%3Cdiv%20class%3D%22instagram-embed%22%3E%0A%20%20%3Cblockquote%20%0A%20%20%20%20class%3D%22instagram-media%22%0A%20%20%20%20data-instgrm-permalink%3D%22https%3A%2F%2Fwww.instagram.com%2Freel%2FDZQ7p8uCDdq%2F%22%0A%20%20%20%20data-instgrm-version%3D%2214%22%3E%0A%20%20%3C%2Fblockquote%3E%0A%3C%2Fdiv%3E%0A%0A%3Cstyle%3E%0A.instagram-embed%7B%0A%20%20display%3Aflex%3B%0A%20%20justify-content%3Acenter%3B%0A%20%20width%3A100%25%3B%0A%20%20margin%3A40px%200%3B%0A%7D%0A%0A.instagram-embed%20.instagram-media%7B%0A%20%20margin%3A0%20auto%20!important%3B%0A%20%20max-width%3A400px%20!important%3B%0A%20%20width%3A100%25%20!important%3B%0A%7D%0A%3C%2Fstyle%3E%0A%0A%3Cscript%20async%20src%3D%22%2F%2Fwww.instagram.com%2Fembed.js%22%3E%3C%2Fscript%3E【真明様聖言(みことば)】明主様が教主の座を確立された時、明主様は、教主というのは神の代行者として世に出る立場だと言われましたよね。明主様は神様に対しての順序・礼節を私たちに学んでほしかったわけです。神の代行者。明主様は、教主は神の代行者と仰せになった。神は唯一であり、教主はその神様の代理なわけですね。いつも言いますように、教主様は神様そのものではないですが、明主様によれば、教主というのは神様をこの世で代行されるお立場。ということは、私たちの立場からすれば、教主様というご存在にお仕えすることを通して、神様に対する順序・礼節の姿勢を学んでいるわけです。「神様は愛だ」「神様は全てを赦される」と言うことは簡単ですが、神様はご自身の息子を犠牲にされた。イエスのことですね。人類のために、私たちのために、ご自身の息子を捧げてくださったんです。これは神様にとっては本当はされたくないことだったんですよ。神様の順序・礼節にはもちろん神の愛が満ちているわけですが、同時に、厳しさもあるんです。神様の順序・礼節を受け入れない方々には、この厳しさがより強く感じられる。私たちは神様の順序・礼節から逃げて、自由を手に入れたいと思ってますからね。 でも本当は、神様の順序・礼節を受け入れて初めて、本当の自由が手に入るんです。