質問1 夫婦でご神業にお仕えすることについて信徒:真明様とマミ奥様のお二人のご様子を拝見していますと、そこには素晴らしい調和があり、また、お二人の御眼差しから、お互いに敬愛しておられることが私には感じ取れます。お二人のお姿には、「愛」という言葉の本当の意味が表現されているように思うのです。 これを踏まえまして質問でございますが、夫婦として共に御用にお仕えすることについてのお考えをお聞きしたいということと、また、夫婦としてどのように「新しく生まれる」という道にお仕えさせていただけばよろしいでしょうか? フェルナンド・シャーガス・アランベルチ(本部長 男性 45歳) 真明様:フェルナンド本部長、ご質問誠にありがとうございます。 まず、夫婦が良好な関係を維持するというのはもちろん大切なことではありますが、本日は、次のようにお答えしたいと思います。 (真明様、聖書のページをめくられながら)「ルカによる福音書」第14章、ここの一部読みます。 大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(25節~26節)。 繰り返します。 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」。 イエスはここで、もし自分の妻(あるいは夫)をイエス以上に愛するなら、イエスの弟子になることはできないと言っています。 また聖書の別の箇所も読みます。「マタイによる福音書」第10章から。 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう(34節~36節)。 厳しいですね、イエスは。ただ私は、フェルナンド本部長に、「離婚したほうがいい」と言っているわけではないんですよ(一同笑声)。「私はイエスで十分。もうあなたは要らないから」(一同笑声)ということを言っているのではないです。夫婦で良好な関係を築くのは確かに大切ですね。 でも私たちは、ややもすると、「夫婦協力してご神業にお仕えしよう!」ということで、なにか、お手々つないでやっていけるかのような甘い考えを抱きますが、ここでイエスが言っているように、天国に入るという道は、一人で、自分で、たどり着かなければならない。つまり、夫婦仲良くお手々つないで天国に入ることはできない。 なぜか?それは、自分の伴侶ということも含めたこの世を主体とした生き方では100%神様に従うことはできないからです。 私たちは生きている中にあって、常に二つの選択肢があります。この世か、あるいは天か。この世か、あるいは神様か。 私たちは、自分の妻とか夫、あるいはもっと広く言うと家族との関係を優先しようとする時、それは「世」に心が引っ張られている状態です。この世を優先している状態。 今のイエスの言葉は、このような私たちの生きざまに対しての厳しい警告であり、また、天国に入るのは一人で成し遂げなければならないということでもあります。 今私が引用した箇所というのは、私たちが目を背けたいところだと思います。なぜなら私たちは、世に対して、「夫婦仲良しというのは大事だ」「家族のことほど大事なことはない」としたいですから。 でもイエスは、この世に平和ではなく、つるぎをもたらすために来たと、そう言っています。 もし本部長が、ご夫婦として(ここで私が言う「夫婦」とは、この世での夫婦のことです)ご一緒に天国に入ろうとすれば、神様はお二人のことを拒むでありましょう。私たちがそのような姿勢であれば、拒むでありましょう。 でも、もし私たちが、「私にとって、自分の命も、自分の妻(あるいは夫)の命も、自分の家族も大事です。でも、そのすべてをあなたにお捧げします」と神様に言えば、神様は、「そうか。なら入ってよし」ということで、天国に迎え入れてくださるかもしれない。 私は、このような姿勢といいますか、このような決心、これが大事だと思いますし、このような姿勢が、この世のすべての夫婦にとっての基礎の姿勢であるべきだと思っています。神様が一番に来て、この世のことは二番目、ということですね。ただ、これを実践するのは本当に難しいことです。 