皆様、おはようございます。 まず、このたびの巡教に際し、私と、また、日本及びその他の国々からの参拝団に対しての皆様の温かい受け入れに対し、深く感謝します。 特に、このたびのヴィーガン食のプロジェクト――責任者はマルセリーナ教区長ですね?(そうです)――は大変なプロジェクトでしたが、皆様の真心に感謝申し上げますし、日本をはじめとする海外の参拝団も皆様のご努力に感謝の気持ちでいっぱいだと思います。 私が聞いたところによると、日本の参拝団は、食をはじめとする皆様方の受け入れに対し、そのお気持ちになんとかお応えしたいということで、どこか観光するよりも、アフリカの信徒の皆様と交流し、皆様への感謝の気持ちを伝えたいと、そういう意思を示しているとのことです。 皆様がご用意くださっているアフリカヴィーガン食は、言葉で表現できないくらいすばらしいですね。 ちょうど昨日もアフォンソ本部長とカブソ副本部長にもお伝えしたのですが、今度私は、土地を聖別するためではなく、フンジ[1]を食べるためにアフリカに来たいと思っています(一同歓声)。 本当に、この、アンゴラの食を、アフリカの食を皆様とご一緒に食べさせていただく経験というのは―私は主に本部長と副本部長とご一緒させていただいていますが―心に強く刻まれる経験です。食を共有すると、まるで家族のようですからね。 毎日毎日、たくさんの人のために三食用意するというのは大変だったと思います。決まった時間までに用意しなければなりませんしね。 同じ食をいただくことによって、私たちは、私たちが兄弟姉妹であることを確認できましたし、日本からの参拝団もそのことを強く感じていると私は思います。 さて、昨日のことですが、明主様は、アフリカに聖地を造ることを望まれた。そして、明主様が何かを望まれたら、私たちの力で明主様を止めることはできない。もし明主様がアフリカに聖地を造ることを望まれるならば、それは何があろうとも成し遂げられる。ですね? ということで昨日アフリカに聖地ができたわけですが、たくさんの明主様の聖言を無視してきた我々であることを思うと、我々は本来聖地を持たせていただくに値しない存在です。 明主様は、今回の教団浄化を通して、明主様の信徒すべてから聖地を没収された。それは、教主様につながる我々も同様のことです。明主様は、ブラジルの聖地も没収されましたね。ブラジルにも現在聖地は存在しない。日本のことで言えば、いわゆる三聖地はもはや存在しない。つまり、昨日まで、地球上に、明主様の聖地は一つも存在していなかった。 そうだとして、それはなぜか。なぜ私たちみな聖地という美しい場所を失わなければならなかったのか。それは、当然、我々が明主様のみ心に反していたからです。 そもそも、目に見える聖地というのはなぜ存在しているのでしょうか。 それは、我々の中に存在する「聖地」を思い出すため。形ある聖地は、私たちの中に存在する目に見えない聖地を思い出すために存在している。これは大変重要なことですね。 明主様は、私たちがこの真理に目覚めるため、ものすごいご努力くださったわけですが、私たちはこの明主様のみ心を忘れ、形あるものばかりに焦点を当ててきた。 浄霊で病気が治ればそれでいいじゃないか、聖地はきれいなところだなぁ、という感じですね。 そのような私たちの姿をご覧になった明主様は、地球上にいるすべての明主様の信徒は、聖地を所有するにふさわしい存在ではないと一方的に決められた。これが事実です。 しかも、こんな我々であっても、教主様は、私たちがこの明主様の真理に目覚めるよう長い間ご教導くださっていた。しかし我々は、この教主様のご教導すらも大して大切にしてこなかった。 確かに、教主様は大切だ、くらいのことは言ってきたでしょう。でも、教主様の聖言についてどれほど真剣に受けとめてきたのでしょうか。 