皆様、あけましておめでとうございます。 誠に畏れ多いことではありますが、唯一であられる神は、私どもの中で、すべてのものの中で、永遠に生きておられます。 神の創造の目的は、ご自身に似た子ども・メシアを生むことであります。 神は、創造をお始めになる前、天国において、あらかじめ、創造の目的を成就するために必要なすべてのみ業を成し終え、メシアの御名にあって、息と共に創造をお始めになりました。 創造されたすべてのものは、メシアと名付けられた、神の一つ体であり、私ども一人ひとりの中で創造が行われております。 輝かしい年の始めを迎えた世界中の信徒一同、神の子として新しく生まれるために、イエス・キリストと明主様を通して賜る真の福音によって、日々新しく養い育てられていることを、父なる神に感謝申し上げたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 明主様は、御歌に、「争ひを好む獣の性なくし平和を好む人つくるわれ」とお詠みになりましたように、人類の持つ争いの心を、平和な心に作り替えようとしておられます。 私どもは日頃、争いというと、人と人、国と国など、人間同士の関係については考えますが、私ども人間と本当の親である神様との関係については、あまり考えないのではないでしょうか。 その神様との関係について、明主様は、御歌に、「大前に額く我となりにけり神に背きし罪を悔みて」とお詠みになり、ご自身が神様に背いた関係にあったことを認めておられます。 神様に背いたこととは、一体何でしょうか。 私どもは、神様からの大きな愛により、生命と意識と魂を賜って人間とならせていただいたにもかかわらず、それらを自分のものとしてしまいました。 このことについて、聖書では、神様は人に向かって、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない」(「創世記」第2章16節~17節)と命じておられるのに、人は、その木の実を取って食べてしまったことが記されております。 取って食べるということは、自分のものとすることを意味しているのではないでしょうか。 私どもは、神様から禁じられているにもかかわらず、神様に背いて、生命と意識と魂を自分のものとしたために、思い上がり、神様よりも自分を主体とし、自分が作り上げた善悪の尺度をもって互いに相争うようになってしまいました。 このような私どもの生き方そのものが、明主様の仰る、神様に背いた姿、神様と敵対し、争う姿だったのではないでしょうか。 このような、神様に背く人間の姿は、人間の心掛けや努力ではどうすることもできないものであります。 だからこそ、明主様は、神様に背いた人間を赦すためにイエスをお遣わしになった神様を信じ、その罪の贖いのために流された血汐とその恵みを全身にお受けになったと思わずにはいられません。 神様は、イエスの御血汐をお受け取りになり、私どもを赦し、神様と和解させてくださり、天国に迎え入れてくださったのです。 平和は天国にあります。その天国におられる神様との和解があるからこそ、この世の人間同士の和解、平和も可能なのではないでしょうか。 私どもは、イエスの御血汐を受けた者として、神様に対し、〝あなたと和解することを許してくださったのですね。すべてのものと共に天国に立ち返らせていただきますので、あなたがお持ちの平和と安らぎをもって、すべてを治めてくださいますように〟との思いを神様に捧げさせていただきたいものであります。 このように、メシアの御名にある平和を私どもを通してもたらそうとしておられる神様をお讃えしつつ、私どもは、「祈り、食、音楽」という真の救いの三本柱の実践に更に一層励ませていただきたいと思います。 また、昨年7月にアフリカ・アンゴラの地に誕生した「土の聖地」の建設奉仕が始まろうとしている今、そして、ブラジルの信徒の方々が「水の聖地」を担う使命に燃えておられる今、天国の写しとしての聖地の建設にあらん限りの力を注がれた明主様の尊いみ心を胸に深く刻み、私ども一同、「火の聖地」たるメシア聖堂の建設に向けて精一杯努め、多くの人々と共に、自分に内在する天国に常に心を向けることができる者にならせていただきたいと思います。 そして、神様があらかじめ天国で成し遂げてくださった、メシアの御名にある祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、これから世に生まれ出る子どもたちに、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに定め、未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えになる皆様にとりまして、本年一年が、光と安らぎに満ちた希望の年でありますようお祈りいたしております。 ありがとうございました。