もしフェルナンド本部長が、奥様と良好な夫婦関係を築けていると思っているとしたら、はっきり申し上げて、それは、なにか、この世での人間的な努力によってそうなっているのではなく、私たちには分からないけれども、神様と明主様がそのような良好な関係を許してくださっている以外にはない。 本来私たちは、この世で、夫婦とか家族との関係がうまくいくことが許されるような存在ではないけれども、もし私たちの神様に対する信仰が神様の御目からご覧になってなんとか受け入れられるものであれば、この世での夫婦や家族との良好な関係もお許しくださるのかもしれない。 でも私たちは、この順番を逆転させてしまってますものね。まずこの世のことが一番に来て、そのあと神様のことを考えている。しかし私たちはこの順番を正さなければならない。ご質問に対する答えとしてですが、まず、このことを深く心にとめることが大事だと思います。 またもう一つのご質問は、夫婦としてどのように「新しく生まれる」という道にお仕えさせていただけばよいかということですが、まず、今話したのと同様、夫婦お手々つないで新しく生まれることはできない。一人ひとりが、自分の力で成し遂げなければならないことです。 また、この「新しく生まれる」というのは明主様が仰せになったことですね。 当時明主様がこのことを仰せになった時、明主様はこの世のある女性と結ばれたんですか?結ばれてませんね。でも、子供が生まれるためには、男性と女性が結ばれなければなりません。 明主様は、「新しく生まれた」と仰せになったんですから、そして明主様は男性ですから、明主様がなにか女性的な存在と結ばれたということだけは間違いありません。 でも、この世の女性との出会いによって新しく生まれられたわけではないんですから、だとしたら、明主様は、ご自身の中に存在している女性的な存在と出会われた、結ばれた以外考えられませんね。 フェルナンド本部長は男性ですから、本部長の中には女性の魂が存在している。ここにおられる女性の皆様も同じです。皆様の中には、男性の魂が存在している。 この世で、愛する人と出会えないまま生涯を終える時、私たちは往々にして、自分の人生は他の人と比べてなにか欠けているものがあると思ったりしますが、そんなことは一切ないんですよ。 神様は、一人の人間の中に、私たちに必要なすべてのものをすでにご用意くださったんです。いわば、一人の中に、夫婦がいるわけです。 本部長はこの世では男性ですが、だからと言って、本部長は女性的なものを持っていないのかというとそうではない。ご自身の中に女性的な魂を持っておられて、私たちが本当は何を願っているのかというと、霊界におけるこの魂との再会――異性の魂との再会――なんですね。 それを実は心の中で願っているから、だから私たちは現界でも異性に惹かれて結婚などをするわけです。この順番は逆ではない。 そのことを理解できれば、神様は、この世においても、私たちが良好な夫婦関係を持つことをお許しくださるかもしれない。このことにまず私たちは目覚めなければならないと思います。 ご質問をお伺いして、今お伝えしたいことはだいたい以上のことです。 質問2 子育てについて信徒:子育てについてお伺いします。 インスタグラムなどを通して、真明様とマミ奥様の素敵なお子様が、いつもお二人のお側で幸せいっぱいなのを拝見しております。 私の場合、真明様のお子様方よりも一回り年齢が上の子供たちがいるのですが、先行き不透明な社会情勢、お酒・ギャンブル・薬物等の問題、そして何より、スマホの過度な使用とそれに伴うSNS(YouTubeやインスタグラムなどのソーシャルネットワーキングサービス)中毒など、現代社会の中で子育てをすることの難しさを感じています。 主人と協力し、子供たちに対して、信仰から離れないように、また、神様を信じることをいつも伝えてはいるのですが、この世の誘惑は大変強いです。 真明様、正しい子育ての道についてご教示いただきたく、なにとぞよろしくお願い申し上げます。 ルシアナ・フォンセカ・アランベルチ(理事・本部長夫人 女性 45歳) 真明様:正しい子育ての道について教えてくださいということですね?お答えしますと、「無理です」(一同笑声)と言いたいくらい、難しいご質問ですね。 実は、去年ブラジルにおいても非常に似た質問があり、その時にお答えした内容が、自分にとっても大事なことだと思いますので、そのことに再度触れたいと思います。 