皆様、おはようございます。お元気ですか? (聖言前に2曲の音楽の披露があったことから)もっと音楽を聴いてたかったですね。参拝席でリラックスをして音楽を聴いてましたらあっという間に2曲が終わってしまって、「ああ、教主様から託された使命である皆様にお話しさせていただく御用を全うしなければ!」という思いで気持ちを切り替えているところでした。 そもそも、サントス本部長のご挨拶が短すぎて(一同笑声)、全然心の準備ができなかったです。いつもはもっともっと、たくさん話されますよね?(一同笑声)「今日は2時間かな、3時間は話されるかな」と思って参拝席の背もたれに完全に体重をかけて安心をしてたら、10分も話されませんでした。「え?もう終わったの?本部長のご挨拶はもう終わったの」(一同笑声)ということで慌てました。 ちなみに私は、今年、二つの目標を掲げてブラジルに来ました。 一つ目は「泣かない」ということ。去年泣いてしまいましたのでね。でも、今拝聴した歌でもう泣いてしまいまして、この目標は達成できませんでした。 二つ目は、「サントス本部長より長く話さない」ということ(一同笑声)でしたが、その目標も達成できそうにありません。 前にもお伝えしたように、私はいつもYouTubeのサントス本部長のビデオをチェックしています。そして、一番最初に確認するのはそのご挨拶の長さ。「おっ!今回は1時間5分話してる」(一同笑声)。 そうしているうちに、なんか、「絶対サントス本部長より長く話すぞ。この戦いには絶対に負けない」(一同笑声)という謎の争いをするようになっているように思います。すべて冗談です(一同笑声)。 とにかく、また皆様にお会いできて、本当にうれしいです。 サントス本部長のご挨拶をYouTubeで拝見していますと、サントス本部長が本当に頼もしいので、私は、私がブラジルに行かせていただく必要は無いな、とも思ったのですが、でも、「ブラジルの信徒にまたどうしても会いたい」という思いが強くありまして、今回、このようにまたお会いできて本当によかったです。 ブラジル信徒の皆様。私を温かく迎えてくださりありがとうございました。歌はすばらしかったですし、また、私の話のあとに、日本の参拝団の方々も含めて、みなで、ポルトガル語で「アメイジンググレイス」を歌いますね。楽しみです。 いいかげん少し真面目な話をしなければなりませんね(一同笑声)。 今日は、皆様に質問をするところから始めたいと思います。 その質問とは、明主様ご在世中、教団にはモットーがあったのですが、皆様はそのモットーがなんであったかご存じですか? (会場が静かなのをご覧になり)誰か思い切ってみませんか?(一同笑声) (誰も言わないことから)えーとじゃあ、私のほうで選んで・・・(一同笑声)。 いかがですか?(信徒から「天国は私の心の中にある!ですか?」の声) 天国は私の中にある――すばらしいお答えですし、これは私たちにとりとても大切なことですね。ありがとうございます。 しかし、答えは、「病貧争絶無の世界を造る」です。これが明主様ご在世中掲げておられた本教のモットーでした。 明主様が世界メシア教を開教になられた時も、そのあとも、ずっと、これがモットーでした。単純に、病貧争が無い世界を造る、ではなく、病貧争が絶対に無い世界を造る、これがモットーだったわけですね。 そして、このモットーに基づき、私たちは、明主様ご在世中も、また明主様ご昇天後も、浄霊の実践、自然農法、芸術に関わる活動に努力してきたわけですが、でも、やはり中心は浄霊でしたね。私たちは、浄霊を通して世の病を癒し、病貧争絶無の世界を造ろうとしてきましたね。 しかし皆様ご存じのように、明主様はご昇天前年、脳溢血の浄化を受けられます。そして、この時から明主様は、繰り返し繰り返し、すでに「想念の世界」に入ったこと、そして、ご浄霊は二の問題であることを説かれました。 このような明主様の聖言があるにもかかわらず、明主様ご昇天後も浄霊を実践してきたことは申し訳ないことでありました。 