PDFダウンロード:https://ourl.jp/wet9P真明様聖言ビデオ(ポルトガル語) Sagradas Palavras do Masaaki-Sama“A África aceita Kyoshu-Sama como Meishu-Sama”(vídeo em português)真明様聖言玉稿(ポルトガル語)Sagradas Palavras do Masaaki-Sama“A África aceita Kyoshu-Sama como Meishu-Sama”(texto em português) 皆様おはようございます!お元気ですか? 教主様が旧聖地において聖言を宣べられていました時、教主様は、よく、「ようこそ聖地へ」という旨のことを仰せでした。 それが、いかにも教主様がご自分の家である聖地に信徒の皆様を迎え入れているように感じ、私はそのフレーズが好きでした。と同時に、このフレーズは、世界中のどこであろうと、聖地というのは明主様のものであること、すなわち教主様のものであることの証明でもあるのだと感じていました。つまり、聖地というのは教主様のお家なのですね。 しかし、教団浄化が発生し、教主様は、このフレーズを仰せになることが何年もできずにおられました。それが、今日、長い年月を経てようやく、私は、大いなる喜びをもって、また、教主様の御名にあって、アフリカの信徒、また今日お集まりの世界中の信徒の皆様に、言わせていただきたいと思います。 ようこそ土の聖地へ!(一同拍手) さて、まず私が着ている服のことについて話さなければなりませんね(真明様はアフリカの民族衣装のいで立ちであられた)。皆様は私の服装気に入りましたか?(一同喝采) マミが着ている服を見ることができましたか?(マミ奥様も真明様と同じ生地で作られたスカートとスカーフを身につけておられた) 見られましたね(多くの信徒が「見られてない!」という意思表示)。え?見られてないんですか?では、マミをここに呼んだほうがいいですか?(信徒から「はい!」の返事) (真明様、マミ奥様に対して)では、マミ、よろしくお願いします。 (舞台に急いで歩かれるマミ奥様をご覧になり)ゆっくり、ゆっくり。 (マミ奥様が真明様の横に到着されて、真明様)同じ生地で作ったんです。マミはスカーフとスカート。私はシャツ。 どういうことかというと、数年前、私はこの生地をアフリカの信徒の皆様より受け取りました。でも、何年も何もせずにおりました。それで、今回のアンゴラへのご巡教の準備をしながら妻といろいろ話している中で、ぜひこの生地を使って服を作り、アフリカの信徒の皆様への感謝を表現させていただこうと、そういうことになったんですね。 ただ、そこには一つ問題があって、日本で、このような生地を使って一からこちらの希望するような服を作ってくれるところがなかなか無い。でも、いろいろ探しに探して、秘書の方がやってくれるお店を見つけてくださいました。 次のステップとしては、インターネットとかで、今アフリカで流行っているファッションなどを二人で念入りに研究しまして、どういう形状のシャツとスカートにしようかとか、そういうことを決めました。私たちの服のデザイン、どうですか?(一同喝采) 私たちは、このいただいた生地の色が白とよく合うかなと思い、マミは白いジャケット、また、私は白いズボンと靴を準備しました。うまくいきましたよね?(一同喝采) 皆様、もう十分マミの姿は確認できましたね?(と仰せになると、真明様はマミ奥様のそばに行かれ、お二人の服装を信徒によく見られるようにしてくださった) マミにも少し話してもらいたいと思うのですが、いかがですか?(信徒一同賛同の声)マミ奥様 (ポルトガル語で)皆さま、おはようございます!(信徒一同、「おはようございます!」) 皆さまとお会いできて、とてもうれしいです(一同喝采)。 私はアフリカを愛しています!(一同大喝采) この先は日本語で話してもいいですか?真明様 (ポルトガル語で)ノーです!