まず、「私たち大人は子供を育てなければならない」と思い込んでいることについて少し話したいと思います。 私たちは地上に来る前、天国にいましたね。ということは、これから地上に生まれてくる子供たちは今、天国にいるということです。 別の言い方をすると、私たちが「育てないといけない」と思っている子供たちは、実は、私たちよりも長く天国にいたわけです。 当然私たちは、子供に対して、ルールを守るとか、罪を犯さないとか、他人に迷惑をかけないとか、そういうことは教えなければならない。 でも、もし我々の子供たちが我々よりも長く天国にいたのだとしたら、子供たちは、真実ということについて、私たちよりも知っているかもしれませんよ。自分が子育てをするんだ、ということはいいですが、その前に、こういうことに少しは思いを馳せないといけないかなと思います。 赤ちゃんは、生まれてくる時、泣きますね。泣く。 これを私たちは、なにか、当然起こるべき自然なことくらいにしか思っていませんけれども、もしかしたら、赤ちゃんが泣いているのは、天の父との別れ、つまり、神様とのお別れをさみしがって泣いているのかもしれません。そういうこと、私たちはあまり考えたことないのではないですか?赤ちゃんは、天の父に会えないさみしさ、天の父に会いたいがゆえに泣いているのかもしれません。 話を戻しますが、というように子供たちは、私たちよりも真実について多くのことを知っており、「私たちが育てなきゃいけない」という姿勢より、本当は、私たちが子供たちから学ばせていただけることがあるのだと思います。 もちろん私たち親が、子供に対して、神様や明主様のこと、聖言や聖書についてたくさん話すことは大切なことだと思います。でも、それも、「子供に真実を教えなければならない」というような思いでするのではなく、むしろ、それを逆転させ、子供たちからなにかを学ばせていただこうという姿勢の中でさせていただく、これが大事だと思っています。 現代社会が抱えるさまざまな問題についておっしゃっていましたが、マミと私はこのことについてほとんど気にしていません。 マミと私は、当然私たちの子供に対して、これが真理の道なんだよ、ということを伝えようとはしていますが、最終的には、子供たちは、それぞれが、自分の力で神様との再会を果たさなければならない。 親ができることには限界がある、私はそう思います。最終的に子供たちは、親から、つまり私たちから離れ、独り立ちし、そして一人ひとりのあり方によって神様と出会わなければならない。 その出会いの瞬間というのは、神様が一人ひとりに最も適切なタイミングをすでにご用意になっていると思います。 なので、私たち親ができることというのは、種を蒔き、示し、見せてあげることくらいだと思います。 人生というのは大変ですから、私たちの子供もさまざまな困難に出会うと思います。そのような時は、もちろん親として最大限のことはしてあげるわけですが、でも、最終的には、子供は、それぞれ、自分一人の力によって真理の道を求めないといけない。 だから、マミと私は、あまり、現代社会がどうだとか、そういうことは気にしていません。社会とか世の中というのは常に変わります。私たちが小さかった時も、大変だ大変だとみんな言っていたと思います。時代時代、常になにかある。それに心とらわれていると大変だと思います。 これがご質問に対する私の答えです。 あと、最初に言い忘れましたが、今日は、すべてのご質問に例外なくお答えさせていただきたいと思っており、そのために、この面会の時間が長くなり過ぎないよう、それぞれのお答えは少し短くなってしまうことをご容赦いただきたいと思います。 必要があれば、今日以降、また、フェルナンド本部長を通して追加してなにかお伝えさせていただくこともあるかもしれません。よろしくお願いします。 質問3 運動は大切? ビタミンB12問題についてのお考えは?信徒:ヴィーガン食を始めてから、自然と、自分のライフスタイル全体を見つめ直すようになりました。特に、体を動かす運動について考えさせられます。真明様は、運動についてどのようなお考えをお持ちですか? また、ヴィーガン食を始めてからビタミンB12が足りなくなったという意見をよくインターネットで見ます。 