PDFダウンロード:https://ourl.jp/WmNY4 皆様、こんにちは。 今のビデオ「ブラジル・水の聖地」ですが、この土地はまだ購入したてですので、開発も含めて本格的にいろいろ進めていくのはこれからだと思うんですけれども、去年の聖別式で私がブラジルの信徒の方々にお伝えしたのは、ブラジルの信徒の皆様は、ブラジル国民で病気に苦しんでいる人たち、特に浄霊を受けてもなかなか治らないという人たちを、聖地内とかで作った野菜、穀物によるヴィーガン食でお迎えし、合宿というかそういうプログラムを実行していただきたいということ、そして、そのために、聖地内に食事をする場所などを設けたりして、そのように、聖地の自然とか食事に触れるうちに自然に癒される場所にしていただきたいということをお伝えしまして、で、アフリカの聖地には全人類の飢餓を無くすという使命があるかなと思ったんですけれども、ブラジルの聖地の使命は、「ブラジル国民を癒す」ということだと思うんですね、ブラジル国民もいろいろな病気抱えてますからね。 この聖地も、数年もしたら本当にすばらしい場所になると思うんですけれども、今も、そしてこれからも、我々が願う「病貧争絶無の世界を造る」ということのために努力してくださっているブラジル信徒に私たちで感謝したいと思うんだけど、今日、その代表であるサントス本部長が来ておられますから、みんなで感謝の拍手、させていただきましょう(一同拍手)。 あと、今のビデオですが、短いイメージビデオではありますが、映像もきれいで、音楽もすごいですよね。ブラジルも、日本からしたら地球の反対側ですから、行きたくても行かれない方もたくさんいらっしゃると思いますが、信徒の皆さんを代表してメシア教の取材班の方たちが取材してくださるから、私たちは、地球の反対側の聖地のイメージを臨場感あふれる感じで見られるわけですので、取材班の方たちにも感謝の拍手、させていただきましょう。ありがとうございます(一同拍手)。 でも、そもそもそういう機材とか旅費を出してくださる信徒の皆様に一番感謝しなきゃいけないですね。ありがとうございます(一同笑声&拍手)。 今日お話ししたいのは、今も少し触れましたが、「病貧争絶無の世界を造る」ということ。 明主様が世界メシア教をされてた時のモットーは「病貧争絶無の世界を造る」だったんですね。これを明主様は、もう、繰り返し繰り返し仰せになっています。「病貧争絶無の世界を造る」。 そのことを踏まえて今の世の中を見た時、今世界はどういう状況なのか。 戦争、ありますね。戦争もまだまだあるし、病もたくさんある。日本も医療費が基本的にはずっと上がっていて、そしてこれは、やはり世界的な傾向だと思いますね。 また当然、身体の病気だけではなく、精神的な病気もありますね、うつ病のような。また、我々自身も、うつ病とまでいかなくても、心にネガティブな思いというのは常にありますよね。こう言われたとか、こう言ってやろうとか、そういう種類の、なんか気分が悪いということが常にあって、それについて我々は、想念の実践とか、お委ねということで向き合おうとしてるわけですね。 病から発生して貧もありますね。明主様は、病により働けなくなり、結果貧しくなると、そう仰せですね。そういう今の世界の現状というのがある。 その中で、理想世界とか地上天国というのを考えた時、当然、病貧争が無い世界、それが我々が目指している世界ですよね。戦争が無くて、病が無くて、貧しさも無いという世界を造ることを目指している。 あと、病貧争絶無の世界と明主様が仰せの時は、病貧争というその3つだけが取り除かれればそれでいいんだ、ということではなく、当然、やはり全人類が神様に心を向けているということでもありますね。 ただ、「病が無い、貧しさが無い、争いが無いから幸せだ」ではなくて、それプラス、やはり明主様が仰せなのは、人類が神様のことに心を向けている、自分のことというよりも神様にお仕えしたい、神様にお祈りできる、神様に心を向けていると、そういうことが発生しているということは当然想定されているわけですね、明主様は。 ということは、我々の願う理想世界というのは、病気が無くて、心が穏やかで、争いが無くて、そういう安らぎの中、人類がみな神様に心を向けているという、そういう世界を明主様は造ろうとされたし、我々もそれを実現したいと思っている。だってそれが明主様の願いですもんね。 ということを思った時、今の世の中の現状と、明主様が思い描いておられた──明主様というかこれは人類が望んでいることですけれども──この理想世界というのを比べてみますと、一見どう考えても叶いそうにないという感じを受けますよね。だってこの世の中の状況はどうですか? 今、世の中の人、神様のことどんどん信じるようになってますか?争いどんどん減ってますか?病気どんどん減ってますか?理想と現実が非常にかけ離れてますよね、実際。 だいたい、世の中ということ以前に、自分の生活がもう大変だということになりますから、とうてい理想世界が来るとは思えないという感じを受けると思うんですけれども、でも僕は、不可能ではないと思うんですね。理想世界を私たちの手で造るのは不可能ではない。 だって明主様はそのためにものすごい努力をされて、一旦はすごい発展したんだけど、結局明主様ご昇天後いろいろになりましたよね。教団が割れたり内紛とかあったりしてグダグダという状況になってしまって、果たしてそんな我々で地上天国建設ができるのかと、それが現状ですよね。 でもこれ、我々に課せられてるんですよ。地上天国建設は我々に課せられている。そして僕は、これは不可能ではない、病貧争絶無の世界を造るのは不可能ではないと、そう言いたいと思います。 で、僕は、その中心というか鍵になるのが「呼吸」だと思うんですね。呼吸。病貧争絶無の世界を造る鍵となるのは呼吸である。 呼吸といった時にイメージするのは、当然、息を吸って吐いてというこの呼吸ですよね、普通。この呼吸も確かにありますね。 でも実は、呼吸というのには外呼吸と内呼吸というのがあるんですね。外呼吸と内呼吸(細胞呼吸とも)。 外呼吸というのは、今言ったような、口と鼻を使ってする呼吸ですね。肺を使う呼吸。口、あるいは鼻で吸って、それで、口か鼻で出す。これが外呼吸。 この外呼吸についてはいろんな呼吸がありますよね。呼吸法と呼ばれているものですね。世の中で呼吸法という場合、だいたいこの外呼吸のことを言うわけですね。鼻から吸ったほうがいいですよとか、吸って一旦止めてそれから吐くほうがいいとか、ゆっくり吐くのがいいんだとか、そういう呼吸法というのはこの世でもいろいろありますよね。 ちなみに私も、それこそ教主様から教えていただいているいわゆる外呼吸の仕方というのはあるんですけれども、今日はその話ではなく、今日私がお話ししたいのは、内呼吸の話なんですね。 この内呼吸というのは一体なんなのか、これに私ちょっと興味がありまして、内呼吸はなにかというと、まず外呼吸によって酸素を取り込みますよね、、、皆様、今日私はちょっと科学みたいな話をしますけれども、私は科学者じゃないですから、もし私の話が気になったら、正確なことは後に自分たちで調べてください(一同笑声)。 私としては、とにかく皆様にイメージをつかんでいただきたいので、もしかしたら使っている用語とか事実関係とかが間違えているかもしれないんだけど、僕は科学者じゃなくて宗教家だから、それは大丈夫なんです、多少間違えても(一同笑声)。 