神力と神愛により、我ら正義を貫き、必ずや悪に勝つ。天の父を背負いし我らに敵無し。〔明主様〕 先ず宗教とは何ぞやといえば、言うまでもなく宗教理論や宗教哲学を難しく説く事ではなく帰する処正しい人間を造る事であって、それ以外の何物でもない。然し口でいえばそれだけの事で甚だ簡単であるが、実際上その簡単な事がとても難しいのである。論語に、言うは易く行うは難しという言葉があるが、全くその通りであるとしたら、何でそのように難しいかをかいてみよう。 如何なる人間でも、偉くなるにも金を儲けるにも出世をするにも大抵の人は善い事ばかりでは駄目だ、どうしても幾分かの悪い事が交るのも止むを得ないというように思込んでいるのが実情である。而も楽しみや遊び事に対してさえも、善い事よりも悪い事の方が面白いとされている。右のような考え方が何百何千年も続いて来たので、遂に人間処世の常識とさえなって了ったのである。昔から之に対し、法律や道徳教育 等によって改善しようと骨折っては来たがその効果は甚だ微々たるものであるとすればどうしても宗教より外に方法のない事は今更いう迄もない。然し単に宗教といってもその力の強弱が大いに関係する。それは力の足りない宗教ではどうしても悪に勝つ事が出来ない。宗教信者でありながら非行にうち勝ち得ないものもその為である。如何なる宗教でも本当に正義を貫く信者は寥々たる有様である。 以上によってみる時、その結論としては、悪に打勝つ力ある宗教が現われなくてはならない。それによってのみより善い社会も幸福な平和世界も生れるのである。吾等が唱える信仰即正義とはこれを言うのである。「信仰即正義」1950年6月3日〔聖書〕 すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。「ヨハネの第一の手紙」第5章1節~5節〔教主様〕 「村肝の生命の限り戦はんこの世滅ぼす曲のたくみと」。 「この世滅ぼす曲のたくみ」というのは、人のことではなくて、自分の中にそういった要素がいろいろありますよね。そして、そういう自分自身の姿を正当化しようとする思いも湧いてくる。 「村肝の生命の限り戦はん」とありますけれども、神様が戦うといっても、神様は常に負けることのないお方ですからね。世の戦争のことを連想されると困るのですけれども、神様というのは、とにかく、勝利をお持ちの方です。 その神様が、一生懸命私の中でそういう曲のような要素を受け取ってくださって私を守ってくださっているんだな、というように思わせていただくことがいいんじゃないかなと思います。明主様は悪に負けるなということも仰せですけれども、同様の意味ですよね。 今日の祭典では、明主様の「正義」に関する聖言を拝聴しましたけれども、正義といっても、これは、神様のことですよ。明主様は神は正義とも仰せですからね。 だから、明主様が「正義」と書かれたところを「神」と置き換えて読んでみられるのもいいかもしれませんね。 明主様のいろんな御論文、御講話、御歌、その他いろいろなことも、表現はいろいろですけれども、結局は神様の創造の御旨、御心、要するに、神様がご自身の子供を必ずお生みになる、我々を必ずご自身の子供とすると定めておられるのであって、それが狂うことはない。そして、そのために神様はすべてをご用意くださっている。 自分の周囲の状況も含め、全部、神様が私たちを養い育てるためにいろんなことを私たちに与えてくださっている。 確かに明主様の聖言には警告的な表現とかもありますけれども、それは、すべてを赦して、迎え入れて、ご自分の子とするという神様のご意志の中でのいろんな表現だと思っていただいたほうがいいですね。「ご面会(理事・教区長)」2020年8月1日〔真明様〕 人間は見返りを求めますね。自分は愛を施したのでちゃんとそれに応えてくださいと我々は言う。私はこれだけしたんだからちゃんとお返しをくださいと言っている。あるいは、永遠の愛を誓ったのに、何十年か経ったらもうその気持ちは消えましたとなるように、移ろいやすい愛ですよ、人間の愛は。 でも神様は、我々にどんなことを言われようが、何をされようが、我々のことを愛してくださる。だから、無償の愛なんです。そして、我々のように何十年経ったら薄くなるような愛ではないんですから、不変の愛でもあるんです。 だから、神様の愛というのは、無償で不変で永遠の愛。これが神様の愛です。 だって事実なんですから、神様が私たちのためにいいことしかなさらないのは。これは永遠に変わらないんですよ。我々がそのように思おうが思えまいが、神様のことから離れようが離れまいが、神様が我々にとっていいことしかされないというのは事実なんです。 だから僕は、陳腐な表現ですけれども、「最後に愛は勝つ」と、そう言いたいんですね。 最後に愛は勝つ。 人間の愛じゃないですよ。神様の愛は最後に勝ちますよ。我々がどんなに神様から離れようとも、神様はずっと私たちを愛してくださって、そしてその愛に我々が触れて、ああ神様ずっと愛してくださってたんですねと言って神様の愛が最後に勝つんです。我々の一人ひとりの中でですよ。だってその愛が私たち一人ひとりの中にあるんですから。 絶対に変わらないもの、絶対に見返りを求めないものが私たちの中にあるんです。そして神様は、我々からどんなにこけにされようとも、愛してくださってるんです。「最後に愛は勝つ」2023年2月5日教会誌『グローリー』No. 51, 2024/4月号掲載聖書出典:『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(日本聖書協会)