どちらにしましても、私は、なぜ明主様が病貧争が「絶無」の世界を造るということを仰せになることができたのか、この絶対的な確信はどこから来ているのか、ということを思わざるを得ません。 「絶無」ですから、すごい確信ですね。この確信の源はなんなのかといったら、それは、明主様がイエス・キリストを信じていたからに他なりません。イエスによる贖罪を信じていたからに他なりません、と私は思います。 贖罪ですから罪を贖う。「贖い」という言葉をポルトガル語の辞書で調べましたら、「苦しみを通して過ちを償うこと」とありました。私たちはイエスであり罪の話をしていますので、この文脈において「贖い」とは、「苦しみを通して罪を償うこと」という意味になりますね。 明主様は、このイエスを贖い主として受け入れておられた。我々の――人類の――贖罪主であると仰せになった。 皆様方はイエスが贖罪主だと信じますか?イエスが、イエスの苦しみを通して我々の罪を償ったことを信じますか? 私は、明主様は、このことを本当に信じられたのだと思います。信じられて、そして次のように思われた。「もしイエスという人物が人類の苦しみを除き去ったのならば、この世に『苦しみ』というのはもはや存在しないのだ。イエスの血によって、この世の苦しみは無くなったのだ。イエスは苦しんだ。その苦しみを通して世の『苦しみ』を終わらせたんだ。人類の、過去、現在、未来にわたるすべての『苦しみ』に終わりを告げたんだ」。このように思われた。 だから明主様は、病貧争絶無の世界を造るということを言われることができたのではないでしょうか。だって、病気も貧しさも争いも、「苦しみ」ですよ。 イエスが贖罪主である、とか、イエスは我々の罪を贖ったと口で言うのは簡単なことです。しかし明主様は、イエスが贖罪主であることを心底信じられ、そして、それを実際にご自分の生きざまに反映された。 明主様は、「もしイエスの贖いにより霊界が完全に変わってしまったならば、それは必ずやこの現界にも移写されるだろう、現れるだろう」と信じられた。 明主様の「浄化」の教えもこれに大きく関わっていますね。なぜ明主様は「浄化」の教えを説かれることができたのか。 浄化の教えというのは極めて単純なものです。これは、「この世に悪いことはもはや存在しない」「一見悪そうに見えることは実は全部いいことなんだ」というものですね。しかし、この極めて単純な教えを実際に実践するのは至難の業です。 なぜ明主様は、もはや悪いことは存在しないということを言われることができたのか。なぜかと言ったら、それは、明主様がイエスを本当に信じておられたからです。イエスが我々人類の苦しみを除き去ったと本当に信じておられたからです。 なので、病気を絶対に無くすと言い切れるほどのこの明主様の確信というのは、明主様の、イエスは、過去も、現在も、未来においても人類の贖罪主であるとの信条があったからです。 しかしここで私たちは、一つの大きな課題にぶつかります。明主様がそれほどの確信を持たれていたのはすばらしいことですが、では私たちは、現実問題として、これから、どうやってこの病貧争絶無の世界を造っていくのか。これですね。この課題にぶつかります。 明主様が「二の問題」とおっしゃった浄霊を通してですか?ただ私は、日本でも、また世界中でも、浄霊をたくさん受けている信徒の多くが、ガン、心臓病、脳疾患などの病になっていることを知っています。浄霊をたくさん受けても、多くの信徒が病気になっている。つまり、病貧争絶無の世界を造るべき我々が病気になっている。違いますか? そうだとして、浄霊で本当に病貧争絶無の世界を造れるんですか?明主様のみ心にお応えできるんですか? 浄霊を受けている多くの人が病になっている現状を見つめた時、私たちは、この明主様のモットー実現のため、浄霊ではない別のことを考えねばならないと思います。 それは何かといったら、明主様の食についての聖言ですね。それしかない。 明主様は、来たるべき理想世界であるミロクの世において、人類は菜食をしているとお宣べになった。