はっきり言って、教団浄化が起きて初めて教主様がご教導くださっていることを真剣に受けとめるようになったくらいではないのでしょうか。 それまでは、口では、「教主様のことは大切だ」と言いながら、一方では明主様というご存在がある。ということで、すべて中途半端だったのではないですか?中途半端。 教団浄化が起きて初めて、教主様がご教導くださっていることを心底受け入れるか否かを決めなければならなくなった。というか、教団浄化が起きて初めて、教主様の聖言は明主様の聖言であるか否かを決めなければならなくなった。ですね? 神様は、教団浄化を通して私たちに決断を迫ってこられた。神様と明主様は、教団浄化の時、私たちが、たとえすべてを失ったとしても明主様の真実の道を選ぶのかどうか私たちを観察しておられた。 神様と明主様は、「あなたは、あなたの通っている教会を失うかもしれない。あなたの教会で与えられている立場を失うかもしれない。手を掲げる浄霊を失うかもしれない。真実のため、すべてを失う覚悟はあなたにはありますか?」という思いを持たれ、私たちが、教主様に従うかどうか、すなわち明主様の真の願いに従うかどうか観察しておられた。 そして、これは、決して私たちの選択が正しかったからではないですが、神様と明主様は、今、私たちが再び聖地を持ってもいいですよと言ってくださっている。神様は、「もし私の本当の願いに従うなら、再び聖地を持ってもよい」と言ってくださっている。 では我々はこれで安泰なのかというと全然違います。全く違います。もし私たちが再び明主様のみ心から離れ、目に見えるものを優先する生き方をするならば、明主様は、昨日私が聖別した聖地をすぐ私たちの手から奪い去るでありましょう。こんなことは、簡単に起こります。 神様と明主様にとって、再び教団浄化を起こすことなんてわけないことです。簡単なことです。また教団浄化が起きてほしいですか?(一同苦笑) 今私が話していることは重要なことですが、それだけ昨日聖別した聖地は私たちにとって大切な場所である、ということでもある。今、私たちは、明主様の聖地を預からせていただいている。これは大変なことですね。 私たちは多くのものを失いました。というか、明主様は多くのものを失いました。特に信徒。ここアンゴラではそうでもありませんが、明主様は、タイ国の多くの信徒を失われました。明主様は、ブラジルでも多くの信徒を失われました――サントス先生すみません(サントス先生はご面会に参加されていた)。日本でも、多くの信徒は教主様、すなわち明主様のほうに来ましたが、それでも、明主様はある程度の信徒を失われました。 しかし今、ここアフリカにあんなにすばらしい聖地ができた。明主様のお喜びはどれほどのものなのでしょうか。 というのは、今メシア教が所持しているアフリカの聖地は、この地球上において、明主様にとっては唯一の聖地である。ということは、アフリカの信徒にとっても、ブラジルの信徒にとっても、ヨーロッパの信徒にとっても、日本の信徒にとっても、唯一の聖地であるということです。このアフリカの聖地は、世界中の明主様の信徒にとって、現在、唯一の聖地であるということです。 確かに、将来的には、教主様が日本における聖地も聖別してくださるでしょう。でも、たとえそうであったとしても、ここアフリカが一番最初です。アフリカが一番であり、現在明主様の聖地が唯一ある場所、それがアフリカです。 昨日私はアフリカ信徒の使命について話しましたが、大きな使命には大きな責任が伴います。 今後、世界中の多くの信徒がアフリカの聖地に来るでしょう。その時、この聖地を維持管理し、多くの信徒を迎えるのはアンゴラの皆様です。アフリカの皆様です。 明主様が、アンゴラの皆様、アフリカの皆様に託しておられる役割のなんと大きなことでしょう。 明主様は、聖地を再び下付される場所に、日本は選ばれなかったんですよ。明主様は日本は選ばれなかった。ご自分が生まれられた国である日本は選ばれなかった。