という前提を踏まえた上で内呼吸の話に戻りますが、まず外呼吸で酸素を取り込む。そうすると、血液としては、「酸素来たぞ」ということで、血液の中にある赤血球が酸素を各細胞にまで運ぶわけですね。その時は当然心臓が一生懸命ポンプ活動をして、血液を身体の隅々まで送ってくれるわけです。 血液が酸素を細胞に運ぶと言いましたが、ここで一つ、細胞の中にミトコンドリアというのがあるんですね。ミトコンドリア。ここまで酸素を運ぶ。 で、ミトコンドリアのところまで酸素が到達すると、このミトコンドリアの中で、いわゆる内呼吸というのが行われて、それでその時にエネルギーが作り出される。ATP*というらしいですよ。なんか、世界のテニスツアーもそんな名前でしたよね、ATPツアー。完全にどうでもいいことですね(一同笑声)。 とにかく、ミトコンドリアの内呼吸で作り出されるこのATP、つまりエネルギーですね、これによって今私がしゃべったり、立ってたり、考えたり、外呼吸する力とか、その全部がこのエネルギーによって賄われているんですね。だからこの内呼吸というのは大変なことなんですよ。ミトコンドリアがこのATPというエネルギーを生み出さなければ、どんなに、呼吸法が大事だとか言っても、そういう外呼吸すらできない。 そして、身体の中にあるミトコンドリアが呼吸をしてエネルギーを生み出す時に、その副産物として二酸化炭素と水が出るんですけれども、水のほうは身体の中でちょっと使ったり、あとは汗と尿で排泄したりして、そして、二酸化炭素については、また血液を通って肺のほうに戻ってきて、最終的には外呼吸の吐く息として排出される。 だから、「呼吸」というと、我々は鼻と口による呼吸のことばかり考えるんだけど、本当の呼吸は内呼吸なわけです。というのも、外呼吸で息を吸ってるのは、我々が生きるために必要なエネルギーを生み出してくれる細胞内のミトコンドリアまで酸素を届けるためであるし、外呼吸で息を吐くのも、ミトコンドリアが出した二酸化炭素という不純物を吐き出すためですから。 だから、外呼吸というか──いわゆる呼吸の吸ったり吐いたりというのは──吸うのは本当の呼吸(内呼吸)のためのただのきっかけであり、吐く息というのは、本当の呼吸の最終結末でしかないわけです。とにかく、呼吸の本体は内呼吸なわけです。 内呼吸についてもう少し具体的なイメージを皆さんに持っていただきたいんですけれども──完全に科学の授業になっておりますね(一同笑声)──でも、面白いから聞いてください。というか、僕が面白いと思ったのでぜひ聞いていただきたいんですけれども、まず、外呼吸としての息を吸いますね。吸う。 この吸う行為は、先ほど、細胞まで酸素を届けるためと言いましたが、細胞といっても、人間一人にはだいたい37兆ぐらいの細胞があるんですね。37兆。数が大きすぎてもはや想像もできませんね。37兆の細胞。そして、血液が、細胞内にあるミトコンドリアに酸素を届ける。 血液というか、血液の中の赤血球が酸素を運ぶ役目を担っているんですけれども、全細胞37兆個のうち、25兆ぐらいは赤血球なんですね。 でも、赤血球は酸素を運ぶ係だから、赤血球の細胞の中にミトコンドリアは無いんです。分かりますか? つまり、赤血球の仕事は、酸素をミトコンドリアのもとに届けることだから、赤血球自身は運送係に徹しているわけです。進化の過程でそうなったんですね。人間の身体の神秘ですね。 我々が息を吸って酸素を取り込むと、赤血球としては「あ、酸素が来た」ということで、それを持って細胞のミトコンドリアまで届けてくれるわけです。 ミトコンドリアを持っている細胞は、残された細胞の約10兆ぐらいですね。要は、赤血球が37兆のうち25兆ぐらいで、赤血球はミトコンドリアを持ってない。だから内呼吸は赤血球では行われない。10兆ちょっとの細胞に赤血球が一生懸命酸素を運んでくれていると、そういうことです。 運ばれた先のミトコンドリアがどうなっているかというと、当然、各細胞内の中にあるミトコンドリアが酸素分子を使って呼吸をするわけです。 だけど、この10兆ぐらいある各細胞の一つひとつの中に、平均して1000個ぐらいのミトコンドリアがあるんですね。赤血球にはミトコンドリアは無いんだから、他の、心臓とか骨とか皮膚とか目とか、そういう部分ですよね。その細胞。 その細胞が10兆ぐらいあって、心臓とかは一生懸命働くところなので、1つの細胞の中に何千個ものミトコンドリアを持っている。ちなみにミトコンドリアというのは、なんか丸っぽいとか楕円っぽいとかそんな形らしいですよ。 心臓は一つの細胞の中にたくさんミトコンドリアを持っていますが、それが他の器官であれば何百とかそういうことで、とにかくおおざっぱに平均ということで、10兆ちょっとの細胞の中の各細胞に平均して1000個のミトコンドリアがあると仮定した場合、全身でミトコンドリアの数はどれぐらいあるかというと、1京ぐらいですね。 10兆かける1000だから、億、兆、京、垓の京。一、十、百、千、万、億、兆、京、垓という単位の京。正確な数はなかなか特定できないみたいですが、何千兆とか1京とか2京とか、だいたいそれぐらいの数のミトコンドリアが人間一人の中にはある。 しかも、一つひとつのミトコンドリアの中に、きのこ型をした、なんか酵素みたいなものがあるんですね。一つのミトコンドリアの中にきのこ型をしたものが入っている。これも、一つのミトコンドリアの中に1000とか2000ぐらい入ってるんですね。だから、このきのこ型をしたものの数は、もう垓という単位までいってしまうかもしれませんね。 とにかく、身体の中に何千兆とか1京くらいあるミトコンドリア一つひとつの中に、数百とか数千ぐらいのきのこ型のものがあって、で、このきのこ型のものがモーターみたいな作りで、この中で、1秒間に約100回転しているらしいんですね。1秒間に100回転。今ですよ。皆さんの中で回転してる。 そして、この、何千京とか1垓、2垓という数のきのこ型のものの中で、1秒間100回転してる時に、先ほどお伝えしたATP、つまりエネルギーが生み出されているのであって、これによって我々は生きてるんですね。すごいですね、なんか。顕微鏡とかで見ると分かるみたいですけれどもね。 だから、「内呼吸」というのは、事実上、このきのこ型の中の回転のことであって、その呼吸から生み出されるエネルギーによって我々は、今僕が話したり、その話を皆様聞いたり、あるいは外呼吸をしたりしてるわけです。 というように、内呼吸こそが我々の身体のエネルギーのすべてを作ってるんですね。すべてを作っている。 そして、このエネルギー供給がうまくいっていて、ちゃんとどんどんエネルギーが作り出せていれば、我々は、「自分は今エネルギー足りてるな」ということで生存の危機を感じないので、自分の心というのが非常に満ち足りた状況になるわけです。 でも、逆に、内呼吸がうまくいかないで、エネルギーが足りない、エネルギー生産がうまくできてないとどうなるかというと、直感的に、「あ、自分は今エネルギーが足りてない」と感じるわけです。 そうなると、それを我々としては生存の危機と感じますので、世の中でいういわゆる交感神経が目覚める、要は、戦いのモードになるわけですね。生きるか死ぬかというモードになるわけです。 だから、「戦わなきゃいけない」とか、「取られる前に取ってやろう」とか、そういう精神状態になるわけです。