現代風に言えばヴィーガン食ですね。これを明主様は仰せになった。 そして、私がこの明主様の聖言を取り上げさせていただき、それを皆様が実践される中で、今、多くの奇蹟が起きています。 はっきり申し上げたいと思いますが、私は、この明主様の食というのは浄霊に勝つと思いますよ。浄霊は、身体への好影響ということについて、明主様がお示しになったミロクの世の菜食、ヴィーガン食に勝てないと思います。 我々は病貧争絶無の世界を造るのをあきらめるんですか?病貧争絶無の世界というのは明主様が掲げておられた教団のモットーですよ。明主様はこのために多大な努力をしてくださった。私はあきらめません。皆様方もあきらめたくないのではないですか? 明主様の夢でありモットーである病貧争絶無の世界を造るということ、私たちはあきらめませんよね。 明主様がこの食についての聖言を残してくださって、そして今我々はヴィーガン食を実践していますが、そうすると、一見、食のことはイエス・キリストとはなんの関係も無いように皆様は思うかもしれませんが、私はそうは思いません。 なぜかというと、「イエスは最後の捧げもの」「最後の犠牲」だからです。私はこれを信じています。そして、明主様もこのことを信じていたと私は確信しています。 そうでなければ、これから、皆様のどなたか、人類の罪のために命を捧げてみますか?そんなことはしませんよね。なぜならすでにイエスが人類の罪を――苦しみを――償ってくださったから。だから私はイエスのことを、神が本当にお受け取りになりたかった、唯一にして最後の捧げものだと申しているのです。 必要な血はもう全部流されたんです。イエスの血が最後の血であり、イエスが最後の捧げものだったのです。 そうなんですから、我々のヴィーガン食の実践は、「ヴィーガン食で健康が良くなるね」というものではない。もちろん菜食によって健康状態が改善するのはすばらしいことですが、それが主眼ではない。ヴィーガン食によって環境問題の解決につながる、それも確かにすばらしいことですが、それが主眼ではない。 明主様が、動物を殺さない、犠牲にしないヴィーガン食をお示しになったのは、明主様がイエスは最後の捧げものであると信じておられたからです。 神様にとっては、イエスの血だけでもう十分だったんです。これ以上生きた物の血は必要としておられない。そう明主様は信じておられた。 明主様は、イエスの贖いの業によって、苦しみのみならず、もはや血を流す犠牲は必要無いと、そう信じられた。もう我々は生き物の血を流す必要は無いんです。 だから明主様は、理想世界であるミロクの世においては動物の犠牲は必要無い菜食になるとお示しになった。それは、イエスが最後の捧げものであるということを明主様が根本的に受け入れておられたからです。 そうなんですから、我々は、お食事をいただく時、「イエスのおかげで、これから私は、動物の犠牲が必要無い食事をさせていただきます」と言わせていただくことができる。 つまり明主様信徒の菜食の実践は、健康や環境問題のためではなく、どこまでも信仰実践であるということです。明主様が「ミロクの世は菜食」と仰せになれたのは、明主様が、イエスが人類のためにしたことを心底信じておられたからです。 このようなことを考える時、「メシア教はキリスト教と呼応する」という明主様の聖言がより一層意味を持ってくると思いませんか? イエスの贖い無くして、イエスの存在無くして、明主様は、メシア教のモットーである病貧争絶無の世界を造るということを言われることはでき得なかったし、浄化の教えを説かれることもでき得なかった。 だから、すべてですよ。明主様の説かれたすべてのことの土台にはイエスがいる、ということです。でなければ明主様はあれほどの確信を持っていろいろと仰せになることはできなかった。 当時明主様はこのような言い方はされなかったかもしれませんが、でも、間違いないですね。明主様は、イエスが我々の罪を贖った方だと信じておられたのは間違いない。 