明主様はアフリカを選ばれた。皆様、これは大変なことですね。アフリカの皆様がお持ちの責任は重大ですね。 このたび多くの日本人がアンゴラに来ましたが、これから先、それこそ来年から、もっと来ますよ。彼らが聖地に行った時、彼らは内なる天国を思い出さないといけない。そういう聖地でないといけない。そのためには、皆様があの聖地をすばらしい場所にしていかなければならないのです。 昨日聖別式を行いましたが、一つ勘違いしてはいけないのは、この地球すべて、すでに神様によって聖別されているということ。我々自身もすでに神様によって聖別されたし、神様はすでに私たちの中に生きておられるし、救いはすでに私たちの中で成し遂げられた。これらのことはすべて真実です。 ではなぜ、神様が私たちの中にすでに生きておられるのに御神体が必要なのでしょうか。それは、目に見える御神体を通して、神様が私たちの中に確かに生きておられるのを確認するため。そのために御神体があるのではないですか? 御神体のような形あるものの助けがなければ、私たちは、本当に大切なことを思い出すのが難しい。おひかりも同じことです。目に見えるおひかりを通して、私たちの中に光があることを思い出させていただく。聖地。形ある聖地を通して、目に見えない天国という世界が私たちの中にあることを思い出させていただく。ですね? ですから、昨日聖別されたあのアフリカの土の聖地は、これから、全世界の世界メシア教信徒にとって、内なる天国を思い出させていただくための拠り所となる場所である。 昨日は確かに喜びの一日でした。ですが、なんと言ったらいいのか、この喜びが継続するために、私たちは、今まで私たちが明主様のみ心に反してきた歩みを忘れてはいけない。 もしこれを忘れるならば、目に見える聖地を持っていてもなんの意味もない。私たちはまた同じ過(あやま)ちを繰り返して、また教団浄化が起きて、そして神様はまた私たちの手から聖地を奪い去るでしょう。 だから私たちは、今までのような感覚で聖地を扱うことはできない。 今私たちは、全く新しい段階に入ったと思います。昔は、ただ、自分たちの都合を優先しつつ、明主様に従っていたつもりだった。これから私たちは、まさに明主様に倣って、私たちの中に天国があると信じて、そして、聖地建設を進めていかなければならない。 今まで私たちは、明主様だけが特別だと思い込んできた。明主様だけが真実を知っておられると思い込んできた。でも、もし神様が皆様一人ひとりの中におられるとしたら、皆様も明主様が知るに至った真実を知っているんですよ、本当は。 ですので、天国がここ(真明様、眉間の天庭を指し示される)にあると確信し、明主様に本当に喜ばれる聖地を共に造ってまいりましょう。 言うまでもないことですが、明主様ご昇天後から今まで、ずっと、聖地は明主様にお喜びいただけるものではなかったんですよ。もし明主様がお喜びになっていたら、どうして教団浄化なんかが起きる必要があったのですか? 我々の聖地の扱い方、思い方、捉え方が明主様にお喜びいただけるものではなかったから、明主様は、世界中の明主様を信じる全信徒の手から聖地を没収されたわけです。 ですので、本当の天国は私たち一人ひとりの中にあるという確固たる信念を持って、そして、明主様とイエスに対して、「お二人はどのような聖地となることをお望みでしょうか」と常に伺って、そうしたらお二人は、必ず道を示してくださると思います。 このような思いで、本当に明主様に喜ばれる聖地を共に建設してまいりませんか?(一同拍手) アンゴラ信徒、アフリカ信徒がお持ちの、また別の責任についてもう少しお話ししたいと思います。 それをするにあたって、まず、皆様が今日本にいるセメス研修生を育ててくださったことに私は感謝したいと思います。セメス研修生に対して、日本国全体はアンゴラに、アフリカに、深く感謝しています。 