グリーンランドのこともありますけれどもね──いや、グリーンランドのこと、短絡的につい言ってしまいましたけれども(一同笑声)──とにかく、生存の危機を感じるから、他の人にやられる前に取らなきゃいけないとか、そういう思考になってしまうわけです。 しかも、エネルギーが足りてない、エネルギー生産がうまくいってないと感じるとどうなるかというと、「大変だ」「もっと酸素がほしい」となる。で、どうなるかというと、呼吸が浅くなるわけです。 酸素が足りてないということに直感的に身体が反応して、呼吸が浅くなる。よく、深呼吸しなさいとか人は言いますけれども、内呼吸がうまくいってエネルギーが満ち足りていれば、自然に深呼吸になるんですよ。自然に深呼吸になる。 いや、深呼吸しなさいと言われて、確かに人間の力によって意識的な深呼吸はできるけれども、24時間続けてとか、1週間続けてとかのようにずっとは意識的に深呼吸はできないですよね。だから、内呼吸がうまくいってない時は、意識してない時の呼吸は結局浅くなってしまいますよ。だって、もっと酸素を必要としてるから、短い呼吸によって一生懸命酸素を取り込もうとするんですから。 さらにまた、内呼吸がうまくいかず、ATPがちゃんと生み出されていないとエネルギーが満ち足りてないですから、心としては漠然とした不安を感じるわけですね。生物的に、エネルギーが足りないことによる不安感が出てくる。 そうするとどうなるかというと、脳が、「この不安の原因はなんだろう」と原因を探すんですね。隣人にこう言われたことがきっと気に入らないから不安なんだとか、数年前のあの事件のことがまだ解決してないから不安なんだとか、あるいは、あの人にこう言ってやろうとか、そうなるわけです。 脳が不安の要素を探そうとしますので、あれは大丈夫かな、これは大丈夫かなと、生活のいろんな局面の不安が自分の心に感じられてしまうわけですね。 でもこれは、この不安自身が問題なのではなくて、本来は、内呼吸がうまくいってないことにより、エネルギーが足りない。エネルギーが足りないから不安になる。それによって脳が不安の原因を探して、あのことは大丈夫だろうか、これは大丈夫だろうかとなってしまっているわけです。 ミトコンドリアが、内呼吸により我々が生きるエネルギーを作り出すには、今言った酸素も必要なんですけれども、酸素プラス燃料が必要なんですね。この燃料はなにかといったら、食事ですね。食事の栄養素。食事を吸収して、それが内臓を通って、血液に入ってくる栄養素。これです。 呼吸するのはいいんだけど、それプラス燃料。だから、食べ物から得られる栄養素ですね。食べ物は一種の燃料なわけです。 で、科学的に、ミトコンドリアにとって、我々が生きる上で最もいい燃料というか食べ物とされているのが、いわゆるwhole food plant-based(ホールフード・プラントベース)の食ということで、だからまあ、簡単に言えばヴィーガン食ですね。 Whole food plant-basedということは、できるだけ未精製の穀物とか野菜、ということです。ヴィーガン食というと加工されたものもいっぱいありますけれども、そういうのではなくて、できるだけ未精製のもの。それこそ白米とかだとだいぶ精製されてしまっているわけですね。そうではなくて、玄米とか三分づきぐらいだとあまり精製されてないですから、そういう加工があまりされてないヴィーガン食というのが内呼吸にとって最も効率がいい燃料であると、そういうことです。 一方、あまり良くない燃料とされているのが──これ、皆様も予想できると思うんですけれども──肉食ですね、肉食。肉の中にある飽和脂肪酸とかコレステロールが、結局、燃料として効率が悪い。 ヴィーガン食は、簡単に言えば、非常に乾燥して、すぐ燃える薪ですね。で、肉食が与える薪というのは、それこそ湿ってて、酸素をたくさん使わないといけないとか、しかも、きれいな炎は出なくて、黒い煙が出て、げほげほしちゃうみたいなイメージですね。 だから、どんなに、「深呼吸してます」とか、「呼吸はゆっくりしなきゃいけない」とか言っても、それこそ肉食とかをしていますと、燃料そのものの効率が悪いわけです。エネルギーの生産効率が悪い。結果、エネルギーが足りないと思ってしまうわけです。 菜食、ヴィーガン食の場合は非常に効率のいい薪を使ってますから、ちょっとの酸素でしっかりエネルギーを作るので、気持ちが満ち足りてくる。 今日拝聴した聖言で、明主様は、食というのが人間の性質に関係あると仰せでしたけれども(「うまいと野菜多く食べるし、人間の性質変わる。社会の罪悪に関係あり」(「昭和27年4月27日 御講話」))、今となっては科学でこういうことがある程度分かるから、ああ菜食はすごいですねということですけれども、当時、そういう情報を何も知らずに仰せになった明主様はすごいですね。 だから、肉食するとどうなるかというと、結局はエネルギーが足りなくなる。 普通世の中では、肉を食べると元気が出るということを言うんだけど、内呼吸からすれば、むしろエネルギーが足りなくなり生存の危機を感じるから、いわば攻撃的になるわけですね。勝たなきゃいけないということになる。 そういう意味においては、肉を食べると元気になるというのはあながち嘘ではないんですよ。だって、食べた時にエネルギーが枯渇することで、「生き残らなきゃいけない」ということになって、相手を攻撃しようとか、これをやり遂げようみたいな感じになるわけですから、元気になったかのように錯覚はするわけです。 だから、あながち嘘ではないんだけど、この場合の「元気になる」とか「力が出る」というのはいい意味ではないですよね。 というのは、それだけ身体が生存の勝ち負けのほうにエネルギーを使うということは、身体としては、本当は、作り出したエネルギー(ATP)を身体の修復のほうに使いたいわけです。人間は生きている中で身体を調整しなきゃいけないわけですね、排泄しなきゃいけないとか。要は、エネルギーが生み出されることで出てくるいろんなほこりをそのつどきれいにしたいわけです。それが風邪のような症状で現れる時もありますね。 でも、肉食をしている場合、ミトコンドリアが生み出すエネルギーが、身体を修復して癒すほうに使われるのではなくて、生存競争のために使われてしまうわけです。 だから、勝ち負けの活動ばかりをしていて、身体の修復する力が働かなければ、やはり早めに死んでしまいますよね。ずっと肉食、肉食、肉食でいくと、身体が、生み出すエネルギーを戦いのほうばかりに使って、修復のほうには使われないですから、だから、肉食によってガンになる人が増えてるとか、肉食でガンになって死んじゃうとか、肉食のせいで早めに死んじゃうというのは、当たり前と言えば当たり前ですね。 だから、我々は、想念の実践とかお委ねとか言ってるけれども、肉食してればエネルギーが枯渇している状況ですから、心が常に不安な状況になり、心はその材料を探すわけですよ。そしたら、あの時に言われたあのことが気に入らないとか、そういうことを思う。そして私たちは、その思いをお委ねしなきゃいけないとかしていますけれども、そもそも菜食にしていれば、そういう負の思いそのものの数が減るわけです。だってエネルギーが満ち足りてるわけですから、不安感が減ってくる。 だからよく、信仰者は神様に心を向けなきゃいけないというけれども、もし内呼吸がうまくいかずエネルギーが枯渇していれば、神様に心を向ける余裕も無いですよ。そうなれば、神様にお仕えするのがメインではなくて、自分の生存がメインになりますからね。