というように我々は、明主様同様、イエスを土台としてご神業を進める。 皆様は新しい配布用のリーフレットをもうご覧になりましたか?(編集者注:ブラジルでは、真明様ご監修のもと、日本で配っているのとは違うリーフレットを使っている) このリーフレットの表紙には、「我々は真のキリスト教である」と記されています。これは私が考えた文言ですが、でも、私は何も自分の考えとか都合でこの言葉を用意したわけではありません。 それはどういうことかというと、明主様ご在世中、明主様が西洋圏に布教されていた時――具体的にはアメリカですが――明主様は、メシア教のことを「キリスト教の完成版」として紹介しておられた。メシア教は、キリスト教の完成版。 これは、アメリカで発行された新聞にも掲載されたんですよ。アメリカで明主様の代理として布教しておられた方が新聞社からのインタビューを受け、メシア教をこのように紹介した。 キリスト教の完成版、つまり、真のキリスト教である、ということです。同じことですね。 そしてブラジルも西洋圏の国の一つです。ですから、ブラジルにおいて、メシア教が真のキリスト教であるとして紹介するのはまさに明主様の願いです。 言い方を変えれば、今のキリスト教では神様の御心には応えきれていないが、メシア教ならそれができると、そういうことでもありますね。 ですので、この新しいリーフレットの「我々は真のキリスト教である」という言葉は、私の勝手な考えで作った言葉でもなければ、何も考えずに作った言葉でもない。明主様が西洋圏で布教された時の、「メシア教はキリスト教の完成版である」というみ心を尊重したに過ぎません。 明主様がこのような方針で布教をお進めになったこと自体、明主様がイエスのことを信じておられたからであり、自分こそがイエスの本当の願いを実現するんだと思われていたからに他なりません。 ひと言で言えば、新しいリーフレットは、明主様のみ心の現れであるということです。真のキリスト教としてメシア教を世に問われたかった明主様のみ心の現れであるということです。 あのリーフレットを配布するということは、明主様のみ心を世に知らしめるということでもあります。 ですので、皆様方は、「え?メシア教は真のキリスト教なの?」と驚く必要も無ければ、疑う必要もありません。なぜなら、明主様が、メシア教を「キリスト教の完成版」と認識しておられたからです。 むしろ私たちは今、すばらしい時代に生きているのだと思います、明主様が本当にされたかったことをさせていただいているのですから。 今日は、もう一つ話さなければならないことがあります。 今私たちは、アフリカに聖地を持っていますね。皆様ご存じですか?(一同拍手) 明主様に人類発祥の地の聖地をお捧げできたことを私は非常に喜んでいます。このアフリカの聖地について、私たちは、「土の聖地」と呼ばせていただいていますね。 明主様は火と水と土の三つの聖地をご計画していらして、アフリカのアンゴラにあるのが「土の聖地」、日本で今建設しようとしているのが「火の聖地」。 決してまだ正式に宣言しているわけではありませんが、私は、ブラジルは「水の聖地」を建設しなければならないと思っています(信徒一同、真明様に拍手、喝采、スタンディングオベーション)。 まだ宣言してないですよ(一同笑声)、でも、私は、ブラジルはそれをしなければならないと思っています。 これは、ただ当てずっぽうに言っているのではなく、根拠はあります。 人類はアフリカに生まれ、そしてその一部がアフリカから旅に出ました。そしてイスラエルを経て、さらに東、東へと進みました。明主様は、ご自身が、東の端の端の端、つまり地球の果てでお生まれになったことを強調されましたね。 アフリカから地球の果ての地の日本まで人類は旅をした。そして、この日本で、明主様は、神様とイエスの御心を受けられた。 ここで皆様に伺いますが、皆様は、地球上で日本の正反対に位置している国はどこかご存じですか?(参拝席から「ブラジル!」