先月私は、マミが、ブラジルより先にアンゴラに行くことになってしまったことについて、ブラジル信徒にお詫びの気持ちを伝えるビデオをブラジルに送りました。 その後、このビデオの内容を知るに至った日本の教団は、マミが今年、ポルトガルとブラジルにも行けるようあらゆるサポートをされたい旨私に伝えてくださいました。 マミと私は、その教団のお気持ちに驚きつつ大変ありがたく思い、感謝をもってそのご提案を受け入れさせていただきました。つまり、マミは今年、ポルトガルとブラジルにも参らせていただきます。 この決断をする前、もちろん子供たちにも話をし、許可をもらいました。子供たちの理解無くしてこのような巡教を行うことは不可能だからです。 マミは、ポルトガル、アンゴラ、ブラジルの信徒の皆様とお会いできるのを、控えめに言って、「超楽しみ」にしています。 私の海外の巡教にマミが同行するのは初めてのことであり、また、ポルトガルとアンゴラに行くのは、生まれて初めてのことです。 マミは皆様にお会いし、皆様の国の美味しいヴィーガン料理をご一緒に作らせていただけるのを待ちきれない思いでおります。 私にとっては、ポルトガルのヴィーガン料理を食べるのは初めてのことであり、待ちきれません! アンゴラのフンジとムテタ[i]、ブラジルのお米とフェジョン[ii]のことを想像するだけでよだれが出てきます。 アンゴラの皆様。私が全幅の信頼を寄せるカブーソ本部長のもと一つとして進んでいらっしゃいますか?誤っている情報に惑わされないようご注意ください。教主様と私は、カブーソ本部長と共にいます。 今年私は、ブラジルにおいて、マンジョキーニャ、ジャブチカーバ、そしてピタンガ[iii]を食べるのを楽しみにしていますが、ちょうど旬であることを願います。 食べ物の話ばかりですみません。本題に戻れなくなる前にこの話題はやめましょう。しかしこれだけは言わせてください。地上天国であるミロクの世において人類はヴィーガン食をしているという明主様の聖言はすばらしくないですか? この聖言を100%お受けしそれを実践することは、皆様のご人生にとって最良の選択の一つとなることを私は保証します。 みなで、真の明主様の信徒とならせていただきたく思います。 少し真面目な話をしたいと思います。今年の11月ブラジルに参ります時、私は、教主様の名にあって、リオデジャネイロ州はイタボライ市にある土地を「水の聖地」として聖別いたしますが、この土地を入手できたことはなんというみ恵みであったのでしょうか。この場所の水との関連性を考えてみてください。 「1月の川」を意味するリオデジャネイロという地名。「水に隠された美しい石」を意味するイタボライという地名。またイタボライ市というのは、水の洗礼をなしたヨハネを祀った教会を中心に発展してきた街なのです。 また、ブラジル世界メシア教がこの土地を購入したのは、今年のイースター期間中の4月17日で、この日は聖木曜日でした。聖木曜日というのは、有名な最後の晩餐の日でもあり、また、最後の晩餐の直前、イエスが弟子たちの足を水で洗った日でもあります。 もしイースターの期間から水に関わる日を一日だけ選ぶとしたら、それは聖木曜日になると言っても過言ではありません。ブラジルメシア教が水の聖地の土地を購入したのはちょうどこの聖木曜日なのです。 そしてまた、この土地は、なんと、「新しく生まれる農地」という名前で登記されています。おそらく以前の所有者のお一人がこのような名前をお付けになったのでしょう。 すべて、もはや理解不能です。 これらのことを奇蹟と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。この背後に明主様が働いておられないと誰が言えるのでしょうか。明主様は、確実に世界メシア教の背後におられます。世界メシア教の背後にのみおられます。決して、世界きゅ、、、あっ、この話題には入らないほうがいいですね。冗談です。 また真面目に戻ります。この聖木曜日に、イエスは弟子たちの足を洗うわけですが、足を洗うというのは本来使用人がするようなことだったので、ペテロは断ろうとします。ペテロにとってイエスは、決して使用人のような存在ではなかったからです。そのペテロに対してイエスは、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」(「ヨハネによる福音書」第13章8節)と言います。 私は、このくだりを拝読した時、あっと思ったのです。「水」と言っても、それは、究極的にはイエスの血なのだと、それに気づいたのです。イエスの血という水で清められなければきれいになれないのだと、それに気づいたのです。 水の洗礼とイエスの血というのは別々に存在しているのではなく一つである――私たちはこれを認めねばならないと思います。 神は今、私たちに、「ブラジルの水の聖地の意義は何ですか?」「ここの『水』はどういう意味ですか?」と問いかけておられます。 この問いに対しての答えはただ一つ。ブラジル水の聖地の「水」とは、イエスの血です。イエスの贖いの血です。二千年前イエスが神に捧げた、尊い、黄金の血です。私たちを清め、私たちの罪を赦す血です。この血を私たちがお受けすることができるよう、明主様は、私たちに、世界最大のキリスト教国の一つであるブラジルに聖地を持つことを許してくださったのです。 