私たちは、明主様の聖言に基づき、ヴィーガン食が最も健康に良く、また、栄養が少ないほど体は多く働き、体自身がビタミンを作り出すということを知らされているわけですが、真明様、この問題について聖言を賜れますでしょうか? よろしくお願いします。 マリアーナ・フェルナンデス・ヴァスコンセーロス(信徒 女性 22歳) 真明様:実は二つの質問ですね(一同笑声)。二つ。 しかも、ビタミンB12のことはヴィーガン食に関してよく話題にあがるテーマで、お答えさせていただけるのがうれしいですが、まず一つ目のご質問から。 運動の重要性ということについてですが、まず、科学がもうこれ以上ないくらい明確に証明しているように、運動は大切ですね、間違いなく。 ついでに言いますと、運動と同じくらい大切なのは、自然と触れ合うこと、これが大変大事ですね。海水浴をしたり、ハイキングをしたり、ビーチに行ったり、、、――(真明様、外の快晴の陽気をご覧になりながら)今私も、こうやって話してはいますが、この素晴らしい天気のもと、ポルトガルのビーチへ行けたらなと妄想をふくらませています(一同笑声)――というように、運動と自然と触れ合うこと、これは、みんながすでに知っているように、大切なことです。 でも私は、運動は、世界メシア教の信徒にとって特に大事だと思っていまして、それはなぜかというと、私たちは、世の中に、「ミロクの世は菜食」というメッセージを伝えようとしていますね。 ということは、私たちは、世の人にとって、ヴィーガン食を実践している模範とならなければならない、ということです。 ヴィーガン食が大切だと言いつつ、もし自分自身が健康でなければ、周りの人たちが「ヴィーガン食をやってみよう」とは絶対なりませんね。 ということは、私たち自身がよく体を動かし、自然に触れ、健康でなければならない。 まとめますと、私は2つの点で運動が大切だと思っています。一つは、冒頭に言ったように明らかに体にいいからということと、もう一つは、私たちは世の人に対して、ミロクの世の食である菜食、ヴィーガン食がどれくらい素晴らしいかを私たちの健康をもって証明しなければならないから、ということになります。 次にビタミンB12についてですが、まず明主様のお考えを再度確認しておきたいと思いますが、明主様は、栄養不足であればあるほど、栄養に欠けているものを食べれば食べるほど、体がよく働き、体自身がビタミンなどを作り出すと、そういうお考えですね。なんという革命的なお考えでしょうか。 私は、このお考えの核となるポイントは、神様を信頼する、ということだと思っています。というのは、もしこの明主様のお考えを極端に受けとめれば、断食というか絶食したほうがいいということになってしまいますからね。 でも、明主様もなにか食べられてましたよね。口に食べ物を入れられていた。 これを確認した上で、ビタミンB12のことですが、マリアーナさんもご存じかとは思いますが、現在の研究では、世界人口の約40%もの方々がビタミンB12が足りてないと言われている。でもおかしいですね、ヴィーガン人口は世界人口の1%もいません。ということは、実際問題、ビタミンB12が欠乏しているほぼすべての人は非ヴィーガンだということです。 だから、本当は、ビタミンB12の欠乏というのは、ヴィーガン食とそこまで関係が無いかもしれない。むしろ腸の状態こそが鍵であり、普段お菓子やファストフードや揚げ物など、体に良くない物を食べている人はこのビタミンが吸収されにくいということを言っている人もいます。 ビタミンB12のことについては私もいろいろと情報を集めており、もっと詳しく話せることは話せますが、ただ、私は皆様に医学上のアドバイスをするわけではないので、この場で一つ言えることがあるとしたら、もしあなたが、あるいはどなたかがビタミンB12の数値がどうしても気になるなら、ぜひ病院に行かれて、数値を調べて、不足していれば注射やサプリでビタミンB12を摂取されたらどうですか?ということになります。 ただ、私はそれはしません。 というのは、明主様は、ご自分のすべてを神様に捧げられました。明主様は、たとえ脳溢血になられても病院に行かれなかったんですよ?ものすごい生き方ですね。というか、想像をするのが難しいくらいですね。