の声) そうです、ブラジルです。 アフリカで生まれた人類は日本に到達した。そして明主様はこれから地球規模でご神業をお進めになりたいわけですが、そのためには、地球は動き始めなければなりません。回転しなければなりません。そして、回転するためには軸が必要です。 もしブラジルと、そのブラジルの正反対にある火の聖地である日本が結ばれれば、地球のど真ん中に軸ができることになる。そして、火の対となるものはなにかといったら、それは「水」ですね。火と水。 地球が回転するためには、ブラジルと日本が結ばれ、そこに軸ができなければならない。今日本が建設しようとしている火の聖地と水の聖地となるべきブラジルは結ばれなければならない。 そうなれば、地球は本当に動き始め、明主様のご神業というのは真の意味でスタートする。我々が願ってやまない理想世界が出現することになる。私はそう思います。 もし皆様が本当に地上天国を建設したいならば、ブラジルは、イエスを土台とした水の聖地を建設しなければならないと私は思います。もし皆様がこの使命を受ける覚悟があるなら、この未来はやってくるのです。 (一同拍手ののち、信徒から、「真明様、私にぜひこの使命を受けさせてください」「私も!」の声を受けて真明様は)おめでとうございます。 水の聖地建設に向けて、現実的にはいろいろな調査なども必要でしょう。しかし、もし皆様が本当にこの使命を受ける覚悟があるなら、明主様は、必ずやブラジルのことを水の聖地と定めてくださいます。 人類発祥の地、アフリカには「土の聖地」。そのアフリカから旅した人類の果ての地の日本には「火の聖地」。そしてその日本の正反対に位置するブラジルには「水の聖地」。アフリカを土台として日本とブラジルが一つに結ばれ、地球が回転することによって明主様のご神業は文字通り世界大に展開される。こういうことです。 私はこれからが楽しみでなりません。皆様にお任せしましたよ(一同拍手)。 次ブラジルに来る時には、ぜひ水の聖地の聖別式を執り行いたいですね。その時私は、形の上では一つの土地を聖別するわけですが、自分の思いとしては、明主様の御名にあって、ブラジル全土を聖別させていただきたいと思います。 なぜなら、今私たちが知らされている救いというのは、すべてのブラジル人が受けるべきものだからです。私たちは、私たちの救いのために神様に仕えているのではなく、ブラジル国民の救いのためにそうさせていただいているのです。そして、去年もお伝えしたように、私は、ブラジルが救われれば世界が救われると、そう信じています(一同拍手)。 水の聖地を建設する喜びは、その背後にある責任と表裏一体です。私たちは、私たちの救いの福音をブラジル全土に伝えるという責任があるのです。 そしてまた、私は何度でも言いたいのですが、私は本当にブラジルのことを愛しています。この難解極まるポルトガル語もたくさん勉強しています。というか、ポルトガル語の動詞活用は一体どういうことなのでしょう。一つの動詞だけで、一体どれだけの活用があるのでしょうか。ブラジル人が普通にこのポルトガル語という言語を話しているだけで、私は尊崇の念を抱きます。皆様はどうやってポルトガル語を話しているのですか?(一同笑声) でも私はなんとかがんばっています。今日もたくさんの言い間違いなどあったかと思いますが、私の話を――私のポルトガル語を――聞いてくださりありがとうございました。より上達するようがんばります(一同拍手)。 私はブラジルを水の聖地と定めるため、また戻ってきます。 (突然多くの信徒が、「聖地は私の住む○○に!」「いや、私の住む○○に!」と言い出す)サントス本部長、大変ですね。信徒全員を納得させる場所を選ばなければならないのは、大変ですね(一同笑声)。 ではこれから、各州の代表の方にプレゼンをしていただきましょうか?(一同笑声) 近い将来、ブラジルで聖別式をすることを楽しみにしています。みなで明主様の願いになんとしてもお応えさせていただきましょう!ありがとうございました。