「水の聖地」という言葉を使う時、この「水」が何を意味するかということを、私たちの中であいまいにしてはいけません。この「水」は「イエスの血」なのだと、はっきり心に定めなければならないと思います。 アンゴラの「土の聖地」はいかがでしょうか。ここの「土」とはなんなのでしょうか。 「創世記」には、「主なる神は土のちりで人を造り」(第2章7節)とあります。人間は土からできた、ということです。 確かに私たちはエデンの園から追放されて地球に送られました。しかし実は、私たちは地球に来させていただいたおかげで、昔エデンの園でそうであったように、もう一度神様の子供になることができるというチャンスを神様から与えていただいたのです。 神様は私たちを一度は追放しましたが、その果てしなく深い愛により、もう一度ご自分の家に私たちを招き入れ、ご自分の子供としたいと願っておられるのです。 少し話は逸れますが、エデンの園にいた時私たちはヴィーガン食を食べていたんですよ。ご存じでしたか?神様は、エデンの園において、人間には野菜やフルーツのみを食べることを許可され、肉や魚を食べることは許可されていませんでした。 どちらにしても、土の聖地の「土」というのは、私は、人類誕生と、そしてまた、私たちをご自分の子供としてもう一度天国に迎え入れたいという神様の愛を象徴するものだと思います。ひと言で言えば「愛」です。神の愛。 このことのために土の聖地が存在するのであり、また、この愛に私たちが気づくために明主様は、アンゴラに――アフリカに――私たちのために聖地をご用意くださった。 では日本の火の聖地はいかがでしょうか。この「火」とはなんでしょうか。 明主様は、繰り返し、またはっきりと、火というのは裁きであると聖言くださっています。 例えば、「審判の火の凄じさ天仰ぎ神に祈るも已に遅かり」。 あるいは、「燃え狂ふ劫火の中も何かせむ神の霊衣に包まるる身は」。 劫火というのは、世界の終わりを告げるすべてを焼き尽くす火です。明主様は、ご自分は霊衣に包まれているがゆえに、たとえそのような世の終末に訪れる強烈な炎の中にあっても無傷でいられると仰せです。 どのような火にも燃やされない霊衣とは一体何かといったら、どう考えてもそれは「赦し」しかあり得ません。 明主様は、イエスの贖いの血を受け入れられ、神の赦しを得ていたがために、どのような激しい裁きの炎にもお耐えになることができた。 私が何を言おうとしているのかというと、それは、日本の火の聖地の「火」は、裁きと赦しを象徴するものだということです。 洗礼者ヨハネは、イエスは聖霊と火によってバプテスマを授けると言いました(「マタイによる福音書」第3章11節)が、イエスはまさにそれをされましたね。 復活から50日後のペンテコステの日に、イエスは、舌のような形をした炎を――火を――送り、そしてまた聖霊も降しました。 イエスは、裁きの火を送られたと同時に、神の赦しの御心が込められた聖霊も私たちに送ってこられたのです。 2025年の今年、ペンテコステのお祭りは6月8日に当たります。教主様と私は、この6月8日に、火の聖地となるべき土地を聖別いたします。火の聖地とペンテコステという日の持つ意義の奇蹟の一致を認めないわけにはまいりません。 海外の皆様のほとんどはこの地鎮祭・聖別式に参列できないとしても、本日私がお話ししている3つの聖地についての意義に思いを馳せていただきたいと思います。このような聖地を私たちに与えてくださっている明主様のみ心に思いを馳せていただきたいと思います。 それを思い巡らす時、これら3つの聖地について明主様が背後に働いておられないと受けとめるのは難しい、否、不可能ではないでしょうか。すなわち明主様は、教主様を通して世界メシア教を導いておられる。これは間違いありません。 このことを心の奥底で確信し、「世界メシア教」を私たちの周りのすべての方々にお伝えしようではありませんか。 キリスト教においては、ペンテコステというのは「キリスト教の誕生日」とされています。ペンテコステの聖霊を受けてから宣教を開始したことから、「宣教開始の日」ともされています。 長い年月を費やした裁判も終結し、これからいよいよ名実共に世界メシア教として進んでいく私たちにとっても、この2025年6月8日のペンテコステというのは、「世界メシア教の真の誕生日」であり、イエス・キリストと明主様の真実の福音を世界中に知らせる「宣教開始の日」ではないのでしょうか。 地上において土から生まれた人類が、真の命の水であるイエスの贖いの血を受け入れ、神の厳しい裁きの火をくぐり抜け、そして、聖霊により罪を赦されたことにより再び神の子たるメシアとして生まれることができる。 この救いの福音の象徴たる三聖地を心に宿し、私たちの友人、家族、知り合いにこの救いを伝えるという伝道を開始する時が来た。皆様、心の準備はできていますか?[i] フンジはアンゴラ人の主食。キャッサバという根菜やとうもろこしを粉にしお湯で練ったもちもちとしたもの。ムテタはかぼちゃの種をすりつぶしそこに野菜などを加えた団子を煮込んだ料理。[ii] ご飯と煮豆を組み合わせたブラジル人の定番家庭料理。[iii] マンジョキーニャは甘い根菜。ジャブチカーバはぶどうに似た果物。ピタンガは甘酸っぱい果物。どれもブラジル人がよく食す。