自分がこの世でいかに成功するか、他の人よりどれぐらい上にいくかが焦点になる。つまり、エネルギーが枯渇していれば神様に心を向ける余裕も無くなってしまうわけです。 もちろんね、ミトコンドリアが元気になるというのは、食だけではないんですよ。あまり食べ過ぎないとか、運動するとか、そういうことはあるんですけれども、でも、こと食に限った場合、これはもうはっきりしているわけです。Whole food plant-based。これが、科学的にも、内呼吸にとって最もいいとされている。 Plant-based(プラントベース)ということは、野菜とか穀物を基本にしたという意味で、whole food(ホールフード)というのは、あんまり精製されてないということですが、その食が内呼吸には一番いい。 世の中の信仰者全部が、神様に心を向けなきゃいけない、平和が大事だ、深呼吸しなさいとか言ってるけれども、肉食しながらそんなことがんばろうとしても、もうほとんど不可能みたいなことですよ。だって肉食により内呼吸によって生産されるエネルギーが枯渇してると、意識が生存とか勝ち負けのほうにいってしまうから、不可能なわけです。だからヴィーガン食というのは大変なことですね。大変なことだと僕は思う。 明主様が、「ミロクの世は菜食」ということを仰せになって、あれはなんでだろうということを思うんですけれども、きっかけはやはり、若い時に病気の時に偶然見た本がきっかけなんですけれども、それによって明主様は、ミロクの世は菜食になると仰せになった。そして、菜食により「人間の性質変わる」と仰せになった。今お話しした通りじゃないですか。食によって人間の性質は変わるんですよ。 ただ、明主様は、食のことについては、菜食だけではなく、確かにいろいろ仰せになった。これは事実ですね。菜食だけではないですよね。肉とか魚とかについてもいろいろ仰せになった。 でも一つはっきり言えるのは、今日拝聴した聖言にもあったように、明主様がメシアとして新しくお生まれになった時に食してた食事はヴィーガン料理ですよ(「非常に重大なる御生誕にて、いよいよ大メシアとならせ給いし御由である。そうして食欲は非常に御旺盛であって、一回に三杯位も御召上りにならせ給う御由である。まるで嬰児の如く。肉食は一切なさらず、御野菜のみお召上りの御由」(「昭和29年4月28日 側近奉仕者の日記より」))。3杯おかわりされたということで、すごいですね。 大メシアとして誕生された明主様は、「大メシアとして誕生したお祝いだ」ということで焼肉をされてたわけじゃないんですよ(一同笑声)。肉を食べられてたわけではない。そうではなくて、メシアとして新しく生まれて喜ばれた時の明主様の食卓は、ここでは昔の言葉を使ってますけれども、今風に言えばヴィーガン食ですよ。 「肉食は一切なさらず」「一回に三杯位も御召上りにならせ給う」「まるで嬰児の如く。肉食は一切なさらず、御野菜のみお召上り」とか書いてありますが、ご飯つまりお米を3杯おかわりしているわけですから、「御野菜のみ」というか、この「御野菜」という言葉の中には穀物も含まれているということですね。 この時の明主様は、大喜びをなさって涙を流されていたわけですが、明主様がメシアとして新しくお生まれになったお祝いの席で食べておられたのはヴィーガン食です。肉類一切無し。いや、これ、大変な事実だと思いますよ。 時系列的に言いますと、1954年の4月からその後明主様は体調が少し回復されまして、側近奉仕者の日記を見ると、魚とか鳥とかをちょっと食べ始められるんですけれども、結局その4か月後ぐらいですね、8月になりますと、「他の料理をお止めになられてより御元気回復」(「食欲なし。奈良料理(奈良料理は調味料として昆布以外何も入れぬもの)、野菜料理のみ。この料理をお召し上がりになり、他の料理をお止めになられてより御元気回復。野菜料理には玉子もつけず」(「昭和29年8月16日 側近奉仕者の日記より」))とあります。 食欲が無かった。そこで、野菜料理だけにしたらお元気回復と書かれていますね。ということは、ここの、「他の料理をお止めになられてより」の「他の料理」は絶対肉の料理のことですよね。 いや、確かに具体的には書いてないけれども、野菜にしたら回復したんだ、で、他の料理をやめたところ良くなった、元気になったということは、この他の料理というのは肉、ま、明主様の場合は魚と鳥でしょうね、これをやめられてから体調が良くなったと、そういうことですね。 しかもここ、「野菜料理には玉子もつけず」とありますが、皆様ご存じのように明主様は当然牛乳は飲まれませんから、そうなると、乳製品と卵のない野菜料理といったらヴィーガン食ですよ。 この時代においては、「野菜料理」という言葉を使ってますが、今だったら「ヴィーガン料理」と書いてあることになりますよ。 この野菜料理のことを奈良料理とありますが、これは、なんか、奈良は、仏教のお寺とかの関係で、結局日本は仏教の影響でずっと肉食禁止令を出してましたから、お坊さんの精進料理というようなことで、「奈良料理」というのはいわゆる動物性を使ってない料理ということでしょうね。 だから明主様は、奈良料理ならぬヴィーガン料理を食べられたところ元気になったと、そういうことです。 卵もつけてないわけだから、普通ベジタリアンとかいう場合は、乳製品と卵を食べますけれども、明主様が「菜食」と仰せになる時はヴィーガン食ですよ、だって乳製品と卵は摂られないんですから。そしてこのヴィーガン食が明主様を元気にしたということです。 簡単に言えば、メシアとして新しくお生まれになった明主様の身体に合う料理というのが動物性を抜きにしたものだった、ということですね。メシアとして新しくお生まれになった明主様のお身体に合い、明主様を元気にした料理というのは、ヴィーガン食だったわけです。 だから僕は、イエス・キリストが最後の捧げものであるがゆえに、動物の捧げ物はもはや必要が無いということを受け入れている料理はヴィーガン食だから、この料理がメシアとして新しくお生まれになった明主様の身体に合ったんじゃないかと、どうしてもそう思わざるを得ませんね。 これ、明主様にとってはすごいご発見だったと思いますよ。だって、当然明主様はご自分のお食事の内容については細かく指示なさっておられたわけですからね。 でも、この事実、我々ほとんど知らなかったじゃないですか。明主様がメシアとして新しくお生まれになった時に食べてたお料理がヴィーガン食だと、この何十年の信仰生活でほとんど知らなかったですよね。 でも明主様は、このことを感得された。気づかれた。 明主様は、ご昇天直前の立春祭で、元気になったら奇想天外なことを言うと仰せでしたよね。でも結局、頭痛とかいろいろあってそのままご昇天になる。 それを考えると、今僕がこんなに食のことを皆様にお話ししているのは、明主様としては結局この食のことを信徒の方に伝えられずにご昇天になったんだけど、それを今、皆様に知ってほしい、だから僕を使って、僕の口を使って、皆様に伝えておられる。 だってこの食のことは、明主様に起きてたことだけど、いわゆるみ教えとしては全然残ってないですよね。聖言としては残ってない。でも、明主様にとっては大発見だったんじゃないのかなと思いますね。 いや、そもそも、明主様が菜食のことをなにも仰せになってなければ、私もこんな場所で食事の話なんかしないですよ。だから、どこまでいっても明主様の思い。 