本当に、あの若いセメス研修生が日本の信徒に与えている影響は計り知れないものであり、どの教区も、「自分たちのところにセメス研修生を送ってほしい」と願っています。 セメス研修生が持っている信仰は、日本信徒のそれと比べると、別次元のものですね。日本信徒は、教主様が常におられるということに慣れ切ってしまわれたのかどうか分かりませんが、日本人の我々は、本当に、信仰の純粋性を失ってしまった。でも、セメス研修生は、この信仰の純粋性を日本にもたらしている。 ですので、日本の信徒を代表して、あのようなすばらしいセメス研修生を送ってくださったことに皆様に感謝します。 アンゴラの皆様、アフリカの皆様にとっては、日本というのは、明主様が生まれられた場所であり、教主様がおられる場所であり、まさに救いの源だと思われているかもしれません。 でも、日本人は、ここ数十年間の経済発展により物質的に大いに恵まれて、これは私も含めてですが、目に見えないものの大切さを忘れてしまっているように思います。目に見えるものばかりを大切に思い、目に見えないものの存在を軽視するに至っている。 我々は、物事をちゃんと進めるとか、ルールに則ってなにかするとか、そういうことばかりを考えて、最も大切なことを忘れ切っているように思います。最も大切なこととは、情熱、信仰、確信、覚悟、このような我々の「心」に関わること、これを忘れ切ってしまっている。 私は、アフリカ信徒の皆様は、経済的な発展とか多くの物に囲まれた結果、いつの間にか目に見えるもののことしか考えなくなった我々日本の信徒、また、世界中の信徒を目覚めさせてくださるご存在だと思っています。私たちは、純粋性を失ってしまったのです。 明主様が私たちに願っておられるのは、信仰の純粋性を持つこと、これだと思います。物事をうまく進めるとか、賢く立ち回るとか、そのようなことを明主様は私たちに願っているのではない。 明主様が私たちに願っておられることは極めて単純なことであり、それは、まさに信仰の純粋性であり、神様に一心にお仕えすることです。 明主様は私たちになんと言っておられるのか。それは、「もしあなた方が信仰の純粋性を持つなら、神様はあなた方に物質的なことも恵んでくださいますよ。そして、この順番は逆ではない」、これを言っておられる。 でも、神様がどこまでも寛大なゆえに、日本人である我々は物質的に大いに恵まれ、結果、私たちは神様に対して非常に無礼な態度をとり続けている。そして、ついには、このように物質的に恵まれるのは当たり前のことなんだとまで思うに至っている。家とか服とか携帯とか、ですね。「いいじゃないか、神様が恵んでくださってるんだから」と、そういう姿勢ですね。 今回明主様はご自分の全信徒から聖地を没収されたわけですが、これはほんの始まりかもしれませんよ。もし私たちが変わらないなら、神様はもっと私たちの手からいろんなものを没収され続けるかもしれません。私たちが目覚めるまで、神様は没収され続ける、かもしれません。 なぜ日本の信徒はセメス研修生からここまで大きな影響を受けるのだろうか。 それは、アフリカ信徒の皆様が、私たち日本人が忘れ去ってしまった信仰の純粋性をまだお持ちだから、だからだと思います。 ですので、私は皆様に一つお願いをしたい。今皆様がお持ちの信仰の純粋性を無くさないようにしてください。世界は、皆様がお持ちの尊い信仰を頼りにしていると、私はそう思います。 ただ、一つ皆様に警告しておきたいのは、この信仰の純粋性を失うのは簡単なことです。簡単です。日本を見れば分かるではないですか。教団浄化に次ぐ教団浄化。それはなぜかというと、我々は、明主様時代の方々がお持ちだった信仰の純粋性を失った、だからです。だから教団が分裂し、もめて、警察も介入して、挙句の果てには裁判沙汰になっている。 裁判なんて、本来、恥ですよ。