脳溢血になっても明主様には病院という選択肢は無い。今の我々では想像もできませんね。 それくらい神様に対して絶対の信頼を置いておられた。と言いますか、明主様は体を含めたご自分のすべてを神様にすでに預けておられたのだと私は思います。 そして私は、この明主様の生き方に倣わせていただきたいと思っています。もちろん、皆様方は私の真似をする必要はありません。一人ひとりで決めることです。 明主様はありとあらゆる批判を受ける覚悟でそのような生き方をされたわけで、私もそれに倣わせていただきたいわけですが、そのような批判に耐えられない方もおられることは十分理解させていただけます。 なので、これは、一人ひとりの選択です。 私個人はもう決めています。すでに自分の体も含め神様にお捧げしてしまいました。ですので、私が、それこそ、病院に行ってビタミンB12の検査をするなどということはあり得ないことです。そんなことはしません。 繰り返しますが、これは私の個人的な生き方です。もし心配で検査をしてサプリなどを摂りたいという人がいたら、ぜひそのようにしてください。 また、少し話は戻りますが、なんと言いますか、そのような状態にならないために、私は、ヴィーガン食を食べ、自然に触れ、しっかり運動することに努めています。そうすれば、健康にあふれ、病院とは無縁の生活が送れるのではないかなと思っています。 これが私のお返事になります。 質問4 4番目の聖地?信徒:聖地に関連しての質問です。 去年アンゴラでは土の聖地の、最近日本でも火の聖地の地鎮祭・聖別式があり、また、ブラジルにおいても水の聖地の地鎮祭・聖別式が今年の11月にあると知り、とても興奮しています。 このような状況の中、ポルトガル信徒はこれらの聖地に関してどのようなことをさせていただければよろしいのでしょうか? カーラ・ナカラート(信徒 女性 53歳) 真明様:カーラさん、ご質問ありがとうございます。 聖地に関してのポルトガル信徒の使命についてですね?それは、このような三聖地のことを喜ぶとかの前に、自分たちで作るということです。ポルトガルに聖地を作りたいと思う、これが大切だと思います(一同拍手)。 人によっては、「三聖地でもうおしまい」という認識をお持ちの方もいらっしゃるようですが、明主様は、中国とかモンゴルとか、また最終的にはエルサレムにもというように、世界中に聖地を作られる構想をお持ちでした。 ですので、三つでおしまい、という思いを持たないことが大事だと思います。ということは、ポルトガルの皆様は、ポルトガルにも作るんだと、そういう思いでいなければならないと思います。そしてそのために、ポルトガルやヨーロッパ全土に対して布教を積極的にしていかないといけない。 日本がどうだとか、ブラジルがどうだとか、アンゴラがどうだとかいうことで、傍観者になるのではなく、ポルトガルにはポルトガルの使命があるのだと、そういう強い思いを持たせていただければ、もしかしたら神様が、「ポルトガルにも聖地を用意する時が来た」と思ってくださるかもしれません。 それを、この少ない信徒のポルトガルでは無理だと、そういうことであきらめたらもう終わりだと思います。 質問5 世の中とメシア教の方向性が違うことについて信徒:救いの三本柱の一つ、音楽についてお伺いいたします。 実践させていただこうと、一般のコーラス団に参加しましても、世界メシア教で言われているような方向性とは違うことが多く、そうなると、あとは音楽を聴かせていただくしかないのですが、そのようなことだけでもいいのでしょうか? また、世界メシア教で発表されている曲以外では、どのような曲を聴いたらよいのでしょうか? マリア・ダ・グラッサ・ダ・クーニャ(信徒 女性 60歳) 真明様:また二つの質問ですね(一同笑声)。 まず、どのような曲を聴いたらいいかということですが、聴きたい曲を聴いたらいいと思います。私も、こだわらずなんでも聴かせていただきますが、しかし今は、ポルトガル語を上達させたいので、ブラジルの音楽ばかり聴いています。 結果、YouTubeにおいて、子供たちと一緒にブラジルの有名な曲を歌わせていただくほどになってしまいました。 一つ目の質問についてですが、私は、日本で、信徒の皆様に、ある有名な3つの言葉を紹介したことがあります。 