そして、今私が話したことからすれば、まさに明主様が予見しておられたように、食というのが内呼吸に影響を与えて、その内呼吸によって我々のエネルギーが作られて、エネルギーが枯渇していれば攻撃的になるし、満ち足りていれば神様に心を向ける余裕のある心を持てるわけですから、そういうことを思うと、「ミロクの世は菜食だ」と仰せになった明主様のすごさが迫ってきますね。私の心に迫ってくる。 よく、信徒の方とかで、ヴィーガン食について旦那さんがなかなか理解してくれない、ということがありますよね。 あ、でも、その前に言いたいのは、今お話ししたミトコンドリアもあるんだけど、このミトコンドリアというのは何日間かでどんどん入れ替わるんですね。細胞と同じでどんどん入れ替わる。 そして、このミトコンドリアを造り出す設計図はミトコンドリアの中にあって、これは「ミトコンドリアDNA」と言われるものです。ミトコンドリアDNA。 ミトコンドリアDNAはなにかというと、よく、「ミトコンドリア・イブ」ということでも言われるように、全人類の中にあるミトコンドリアDNAという遺伝子をずっとたどると、連綿とその遺伝子は続いていて、なんと、何十万年前にアフリカに生きていた一人の女性に行き着くんですね。このアフリカの女性のことをミトコンドリア・イブという存在として呼んでるわけなんだけど、つまり我々全人類は、もれなく、何十万年前アフリカにいたそのお母さんを共通に持った子供なんです。不思議ですよね。 そして、ミトコンドリアDNAというのは母系からしか継承されないんですね。男性のミトコンドリアDNAもあるんだけど、途中でなんか無くなっちゃって、女性のだけが残る。 だから今、女性の皆さんが持っているミトコンドリアDNAは、もし皆さんがお子様を産めば、その遺伝子というのが継承されるんですよ。 よくあるじゃないですか、遺伝子を調べると、「あなたは縄文型だ」とか、「モンゴルのほうから来ましたよ」とか分かる。それは、ミトコンドリアDNAの変異している様子によって先祖を完全にたどれてしまうということですね。 で、このミトコンドリアDNAというのが、いわば一つの設計図のようなもので、我々の身体はそれをもとにミトコンドリアを造るんだけど、結局我々が肉食をすることによって燃料の薪の性能が良くないから、まあこれは例えですけどもね、燃やした時に黒い煙みたいなのが身体の中であふれて──ちなみにこれは活性酸素と言います──この活性酸素がミトコンドリアDNAを傷つけるんですね。ミトコンドリアDNAを傷つけちゃう。 そうするとどうなるかというと、設計図が傷ついているわけですから、そこからできるミトコンドリアそのものの質も下がってしまって、結局エネルギーも下がっていって、結果病気になるとか、アレルギー疾患になるとか、そういうことです。 ということで、とにかく、きれいなミトコンドリアDNAを保つというのが非常に大事なんです。 しかもミトコンドリアDNAというのは子供にも継承されるんですよ。だから、女性の皆様のミトコンドリアDNAの質によって子供の未来が決まってくる。 そしてこれは、菜食、いわゆるwhole food plant-basedの食事、ヴィーガン食、によってミトコンドリアDNAをきれいに保てると、生まれてくる子供も質のいいミトコンドリアDNAを保持していますから、元気なミトコンドリアをいっぱい造れて、それこそアトピーのようなアレルギー疾患になりにくいとか、そもそも病気になりにくいとか、元気で頭もよくて、筋肉の発達もいいとなるんですね。だからこのミトコンドリアDNAの質を保つというのは大変なことなんですよ。 今まで何十万年と継承してきたミトコンドリアDNAが、これからもきれいな形で継承されていくためには、ヴィーガン食が一番いいんです。 そんなこと言われてももう自分は生まれちゃった(一同笑声)とか、自分の子供は肉食した時に生まれちゃったとなると思うんですけれども、でも、ヴィーガン食によって今までのダメージも相当修復されるらしいですよ。だからあきらめなくて大丈夫なんです。 きれいなミトコンドリアDNAがどんどん継承されて、それが、2世代、3世代、4世代となれば、そのような子供たちは元気なミトコンドリアをいっぱい生み出しますから、筋肉の質もいい、脳の質もいい、頭が良くて、運動神経も良くて、アレルギーにもなりにくい、病気になりにくいという子供になるんです。とされてるんですよ、科学で。僕が適当に言ってるわけではない(一同笑声)。 だから大変なことですね。お母様方というか、女性の持っている責任というのはものすごいものだなと思いますね。 だから、もし今子供を産もうとしている方がいるなら、もう、今日からでもいいので、人類の明るい未来のために、whole food plant-basedの食事、ヴィーガン食をしたらいいなと思いますね。 ここで先ほどの話に戻るんですけれども、今お話ししたことを全部踏まえると、信徒の奥様で、ヴィーガン食を作ろうとしたら、旦那さんに、「仕事一生懸命してるのに、肉食べられないんだったら仕事してる意味無い」(一同笑声)とか、「肉食べられないんだったら生きてる意味無い」みたいなことを言われて、なので、「ヴィーガン食の実践はなかなか難しいです」ということで、いや、本当に、その奥様のそういう状況は大変だなと思うんですけれども、でも、今私がした話から考えたら、むしろ反対ですよね。 せっかく一生懸命仕事してるのに、それこそ肉を食べてたらいい子孫も残せないし、常に戦いモードになるから人との争いもあるし、常に不安感に襲われてなきゃいけない。だとしたら、むしろそっちのほうが生きてる意味無いじゃないですか。これ、なんていうか、すごい皮肉なことですよね(一同笑声)。 自分は肉を食べるために仕事してるんだと言いながら、肉を食べてたら、結局仕事そのものもできなくなってしまうかもしれない。だから、本当はこの旦那さんが言われていることの逆ですよね。 たまに、「真明さんがそういうふうにヴィーガン食のことを話すのは、食べ物に対しての執着が無いからじゃないか」(一同笑声)ということを言われる方がいますよね。 ヴィーガン食を、と言われても、自分は食べ物への執着があるからなかなか難しいですとか、そういうことを言われる方いらっしゃいますよね。 皆さんね、これ信じられるかどうか分かりませんけれども、僕は、食べ物への執着があるからヴィーガン食をしてるんですよ。 どういう意味かというと、よくテレビとかで、芸能人とかが、例えばですが、コンビニで買った麻婆豆腐なんだけど超一流のシェフが作りましたと言って出してみるとか、ありますよね。あるいはなんか格付けみたいなことで、同じメニューを食べるんだけど、一方が高いやつで、もう一方が安いやつで、どちらが高いやつか当ててみるみたいのありますよね。 そういう時、安いやつを食べているのに、「すごいシェフが作ったんですよ」「高級レストランのですよ」となると、いきなり、「いや、おいしいですね」みたいになりますよね(一同笑声)。だいたいなるじゃないですか。我々もそうなると思いますよ。 あと、これは以前も少し言いましたが、なんかの絵を見た時に、最初は、「落書きみたいだな」と思ってたのに、「これ国宝ですよ」(一同笑声)とか、「ピカソのですよ」と言われた瞬間に、「やっぱりすごいですね!」みたいになりますよね。 というように、要は、味といってもいろいろな要素があるわけです。