。 先祖と一体である人類に救いをもたらすためであります。 私どもは、救いを待ち望むために世にいるのではありません。 私どもの本体である霊の体は、天国に属しているのですから、私どもは、救いをもたらすために世にいるのです。 私どもは、自らの中に、贖われ、浄められた血が流れていることを知らされたのですから、そのことを、吐く息吸う息と共に、自分自身に言い聞かせるように、全身の細胞の隅々に至るまで伝えて、いきいきと活性化させ、眠っておられる先祖の方々を目覚めさせなければなりません。 このように、私どもは、先祖の綜合体であるだけではなく、神の聖徒として、メシアの御名にある恵みと救いを、すべてのものに分け隔てなく分け与えるみ業にお仕えするために、天国から世に遣わされているのです。 まず自らが創造の始まりである天国に立ち返って、その天国で賜っていた使命と恵みを思い出させていただき、新しい天と地と世を治めておられる神の創造のみ業にお仕えすること、それが私どもの本来の務めであります。 明主様は、「これから想念の世界である」と度々仰せになりました。 このことは、私どもが想念の世界に存在する天国、すなわち、霊の体に心を向け、その霊の体に予め授けられていた使命を果たす時が到来した、ということであると思います。 私どもの中には、目に見える肉の体だけではなく、目に見えない霊の体が存在しています。 私どもの中には、朽ちず焼けず、滅びることのない体が存在しているのです。 この霊の体こそ、メシアと名付けられた私どもの本体なのです。 私どもは、いつどこにいようとも、どんな思いが生まれてこようとも、神様の創造の目的の成就のために、私どもの霊体、肉体共にお使いいただいているのです。 人間の思いは、何か目に見えるような変化や動きがないと、神様がお働きになっていないのではないかと思いがちです。 また、自分が今までに作り上げてきた尺度によって、自分自身を縛っているために、現在の心の状態が、神の創造のみ業の中にあるとは考えないものであります。 明主様は、御歌に、「大いなる世の切替は人の眼に見えねど日に日に進みゆくなり」とお詠みになっておられます。 「世の切替」の「世」とは、私どもの心のことであります。 目に見えた変化がなくても、また、私どもの心が留まっているように感じているとしても、この御歌にありますように、神様は、今までの私どもの心の営みにピリオドを打ち、私どもを天国に迎え入れ、私どもと一つになるという、新しい段階の創造を、私どもの中で、ひっそりと絶え間なく行っておられるのです。 明主様は、また、「眼開き破壊の裏に創造の槌を揮はす神業見られよ」という御歌をお詠みになりました。 明主様は、神の創造のみ業について、破壊と創造とを別々に分けて考えてはおられません。 「破壊の裏に創造」とありますように、私どもが破壊的と感じている、その働きそのものの中で、神様は創造をなさっていることをお示しくださいました。 明主様は、御歌や聖言の中で、「創造」という表現以外にも、「造る」、「建設する」、「樹立する」、「始める」、「生まれる」などの様々な表現で神様の創造のみ業を讃えておられます。 私は、明主様が私どもに対し、神様はどこまでも創造するお方であることを私どもが信じ、その神の聖徒として、創造の目的に従って力強く歩んでほしいという熱い思いを持っておられると思います。 私どもは、明主様に倣い、どんなことがあっても神様を信頼申し上げ、神様が定められた創造の目的を決して見失うことなく、勇気をもって生きてまいりましょう。 神様は、創造の主であられます。 神様のなさるみ業は、すべて創造であります。その神様が私どもの本当の親であられ、実に、私どもの中で生きておられるのですから、私ども一人ひとりのことを一番よくご存じであられます。 私どもが、悩み苦しみの中にある時、また、心の弱さ貧しさを感じている時、私どもを常に励まし、私どもの頑なな心の扉を開いて、砕けた心になって、ご自身のみもとに立ち返ってくるようにと、一生懸命ご努力くださっています。 その御心に感謝し、私どもは今こそ、希望と栄光に輝く未来を創造するみ業に、先祖の方々と共に、万物と共に、お仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。 ありがとうございました。