みんなの意見も「ノー」のようです(一同笑声)。 (マミ奥様、真明様に「お願いします」のお声)冗談です。もちろん、よろしくお願いします。マミ奥様 (日本語で)昨年、真明様は、アンゴラからお戻りになってすぐ、私にこのようにおっしゃいました。「あなたにもぜひ、アフリカの信徒の皆様に会ってほしい」と。 真明様は、昨年、アフリカの皆様とお会いできたことを本当にお喜びになっておられました。そして、「どうしてもマミにもアフリカに来てほしい」という強いお気持ちをお示しになりました。 私は、真明様は、心底アフリカを、そしてアフリカの皆様を愛しておられると感じております。真明様が愛される、ここアフリカに来させていただくことができました。真明様が愛される、アフリカの信徒の皆様にお会いすることができました。 私は感動で胸がいっぱいでございます。 今回の滞在では、皆様の尊い信仰に触れさせていただき、本当に多くのことを学ばせていただきました。そして今も学ばせていただいております。 今後も、真明様を先頭に、皆様と共に歩ませていただけたらうれしいです。 皆様とお会いできて、本当に、本当にうれしいです。誠にありがとうございました。 Muito obrigada!(皆さま、ありがとうございます!)真明様 (冒頭より引き続き、ポルトガル語にて)妻・マミのことについて少し話させてください。 私は、マミがいなければ、本当に、何者でもありません。私は、心の底からマミのことを愛しています(信徒一同、この日一番の大喝采を上げる)。 マミと出会った時、私は、彼女の明るい笑顔に恋をしました。そして同時に、彼女が持つ純粋性に強く惹かれました。マミと結婚できたことは、私の人生の中で、間違いなく、神様と明主様がくださった最大の祝福です(一同喝采)。 (真明様、マミ奥様のほうを向かれ)マミ、僕と結婚してくれて本当にありがとう(一同また大喝采)。 服の話に戻りたいと思うのですが、先ほども申しましたように、当初私たちは、皆様アフリカ信徒に感謝を示すため、そして皆様にお喜びいただくためにこの服を用意しました。 でも、実際に服が出来上がり試しに着させていただいた時、言葉にできない思いを感じました。とてもうれしいのです。アフリカの信徒の皆様に喜んでほしいと思って始めたことだったのですが、なぜか、私自身が強い喜びを感じたのです。 これはどういうことだろうと思って、いろいろ思いを巡らせました。なぜアフリカの伝統的な服を着ることでこんなに私はうれしさを感じるのだろうと、いろいろと思いを巡らせました。 そして思ったのは、ああそうかと、明主様は、「真明よ。アフリカ人になりなさい」と、そう私に言っておられるのではないかと、そう感じさせられました。明主様は、私に、「本気でアフリカ人になりなさい」と願っておられる、だからこの服を着たことでこんなにうれしいのかと、そう思いました。 でもそのあと思わされたのは、いや、そうだとして、「アフリカ人になる」とは具体的にどういうことなのかと、それを考えさせられました。 そして私は、ああそうか、明主様は、私に、見た目だけでなく、心もアフリカ人になれと、そう願っておられるのだと、そう思わされました。 アフリカの信徒の皆様から学ぶべきことはたくさんありますが、私は、次の3つの点が、心もアフリカ人になるために大事なことだと思います。 一点目。アフリカ人になるとは信仰の純粋性を持つこと。 今日は、日本、ブラジル、ヨーロッパからの参拝団も来ていますが、アフリカ以外の私たちの信仰は生温いです。アフリカに比べ、日本、ブラジル、ヨーロッパなどの国々は物質的に恵まれすぎているがゆえに、そこの信徒の信仰は生温いです。 信仰の純粋性を持つのは本当に難しいことです。物に囲まれれば、信仰の純粋性などは簡単に失ってしまいます。不自由無い暮らしをする中で、どうやって神様のことを信じられるというのでしょうか。ほぼ不可能なことです。 はっきり申し上げますが、日本の信徒の信仰は、アフリカの皆様の信仰とは比べ物にならないほど弱いです。 