目とか舌とかの我々の感覚器官に入ってきた情報について、結局、「おいしい」と感じさせているのは脳ですから。 舌は自分が感じた情報を脳に伝えて、結果、脳が、「おいしいと思いなさい」という指令を出して、それで我々は「おいしい」と思うわけなんだけど、というように、そこには付加価値がありますよね。付加価値。 「これはただの麻婆豆腐ではなくて、あの中華の巨匠が作った麻婆豆腐です」と言われたら、「すごい。やっぱり味に深みがありますね」と感じたりして、でも本当はコンビニの麻婆豆腐だったりってことはありますよね(一同笑声)。 というようなことを考えた時、「本当の味とは何か」ということがあるのかなと思うわけです。 だから、私にとってヴィーガン食というのは、まず、明主様のみ心にお応えしている味。これがありますね。だって明主様は「ミロクの世は菜食だ」と仰せになっているんですから、そのみ心にお応えしている味。 それともちろん、イエス・キリストが最後の捧げものであるがゆえに、もはや動物の苦しみを伴う食は必要が無いという、イエスを真に贖罪主として受け入れてる味、これもありますし、あと内呼吸。内呼吸にとって最もエネルギーを効率よく作って、自分が意識しなくても深呼吸になって心を穏やかにしてくれる味、というか要素。 飢餓の問題もありますよ。世の中で、結局、一部の人たちが肉食したいがゆえに──日本も含めたお金持ちの国の人たちが肉を食べたいから──大量の穀物とか大豆とかとうもろこしとかを作ってそれを動物に与えてるんだけど、それらの穀物とかを今餓死しそうになっている子供たちに分け与えれば、世界から飢餓なんか無くなってしまうのに、一部の人たちが肉を食べたいがゆえにこの悲惨な状況が継続してる。 だけど、ヴィーガン食を通してこういう世の中を少しでもいい方向に持っていける。だって、今も毎秒毎秒死んでるんですよ、飢餓で。で、地球上全体にはその人たちに行き渡る食べ物は本来十二分にあるんですよ。動物に回してる大豆とか穀物を飢餓の人たちに回せば、もう一発で飢餓問題解決するんですよ。 だから僕は、肉を食べる時に、そういう飢餓で苦しんでいる子供たちの顔が目の前に浮かばないのかと、そう思うわけなんだけど、ヴィーガン食には、そういう現状に対して自分なりに努力している味もありますね。 それもあるし、あと、無農薬とか無肥料のものであれば、その要素も出てきますよ。自然農法のものをいただいてる、という味ですね。 だから、こういうことを考えると、ヴィーガン食の味の付加価値というのは、ちょっと有名なシェフが作ってるどころの話じゃないわけです。麻婆豆腐を食べるという時に、ものすごい有名なシェフが作ったということで、本当はコンビニのものでもものすごくおいしく感じるように、要は、舌がどう味を受けとめるかというのにこの付加価値の影響があるわけだけど、ヴィーガン食の付加価値は今私が言ったすべてですよ。 プラス、これから子供を産む方であれば、より良い子孫を残せるという味もありますよね。 もちろん、そもそも自分が病気になりにくい味でもありますね。病気にもならない。ま、我々はね、もう何十年間も肉食してますから病気はこれからもどんどん出てきますよ。それは出る。だけど我々が転換点となって、そうじゃない世界を造ろうとしてるわけですよね、今。だからそういう世界をこれから造るんだ、という味もありますよね。 深呼吸をさせていただける味。エネルギーが満ち足りて神様に心を向けさせていただける味。より良い子孫を残せる味。病貧争絶無の世界を造るということに向き合ってる味。いくらでもありますね、付加価値が。 あと、妻が作ってくれてる愛の味というのもありますけれどもね、実は(一同拍手。真明様、会場の拍手に続いてマミ奥様に向かって拍手)。この最も大切な点を思い出せてよかったですね、今(一同笑声)。 でも、冗談ではなくて、こういうことも味の一部ですよね。奥さんが作ってくれたとか、家族で食べるとか、それにより追加される味もありますね。 だから何を言わんとしているのかというと、僕は、本当においしいものを食べたいわけです。食べた時に、心底、「本当においしい」と思えるものを食べたいから、だから僕はヴィーガン食を実践している。これは、一見、肉を食べたい方にとっては僕が大矛盾を言ってるように思うかもしれないけれど、そんなことはないんですよ。 僕は、本当においしい一口を食べたいがゆえに、そしてまた、皆様にもその世界を味わってほしいということを願うからこういう食の話をしてるし、私自身おいしいものへの執着があるから、ヴィーガン食の話をしてるんです。 僕は、おいしいものが食べたくて食べたくてしょうがない、本当のおいしさを味わいたくてしょうがないから、ヴィーガン食の話をしているんです。ま、ということにしておきましょう(一同笑声)。 いや、でもほんと、食への執着が無いわけではなくて、本当にあるんですよ。家でも、ちょっとなにかマミが作ったものを、「子供たちのほうが量が多いんじゃないの?」(一同笑声)とかね、すぐそういう感じになっちゃいますから。だから私は、食への執着がすごいんですよ(一同笑声)。食べ物への執着が強すぎて、ヴィーガン食のことを言い出したのかなと、そんなことを私は思っています。 私がいつも菜食の話をしていますので、この間、ああなるほどそういうふうに思うのかと感じた感想があったのですが、それは、もしヴィーガン食がそんなにいいものなら、なんで神様は人間を創造する時、そもそも、肉を食べると「まずい」と思わせる舌にすればよかったじゃないかというのがありまして、うーん、ま、ごもっとも(一同笑声)と思ったんですが、僕はそのご感想を読んだ時、すぐ、「幸福の秘訣」という明主様の聖言があるんですけれども、それを思い出したんですね。 そこで明主様が仰せなのは、私はよくこういうことを言われる、それは、神様が人間を造ったのに、なんで人間に悪いことをさせて、それを罰して、最後の審判だなんだとしているのはおかしいじゃないか、そもそも悪いことなんてしない人間を造ればいいじゃないかと。それに対して明主様は、まあ確かにそうなんだけど、その辺りのことはもう人間の分際では分からないんだ、だけどこの世の現実があるんだから、そういう詮索は有閑人──暇な人に任せて──我々は現実を主にして進んでいこうじゃないかということを仰せになるんですね。 だから、ヴィーガン食のことも同じで、確かに、もしそもそもそんなに身体にもよくて、子孫にもよくて、病気にもならなくて、というものなら、なんで肉食嫌いな人間にしなかったのか、ということなんだけど、だとしたら、同じ理屈で、そもそも殺人しようと思う人間にしなきゃよかったじゃないか、なんかよく分からない性犯罪をするような人間にしなきゃよかったじゃないか、喧嘩しないような人間にすればよかったじゃないか、ということであれば、もう我々はロボットですよ、ロボット。 自分の選択はゼロですね。神様が最初から全部完璧な人間を造るんだったら、そもそも創造する意味も無いですね。 でも、実際には、人間世界はいろいろ抱えてるじゃないですか。不条理と思われることもたくさん抱えている。そして我々は、このぐちゃぐちゃした世の中を進んでいくというところに置かれてますよね。だから僕は、そこに我々の救いの使命があると思うわけです。 そういう世の中を救っていくのが我々の使命ですよ。 全部神様がされているならもう我々の仕事は無いじゃないですか。「人類はすばらしいですね」で、もうすべて終わっちゃいますもんね。 