明主様御歌西に生まれ東に移りし文明を浄めて復へす時となりける東方の光はひろぎひろごりて西の涯まで照しゆくらん世に勝てるメシアはいともはればれと西の都に入らすよき時栄光の雲より降るキリストに歓び勇む西の国人イスラエルの民も歓呼の声あげむ輝きいでます真のメシアに明主様聖言「人類の救済と世界平和に貢献 世界救世教誕生の意義と使命」人類世界から暗黒面を徹底除去 神の代行者として表に出るキリスト教と呼応 東洋に洽く布教神威さらに強し 病貧の不安一掃昭和25年2月4日 問 大先生がこんど教主になられた理由は……明主様 神の代行者として表面へ出たまでである。 問 新教の新教理を御伺いしたい。明主様 世界全人類の救済を最大の理想とし、ことに善悪の区別をハッキリして悪を滅し、善を大いに助けてゆきたい。これが神の御意志である。善にして酬われざるもののいかに多きことか、実に慨嘆*にたえない。新教はまず善人をあらゆる手段を尽して救済し、人類世界から暗黒面を徹底的に除去するトリデとしてゆきたい。そのためには悪鬼どもとのたたかいは依然つづくであろうが、これは一つの過程として忍ばざるを得ないだろう。 問 世界メシア教の世界的な意義は……明主様 信仰によって世界全人類を幸福にみちびくのがその最大の目標です。しかし西洋にはキリスト教があります。そのキリストの曰く「天国近づけり……」はわが教理と最も近きにあり、わが教理は「現世の天国」を一日も早くつくることにある。キリストの遺訓まことに立派で、やはり世界人類救済の神力や偉大です。私はわが新教はこのキリスト教と呼応し、東洋において、わけてもまず日本で、人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい。従ってこのことが今後の世界平和に必ず大きな寄与をなすものと堅く信じています。まことに本教こそ日本で生れた最初にして最大の世界平和推進に役立つ宗教であろう。宗教に国境なしという言葉がある通り、本教の真面目と現実の霊験が納得できれば必ず日本人は勿論東洋人全たいが真に平和に徹した高邁、清純な精神を保持することが可能である。世界平和のために、人類世界の争闘をなくするためにも本教将来の活動が活溌にならなくてはならない。この真理を了解できざる人々こそ平和を希求しない不幸な人々だといえよう。 問 いまの御説は前からの大先生の持論だったと思いますが……明主様 その通り。神の御力が増したからこの理想はさらに現実的に大きくなるわけである。 問 病貧への救いの業も更に威力を増すことになりますか。明主様 いまより以上に最大の力を発揮するであろう。善の心をもてる者はいかなる難病、苦労からも必ず救われる。これが開教宣言真実の告白であり、疑うものまず試されてのち、批判されるがよかろう。* 慨嘆 激しく腹を立てて嘆くこと。昭和27年10月18日 御講話 それから之は前から話しようと思っている事ですが、やっぱり時期が来ないとはっきり話す事が出来ないので言わなかったのですが、時期が来ましたから今日初めて話するのです。之は昔から、西洋での余程古い、キリスト教だろうと思いますが、「東方の光」という事を言い出したのです。東方の光というのは、人の口から口へとずっと話されているのです。東方の光というのは漠然としていて今迄は本当に分らなかったのです。その東方の光に就いて今日話そうと思って居りますが、東方の光というのは私の事なのです。それは色々ありますが、一番はっきりしている事は世界の東が日本です。極東と言いますから、東には間違ないのです。日本の東は東京なのです。東の京としてあるのですから東に違いありません。東京の東は浅草です。浅草の東は橋場という所です。私は橋場という所で生まれたのです。橋場で生まれまして、それから転々として西へ西へと、斯うして来たのです。最初は、千束橋という所がありますが、それから日本橋です。浪花町という所があります。それから京橋の木挽町という所がある。それから大井という所ですが、今は大田区の大井と言うのです。それから大森、玉川。それから箱根、熱海で、今度は京都に、と数えると八つになっています。八つで西へ西へとなっています。 今度は何処かと言うと、九州です。未だ時期が来ませんが、いずれ九州に地上天国が出来るのです。其次が支那に出来るのです。それからエルサレムです。あそこでお終いです。ですから西へ西へと行くわけです。エルサレムに地上天国が出来た時が、世界の地上天国の初めになるのです。それからが世界が統一されるのです。之は私が言うのではなくて、昔ユダヤの方でそういう予言があるのです。エルサレムでは、将来世の中を救う人が此処に来られるという事で、四つの門があって、四つの門の内三つは常に出入りは出来るのですが、一つの門丈は〝開かずの門〟と言いまして出入りが出来ない。段々西へ行って、あそこに行く時に初めて開いて、開かずの門というのは消えて了うのです。そんな様なわけで一種の予言ですが、予言というより確言と言った方がよいでしょう。間違ありません。若し嘘を言ったら、私は嘘吐きになりますから、殴られはしないでしょうが、全然信用を無くしますから、嘘は言いません。『御教え集』15号聖書「ローマ人への手紙」第11章1節~第12章2節 そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなたがたは知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った。「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこぼち、そして、わたしひとりが取り残されたのに、彼らはわたしのいのちをも求めています」。しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。 「神は、彼らに鈍い心と、 見えない目と、聞えない耳とを与えて、 きょう、この日に及んでいる」と書いてあるとおりである。ダビデもまた言っている、 「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、 つまずきとなれ、報復となれ。 彼らの目は、くらんで見えなくなれ、 彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。 そこで、わたしは問う、「彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか」。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救が異邦人*に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう。 そこでわたしは、あなたがた異邦人に言う。わたし自身は異邦人の使徒なのであるから、わたしの務を光栄とし、どうにかしてわたしの骨肉を奮起させ、彼らの幾人かを救おうと願っている。もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、 「救う者がシオン*からきて、 ヤコブ*から不信心を追い払うであろう。 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、 彼らに対して立てるわたしの契約である」。福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない。あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。 ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。 「だれが、主の心を知っていたか。 だれが、主の計画にあずかったか。 また、だれが、まず主に与えて、 その報いを受けるであろうか」。万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。* アブラハム イスラエル民族の始祖であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の父。* ベニヤミン アブラハムの孫ヤコブの12番目の息子ベニヤミンを祖とする一族。イスラエルの最初の王サウルの出身部族でもあった。* こぼち 「破壊し」の意。* バアル 古代シリア・パレスチナ地方で信仰された、嵐や豊穣を司る神。当時の多くのユダヤ人はバアルを偶像崇拝し、預言者エリヤはこれを痛烈に批判していた。* 異邦人 神無き民。ユダヤ教徒以外の人々。* シオン 「神の都」の意。エルサレムのこと。* ヤコブ イスラエル民族の父祖アブラハムの孫で、のちに「イスラエル」の名を与えられる。イスラエル十二部族はいずれもヤコブの子孫。『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)※注釈は世界メシア教によるもの。