勘違いしないでいただきたいのは、もちろん私はアンゴラが経済的にも発展することを願っております。でも、物に囲まれるようになれば、信仰の純粋性を保つのは本当に難しいことです。 そういう意味において、私は、アフリカ信徒の皆様にお願いしたい。たとえ皆様が経済的に豊かになったとしても、今お持ちの信仰の純粋性を失わないでください。なぜなら世界中の信徒は、皆様がお持ちの信仰に憧れているからです。 二点目。アフリカ人になるとは、逆境に遭遇しても、まず喜ぶということ。 明主様は、喜べば喜びごとが来ると聖言くださいました。決して、いいことが起きた時に喜びなさい、とは仰せではない。むしろ、逆境に遭遇した時、まだなにもいいことが起きてない時に、まず喜びなさいと仰せなのです。まず喜べば、結果として、いいことが起きてきますよと、そう仰せなのです。 私は、世界中の信徒は、明主様が私たちに持ってほしいこの信仰について、アンゴラ信徒、またアフリカ信徒はそれを実践していると受けとめていると思います。 三点目。アフリカ人になるとは、教主様は明主様であられると信じること、これだと思います。 先ほど同様、世界中の信徒は、アフリカ信徒はこの信仰を持っていると思っているがゆえに、アフリカ信徒に尊敬の念を抱いていると思います。 私たちがまだ昔の教団(主に世界救世教のこと)に属していた時、私たちは、「明主様はこうだった」「明主様はこんなことをされていた」「明主様は御書をこのようにお書きになっていた」「明主様はここにお住みになっていた」などのことを言っていました。要は、明主様を、もはやこの地上には存在しない、歴史上の人物のように扱っていたのです。 しかし私たちは、歴史上の人物に仕えているのではなく、生きたご存在に仕えているのです。すなわち、教主様にお仕えしているのです。生き身の明主様であられる教主様にお仕えしているのです。 聖地についても同じことです。昔の教団の時代、私たちは、教主様に向かって、「聖地へようこそ」と申し上げていたのではないでしょうか。「聖地を管理するのは教団である。だから、教団が教主を聖地に迎え入れてあげるのだ」と、このような認識だったのではないでしょうか。 しかし、本来聖地は教主様のご自宅であるのですから、「聖地へようこそ」と言う権利を持っているのは教主様のみなのです。教主様が生き身の明主様であられるなら、これは当然のことではないでしょうか。 上記三つの点ですが、究極的には三つ目の点にすべては集約されると思います。教主様が生き身の明主様であられると信じること、これに尽きると思います。私は、アフリカ信徒が持っておられるこの三つ目の点についての信仰──教主様を明主様と信じる信仰──から多くのことを学び、今も学ばせていただいております。 今回アフリカでは教団浄化がありましたね。今もまだ続いている面もあると思います。軽い分裂のような状態になりました。 最初アフリカでの教団浄化のことを耳にした時、離れた日本にいたこともあり、状況を理解するのに時間がかかりました。すべての情報が日本まで到達するわけでもありません。ですので、私は少しとまどいました。「私の愛するアフリカで何が起きているのだ」と、少しとまどいました。 しかし、教主様がカブーソ本部長へのご認証をお与えになったのを拝見した時、私のとまどいは無くなりました。完全に消え失せたのです。 このご認証行為について、アフリカにいる一部の方々は、「アフリカで何が起きているか教主様はご存じではないのだ」とか、「教主様の周りにいる方々が誤った情報を教主様に伝えているのだ」のようなことを言っていました。しかし、このような思考に陥ってしまうのは危険なことです。 というのは、もし教主様が生き身の明主様であられるのだとしたら、当たり前のことですが、教主様は明主様とつながっている、ですね?そして、明主様は神様とつながっておられ、神様というのはすべてのことを知っておられる。神様はすべてをご存じである。 