でも実際はこの世の中はいろんな問題を抱えていて、それがために、明主様は病貧争絶無の世界を造るということで身を挺して立ち上がられたわけでしょ。そして我々は、その意志を継承して本当に病貧争絶無の世界を造ろうとしているわけです。 今日前半から私がずっと話してきたことは、科学のことですよね。顕微鏡とかでいろいろ調べていろんなことが分かってしまうわけで、だから、科学は確かにすごいですよね。すごい。私は、科学を丸々否定するつもりは一切無いですよ。無い。だけど、じゃあ科学だけということになったらどうなるんだと。 だって明主様は、最近投稿されているインスタグラムの明主様の聖言の数々も、西洋医学に対して真っ向勝負挑んでますもんね。 で、僕は、その明主様のご姿勢というのは、科学そのものを全否定しているというより、結局、科学に命を委ねるという我々のその生き方が、どうしてもやっぱり、この世を主体とするもので終わっちゃうんじゃないかということだと思うんですね。 今の話ではないですが、もし健康ということだけになったら、「長生きしましょう」で話は終わりですもんね。菜食はすばらしいので長生きできました、いい子孫も残せました、それだけで終わりですね。 でも我々は、パンのみによって生きるのではないですよね。イエスが言ってるように、我々はパンのみによって生きるのではない。 パンというか食事のみによって生きるんだったら、「ヴィーガン食が一番いいですよ」ということで、そういうことを普及する団体になっちゃえばいいんだけど、我々はパンのみによって生きるわけではない。 で、そのパンということについてイエスがなんて言ったかといったら、「パンは私の体だ」と仰せになった。「パンというのは私の体であり、あなた方が毎日飲んでるワインというのは私の血なんだよ」と仰せになった。 あなた方は、パンを、あなた方の命を長らえさせる食べ物のように思っているかもしれないけれどもそれは違う。本当は、あなた方は、パンのみによって生きてるんじゃない。むしろ、パンを食べることを通して私の体を受け入れるというその信仰、そして、ワインを飲む時に私の血を受け入れるというその信仰、その信仰によって本当は生きてるんだと、そういうことですね。 だから僕は、それが、日本人にとって毎日食べるものはご飯とおみそ汁だけど、それを、ご飯おいしいね、おみそ汁おいしいね、身体にいいね、で終わったら我々はただのヴィーガン食推進団体で終わりですね。ま、ヴィーガン食を推進している団体はそれはそれでいいし、我々としてはそういう団体を応援したいとは思うんだけど、我々が目指しているところは永遠の命ですからね。 イエスは、当時、あなた方は毎日パンを食べてるけれども、これは、ただあなた方のこの世での命を長らえさせるものではないんだ、あなた方は毎日ワインを飲んでるけれども、それは、ただ喉の渇きを潤してこの世で満ち足りて生きていくためだけのものではないんだ、そうではなくて、食べるという行為そのものですらもうそこに信仰があるじゃないかと、それを仰せになりたかったわけです。 日本人にとって日々食べる食事はご飯。だから僕は、これをただ、「ああ、ご飯おいしいね」で終わるのではなくて、食べる時に、「これは復活したイエスの体をいただいてるんですね」という思いで食べることが大事じゃないかと、それを今思うわけです。 だって我々は、明主様と同じくメシアとして新しく生まれることを目指してるんですよね。で、メシアというのは「キリストの再臨」ですよ。明主様が仰せのメシアというのはキリストの再臨。 いや、だからね、西洋の人はパンでもいいんですよ、当然。とうもろこしが主食のところではそういう食事になりますし、それこそアンゴラ人にとってはフンジですよね。あれはキャッサバ粉だから根菜ですよね。フンジの場合は、キャッサバ粉も使うし、とうもろこしを使うのもありますけどね。 とにかく、毎日毎日毎日、毎食毎食毎食食べるものを、「あ、これは本当はイエス様の体をいただいているんですね」という思いで食べる。これが重要なわけです。 そして、毎日飲む汁気のものについても、イエス様の時代では、当時、水がそんなにきれいではない場合、子供でも薄めてワインを飲んでたみたいですよ。 日本人で言えば、毎日おみそ汁を飲む時に、ただ漠然と、「ヴィーガン食してます」「すごい」ということで飲むのではなく、イエスの罪の赦しの血だと思って飲む。これですね。 だって我々、罪まみれのままでどうするんですか?我々は「罪有り」と定められてるんですよ。 メシア降誕仮祝典の時、当時の木原理事長が明主様に向かって、「全人類の罪をお赦しください」と言ったんでしょ?だとしたら、皆さんはここの「全人類」の中には入ってないんですか? 自分だけ違うというならもうその方は神様ですよ。でも我々は「全人類」の中に含まれてますよね。 当時の木原理事長が言ったんですよ、明主様に。「全人類の罪をお赦しください」と言って、それに対して明主様が「うん」とうなずかれた。1954年6月15日、ですね。皆さんは、明主様に乞い願い上げたほうに入ってないんですか? もし入ってるとしたら、罪の贖いはイエス・キリストから来るんですから、おみそ汁を飲む時に、「罪の赦しをお受けしたいのです」と言って飲ませていただくことができれば、当然、人はパンのみによって生きるのではない、また、天国に行ったら飲み食いじゃないと書いてあるけれども、だけど、その心の営みは継続しますよ。 天上に行った時に、「お前は私の栄光の体を受け入れたいのか」と言われた時に、この地上でしっかり訓練してるじゃないですか。食事を通して、「受け入れたいのです」と、日々思ってるじゃないですか。 だから、その地上での訓練を通して、下手したら地上にいる間に新しく生まれられるかもしれませんよ。だってそれ、明主様に起きたことですよね。明主様は地上にいながらにしてメシアとして新しくお生まれになったんですよ。だから我々は、パンのみによって生きてるんじゃないですよ。そんなね、「ご飯とおみそ汁食べておいしいな」で終わったらなんの話にもならないですね。 というように、病貧争絶無の世界を造るための菜食というその具体的な行動が、しかも即、メシアとして新しく生まれるという全人類が目指さなければいけないということにも関わってるんです。大変なことですね。 こんなことを言っている私は、普通のキリスト教徒の人から言わせたら、もう異端も異端ですね。 だけど、イエス・キリストだって異端だったんですよ。イエスという存在はユダヤ教徒の中の異端で、で、異端すぎてどうなったかといったら、殺された。あなたの考えはユダヤ教の教えにはそぐわないので死んでくださいと、こういうことですね。イエス・キリストは異端だから殺されたんです。 明主様も、この世の科学とか農法とか薬とかの考え方からしたら、もう異端も異端じゃないですか。 だけど、世の中の人の大多数は「人間主体」でいきたいわけですから、もし我々の訴えていることについて、世の中の人が、みんな「そうだ」というふうに言うとしたら──まあ確かに我々はそれを願ってはいるけれども──もしみんな、「そうだそうだ」と言って、我々の考えが世の考えと普通に合わさって、なんの問題も無いみたいになったら、むしろ気を付けたほうがいいですね。そういう考えは、真実じゃない可能性がありますよ。だって真実というのは、常に人間の耳には痛いですからね。 