もちろん、その必要性があることは理解できますが、私の本音を言えば、内輪同士で裁判をしてるなんて恥です。 神様は、主に日本信徒の我々に対してですが、「いいかげん目覚めなさい。あなた方の仲間が昔持っていた信仰の純粋性を失っているじゃないか。明主様がお持ちの信仰の純粋性を忘れているじゃないか。だからこんな教団浄化のようなことが起きているんだ」と、そう仰せだと思います。 私は昔の教団浄化の話をしているのではない。今の話です。今我々は、裁判していませんか?していますね。なんと恥ずかしいことでしょう。昔は共に明主様を信仰する兄弟姉妹であったのに、今は裁判でケンカしてる。なんと恥ずかしいことなのだろうか。 本当に我々は、信仰の純粋性を取り戻さないといけない。そして、日本や世界の信徒は、アフリカの信徒は信仰の純粋性をまだ持っていると信じていると思います。そうでなければ、なぜこんなに多くの日本人が今回アンゴラに来たんですか? 確かに私は少し勧めましたが、かと言って私が旅費を持つわけではないですからね。ほとんどの皆様は自費で、日本からこんなにも遠いアンゴラにわざわざ来られている。 若い方もたくさんおられるし、でも、年齢が高い方もいますね。なぜこんなに大きな犠牲を払ってでも彼らはアフリカに来たのかと言ったら、それは、彼らが失ってしまった信仰の純粋性に触れたいからです、本当はね。 だから私は、アフリカの皆様がお持ちの責任は重大だと申しているのです。なぜなら皆様は、今皆様がお持ちの信仰の純粋性を保持し続けなければならないから。 アフリカの皆様にとっては、アフリカがこんなにも大きな影響を日本の信徒に与えているとは想像しがたいことかもしれませんが、これは事実です。皆様は大きな、大きな影響力を持っている。 80名近い方ですよ?日本から。日本のほぼ反対側にある国、行くのに丸一日、24時間以上はかかる国。そこにわざわざ日本から来ている。それは、彼らが、ここアフリカに来れば、明主様時代の先達が持っていた信仰の純粋性に触れることができるから。彼らが、自分たちの信仰を甦らせたいから。だからですよ。 将来、もし皆様が今お持ちの信仰の純粋性を失い、明主様のみ心即ち教主様のお心ではなく、自分の都合の良い明主様に仕えるようになったら、日本の信徒はもうアフリカに来ることはないでしょう。日本の信徒はそれを見抜くと思います。 私は、私たちが失ってしまった、皆様が今お持ちの信仰の純粋性を、皆様が持ち続けることができるよう心底願っています。 信仰を持ち続けることは簡単なことのようですが、それは本当に難しいことです。物質に恵まれれば恵まれるだけ、難しくなります。 私は、日本の信徒の信仰を甦らせる役目を、アフリカの皆様に託したいと思います。私は皆様を頼りにしています。 日本の信徒の信仰心、世界の信徒の信仰心、それは甦り、救われなければなりません。だからこそ私は、日本の信徒をはじめとする世界中の信徒がアフリカに行かなければならないと、そう訴えているのです。 アフリカと日本、そしてアフリカと世界は一つに結ばれなければなりません。この営みがこれから始まります。 これから私は日本において、日本の信徒がもっとアフリカに来るよう強く訴えます。なぜなら私はアフリカの皆様を信じているからです。信頼しているからです。私は皆様を信じ、信頼してもよろしいですか?(一同拍手及びスタンディングオベーション) 昨日の土の聖地の聖別式により、私たちは全く新しい段階に入った。それはどういう段階かというと、明主様の信徒が信仰の純粋性を取り戻し、明主様に真(しん)に喜ばれる信徒となるということ。 皆様、教主様のもと、心一つに、大いなる喜びと確信を持って、共に歩んでまいりましょう。 終わります(一同拍手及びスタンディングオベーション)。[1] とうもろこしまたはキャッサバ(根菜類でイモの一種)の粉にお湯を混ぜておもちのようにしたアンゴラの主食。