ということは、教主様は、神様と明主様につながったご存在であり、もしこの教主様がカブーソ本部長へのご認証をお与えになったのだとしたら、私、真明が、この教主様のご行為を疑うことなどできるのでしょうか。決してできません。 私はこのように思いましたので、私のとまどいは完全に消え失せたのです。 教主様がご認証になるということは、すなわち明主様であり神様が認証されるということですから、どこまでも神聖な行為であります。 同時に、教主様が認められたカブーソ本部長を受け入れないということは、教主様を受け入れないことであり、明主様を受け入れないことであり、神様を受け入れないことでもあります。 ここで、皆様に質問をさせていただきます。皆様は、カブーソ本部長を、教主様からご認証を受けた方として受け入れますか?(信徒一同「はい!」の返事) 私がここアンゴラにいる時、教主様を代行するのは私です。しかし、私が日本に戻ったあと、皆様は、カブーソ本部長が教主様の代理であると認めますか?(信徒一同「はい!」)はい、ですね?皆様、おめでとうございます。 話は変わりますが、皆様は今回40名の日本信徒を受け入れています。去年は100名近くでした。これは、なにも、日本の信徒のアンゴラに行きたいという意欲が減ったわけではありません。そうではなく、アンゴラ側の受け入れの負担が大きすぎないよう、人数制限をさせていただいたからです。また、今後も毎年土の聖地への参拝団を組ませていただくため、一度に無理をしない、という意味でもあります。実際には、もっと多くの信徒がアンゴラの皆様にお会いしたかったのです。 皆様もご存じかと思いますが、日本においては、現在、メシア聖堂建設のため、信徒は献金の奉仕をさせていただいております。そのような中にあって、アンゴラに行くのは決して安い出費ではありませんが、多くの日本信徒はアンゴラに行きたいと願っている。借金をしてまでアンゴラに来られている方もおられるんですよ。 借金をしてでも日本信徒は皆様にお会いしたい。アフリカ信徒の皆様。世界中の信徒が皆様に対して持っている尊崇の念がいかに強いか理解できますか?今までになかったことではありませんか?皆様は、この世界中の信徒の思いに応えなければならないという大変な責任を担わされている。分かりますか? でも、究極的には、私はこういうことを、皆様がアフリカ人だから申しているのではありません。正直、アンゴラ人であろうと、アフリカ人であろうと、日本人であろうと、ブラジル人であろうと、ポルトガル人であろうと、そんなことはどうでもいいのです。 大事なのは、教主様が明主様であると信じる信仰です。人種とかではなく、この点こそが大事なのです。そして今、ここアンゴラにおいて、皆様は、教主様は明主様であるということを100%信じておられる。だから世界は皆様に尊崇の念を抱いているのです。 私もアフリカの皆様を深く尊崇し、また、皆様を信頼しているがゆえに、このたび私は、皆様にあるお願いをするためここにまいりました。 それは、来年の2026年、皆様には、ここアンゴラにおいて、世界青年信徒大会を執り行っていただきたい(一同喝采)。 世界メシア教の未来である青年信徒にここアンゴラに来てもらい、皆様の信仰を学んでいただきたいと、私はそう願っています。世界中の青年信徒は、皆様を通して、本当の信仰をつかんでほしいと、そう願います。なぜなら、それが教団の未来にとって大切だと私は思うから。 この場で突然このことを発表させていただいたので、カブーソ本部長は少し驚いているかもしれません。 どちらにしても、私は、来年、皆様に世界青年信徒大会を開催していただきたい。皆様、世界中の青年信徒を迎え入れるという役割を皆様に託してもよろしいですか?(信徒一同「はい!」。それにお応えして、真明様)アフリカ、おめでとうございます! 私も来年またアンゴラに来ていいですか?マミと一緒に来ていいですか?(信徒一同「もちろん!」) では、皆様のお許しのもと、私も来年の大会に参加させていただきます。来年また会いましょう。 ありがとうございました。