皆様、あけましておめでとうございます。 誠に畏れ多いことではありますが、創造の主であられ、私どもの父なる神・主神の創造のみ旨は、ご自身に似た子ども・メシアをお生みになることであります。 主神は、まずイエスをキリスト、すなわち、メシアとすることによって創造のみ旨を成就し、全人類が神の子となり、永遠に生きる者となる道を整えてくださいました。 明主様は、イエスの流された血汐による贖いと復活を信じ、罪赦された者として自らを主神に捧げられ、メシアとして新しくお生まれになりました。 主神は、イエスのみならず、明主様をメシアとすることによって、メシアとなる道が全人類に開かれていることをお示しくださったのです。 輝かしい年の始めを迎えた世界中の信徒一同、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々と共に、万物諸元素と共に、天国に立ち返り、神の子として新しく生まれるべく、日々新しく養い育てられていることを主神に感謝させていただきたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 明主様は、「神は光」であるとお述べになりました。 そして、「光と栄えを欲する者は来れ」と私どもに呼びかけてくださっています 私どもは、元々、創造の始まりの天国において、大光明燦然と輝く神の光に満たされ、光り輝いておりました。 神の光は、生命であり、今も私どもの中で生き生きと輝いています。 その光と共におられる明主様は、私ども一人ひとりが、自分の中に光があり、天国があることを思い出して、その天国に「来れ」、すなわち、〝立ち返ってきなさい〟と呼びかけてくださっています。 しかしながら、世に送り出された私どもは、元々天国にいたことを忘れ、神様の生命と意識と魂を自分のものとしたために、神様に背いた罪の重荷を背負った者となり、もはや自分の力では天国に立ち返ることができなくなっていました。 このような罪深い私どもを神様は顧みてくださり、イエスを世にお遣わしになりました。神様は、イエスを十字架にかけ、イエスが私ども人類の罪の贖いとして捧げた血汐をお受け取りになり、私どもを天国に迎え入れるために、私どもを赦し、罪なき者としてくださいました。今や私どもは、御血汐により贖われ、赦された者として、光の源である天国に立ち返ることができるのです。 何と神様は恵み深いお方なのでしょう。 だからこそ、明主様は、「来れ」と私どもに呼びかけてくださっているのではないでしょうか。 私どもは、物事が明るく見える時や善い事と思う時には、光があると言い、反対に、物事が暗く見える時や悪い事と思う時には、光がない、闇だと言って、光と闇とを区別しておりました。 しかしながら、私どもの中には、目に見えるような光を越えた、明主様の仰る「大きな光」が存在するのです。霊なる光、真の光が存在するのです。 その「大きな光」は、光と闇とを一つものとして包み込んでくださったのです。 私どもの心の闇も、「大きな光」によって包まれてしまったのです。 私どもが自分の心が闇に覆われていると感じるのは、心に闇を抱える先祖を始め多くの人々が、私どもの意識の中心に輝く「大きな光」をめがけて集まってきていることを、神様が私どもに気づかせようとしておられるからです。 私どもは、少しでもそう思えたならば、神様に対し、〝多くの方々と共に御血汐を全身の細胞にお受けいたします。贖われ、赦され、甦らせていただいた者として、光の源なる天国に立ち返らせていただきますので、メシアの御名にあって御手に治めてくださいますように〟と申し上げる必要があると思います。 明主様は、神様が一人でも多くの人に対し、自らの中に天国が存在することを思い出し、真の生命の親に心を向けてほしいと強く願っておられる、その神様の御心にお応えになろうとして、天国の写しとしての地上の聖地のご造営に心血を注がれ、その営みを神様のなさったみ業として神様にお捧げになりました。 その尊い明主様のお姿に私どもは倣わせていただき、自らがメシアの御名の教会の聖徒であるとの自覚をもって、「メシア聖堂」の建設に向けて一丸となって精一杯努めさせていただきたいと思います。 そして、明主様が明言された、キリスト教と呼応して救いを成し遂げるというみ業が、自らの内に進められていることを認め、その救いにすべてのものと共にお仕えさせていただきましょう。 そのようにお仕えになる皆様にとりまして、本年一年が、真の光と希望に満ちた前進の年でありますように。 ありがとうございました。