明主様信仰のことについても思うんですが、こんなにイエス・キリストのことを話している我々メシア教は、他の明主様信仰をしている(と思い込んでいる)人たちからは、もう明主様信仰を捨て去ったんじゃないかと言われているかもしれないですね。 で、「明主様信仰」というものを考えた時、僕は、大きく2つの道があると思うんだけど、まず大前提として、明主様信仰という以上、明主様が最後最も大切にされたのはご自分がメシアとして新しくお生まれになったことですよね。これは絶対そうですね。 先ほどのメシア降誕仮祝典のこともありますし、碧雲荘に当時幹部の人500人ぐらいを呼び集めて、しかも、最もすばらしい正装で来なさいと仰せになって、主にはモーニングですね、そしてその場でメシア降誕をご発表になった。 それを考える時、今明主様信仰をしていると主張している他の団体は、「明主様がメシアだ」と言って世界中で布教しているのか?と。してないですね。 なぜかというと、こういう方たちが思うのは、「明主様がメシアだ」と言って世界に布教したら、世界中で20億とも言われるキリスト教徒はイエス・キリストのことをメシアだと思ってますから、その中で明主様のことをメシアだと言って訴えたら自分たちはカルトになっちゃう、とまあ感じるのかな、こういう方たちは。 だから結局それを隠して、で、内部的にのみ明主様はメシアだということにして、せいぜい世に言えるのは「我々のメシアだ」ぐらいですね。で、なにをしてるかというと、「明主様といえば浄霊ですよ、芸術ですよ、こういう活動ですよ」くらいなものですね。 でもそのあり方は明主様信仰ではない。明主様をメシアとして世にお出ししてないなら、それは絶対明主様信仰ではないですね。それはただ、「明主様信仰」の名を借りた、ただ自分にとって都合のいい信仰をしているだけの話ですね。 ということは、明主様信仰をすると言うなら、唯一の道は明主様をメシアとして世に出す道しかないんですよ。だってそれが明主様の最後の願いなのに、それを横に置いて明主様信仰をするというのはあり得ないですからね。だから、明主様信仰をすると言うなら、明主様がメシアであるということを世に出して初めて明主様信仰をしてると言えるわけです。 で、私が何を主張しているのかといったら、まず、イエス・キリストはメシアである。イエス・キリストがメシアであって、そして、二千年前、イエス昇天後降ったペンテコステの聖霊というのを明主様は夜昼転換としてご感得になって、もう世の中すばらしいことになったんだ、ペンテコステの聖霊、つまり夜昼転換のパワーを受けて、人類誰もがメシアとして新しく生まれることができるようになったんだ、ということですね。 ペンテコステの聖霊により世の中は一変した。もはや人類は、生まれ変わってなんか動物になったりとかそんな存在ではなくて、誰もが神様の子供であるメシアとなれるという世界にもう入ったんだということを御身をもって示されたのが明主様ですね。だからメシアですよ、明主様はね。だってメシアとして新しくお生まれになったんでしょ? だから、明主様を「メシア」として出せない信仰は明主様信仰ではない。 僕はもういくらでも言えますね。「明主様はメシアである」──僕はこれ、世界中の人に言えますよ。 でも、他の明主様信仰の方々は、結局それができないから、なんか浄霊中心だとか言ってみたり、メシアというのを隠して、もはや宗教でもない方向で行こうという人たちもいますね。というか、明主様を、メシアどころか岡田茂吉として世に出してしまってますね。人間として出してしまっている。でも、明主様は宗教家ですよ。 だから、数ある明主様信仰の中でも唯一本当の明主様信仰を貫いてるのがメシア教なんですよ、実はね。 だって、他の明主様信仰の人たちは全然明主様を信仰してないですよね。メシアとして新しくお生まれになった明主様を信仰するということは、その御姿を信じて仰ぐ ということですから、その明主様をメシアとして世に出してないとしたら、明主様信仰の「め」の字も語る資格は無いですね。 我々は「お委ね」とかしていますけれども、病貧争絶無の世界ということは、本来、お委ねする材料そのものが無くなったほうがいいに決まってることは間違いないですね。 確かにね、想念の実践とか湧いてくる思いを神様へお捧げすることは大切なことです。でも、そもそもそういう思いすら湧かなくなるのが天国でしょ。喜びに満ちあふれてもう喜んで喜んで仕方がないという世界が天国でしょ。だから、本来我々は、お委ねが目的なのではなくて、お委ねするところから解放されるのが目的なんですよ。 そのためには、今日、前半で話しましたように、このヴィーガン食というのが我々人類、人間の性質を変える。肉食をすることによって、結果戦争をして、領土を取ったり取られたり、他の人に取られる前に取ろうとか、他の人に嫌味なことを言おうとか、心にいつも不安が湧いて過去のことを悔やんだりとか、そういうことが、肉食をやめ菜食にすることによって減っていくのだとしたら、病貧争絶無の世界を造ろうとしている我々にとってこれはもう重大なことだと思いますよ。 明主様の「ミロクの世は菜食」というのは、聖言の本当に一部ではあるけれども、でも、今までの我々の歩みを考えた時、本当に地上天国ができるというその道筋が見えたことがあったんだろうか。いや、確かにね、当時浄霊でものすごい奇蹟が起きてた時はあったと思いますね。でも、今、その道筋はもう見えなくなりかけてたんじゃないんですか? だけど今、もう科学が示し始めてますよ。ミロクの世は菜食。菜食によってエネルギーに満ちあふれ、生存を競うよりも神様に心を向けられる余裕のある心を作れるわけですから。 だから、信仰がんばる、呼吸がんばる、これをがんばるとしなくても、日々の食事によって人間の性質が変わって、そして、生まれてくる子孫の性質も明るさも元気さも変わって、それが広がったら地上天国じゃないんですか。 病貧争絶無の世界、地上天国を私たちは造りたいんですよね。というか明主様はそれを造ろうとされたんですよ。しかも、この菜食という営みがイエスの贖いと密接にからんでいるし、メシアとして新しく生まれるということにも密接にからんでいる。ということはどういうことかというと、人類を救う唯一の道が今メシア教に託されてるわけです。 菜食の良さを説いている団体はあるけれども、それを人類の目的である、神様に心を向けて、人類は神様の子供であるメシアとして新しく生まれなければならないということと一つとして訴えてる団体は無いと思いますよ。 だからまず、我々自身が、理想世界を造ろうとされた明主様の気迫と精神を夢物語として終わりにするのではないと決めないといけない。 僕自身は、今日皆様にお話ししたことは、今明主様が我々にお伝えになりたい非常に大切なことだと思っております。いや、人類が一つのお母さんに結ばれてるんですよ、ミトコンドリアDNAを通して。そしてもちろんね、最終的には、ミトコンドリアもミトコンドリアDNAも含めて全部神様の御手に帰って、収めていただかないといけない。 だけど、その過程の中で、神様の栄光が現れたすばらしい理想世界というのを造って、地上にいながらにして共に神様に仕えるという、そういうすばらしい日々を我々は歩めるわけです。 ですので、本当の明主様信仰を継承しているという誇りを持って、病貧争絶無の世界、そしてメシアとして新しく生まれる、これを共に力を合わせて成し遂げたいと思っております。 ありがとうございました。 * ATP 「アデノシン三リン酸」Adenosine Triphosphateの略。