それは、なかなか鳴かない鳥がいて、それに関する言葉なのですが、一つ目は、鳴くまで待つというもの。二つ目は、待つのではなくて、なんとか工夫して鳴かせようというもの。三つ目は、鳴かないなら殺してしまえというもの。 この言葉を信徒に紹介し、その上で、明主様ならこの3つのうちどれを選ばれるだろうかと信徒の皆様に質問したのです。待たれるか、なんとか工夫されるか、あるいは鳥を殺してしまわれるか、どれでしょうかと質問しました。皆様はどれだと思いますか? でも私は、明主様はこの3つのどれでもないということで、4つ目のあり方を紹介しました。それは、明主様であれば、ご自分が鳥のように鳴かれる、というもの。 待つのでもなく、なんとか鳴かせようと工夫するのでもなく、殺してしまうのでもなく、ご自分が鳥のようになり鳴くという道。 というように、明主様流の生き方というのは、「もし誰もやってないなら自分がやろう」というものです。 自然農法。当時はほとんど誰もしてませんでしたよ。その中にあって、明主様は周りの人がやるまで待たれるとかではなく、ご自分から実践された。 皆様は、もう私が何を言おうとしているか分かりますね。もしマリアさんの周りの一般のコーラス団がメシア教のコーラスの方向性と違うと思われるなら、じゃあ仕方ないということで「あとは音楽を聴くしかない」となるのではなく、周りの人を誘い、ご自分でコーラス団を立ち上げられたらいいのです。 それが私の答えになります(一同拍手)。 質問6 真明様から青年信徒へのメッセージは?信徒:世界メシア教のインスタグラムなどを通して、コーラス・メシアの合宿などに参加している日本の青年信徒の様子をいつも拝見しています。 今の教団の流れの中にあって、真明様が世界中の青年信徒に望んでおられることはなんでしょうか? ステール・ジャネス・リベイロ・サンズエラ(信徒 女性 22歳) 真明様:ステールさんご質問ありがとうございます。 私から世界中の青年信徒にお伝えしたいことは3つしかありません。一に伝道、二に伝道、そして、三に伝道です。 キリストはすでに再臨した――これは、キリスト教においては説かれていない、革新的なメッセージです。 世界中のキリスト教徒は、いまだにイエス・キリストが再び戻ってくるのを待っているわけですが、世界メシア教においては、キリストはすでに再臨した、再臨してすでに人類一人ひとりの中におられ、今はもう天国に帰る時が来たのだと、そう訴えている。 このように言葉にすると、この内容というのは簡単なように見えますが、世の中でイエスについて語られていることとはまったく異なる内容であり、全く新しい内容です。 でも、このようなごくシンプルな内容がなぜ世の中で説かれていないのかというと、それは、私たちが世の中を見ると、問題ばかりではありませんか?混沌としていませんか?だから世の人はメシア教のようなメッセージを持つことはできず、結果、「このどうしようもない世の中を良くするためにイエスは戻ってこなければならない」となってしまうのです。 でも本当は、現在現れている人類のさまざまな姿について神様はなんと仰せであるかというと、「見てごらんなさい。このようなことをあなた方はしていたのだけれども、これを私は赦したのだよ。だからあなたは、罪人であったことを認めなさい。そして、このような姿を私が赦したことも認めなさい。そして私のもとに帰ってきなさい。帰ってくるのです」と、そのように仰せなのです。 世の中では、「人間の力でより良い社会に」とか、「より良い社会を作る」と言っていますが、社会は、いわば、もう、より良くなってしまったのです。この社会は、世界は、すでに完璧なのです。そうでなければ神様は寝ておられるとでも言うのですか?神様は今も、今までも、決して、寝てはおられません。 にもかかわらず私たちは、神様に対して、「神様、お願いですからこの状況をなんとかしてください。神様の御力で戦争を止めて、世の問題を解決してください」と言っている。 世界メシア教で訴えていることは、このようなこととは全く異なることです。そしてそれは、「キリストはすでに再臨した」という言葉に集約されます。 ですから私は、このメシア教唯一のメッセージを伝道することが大切だと思っています。 もう一つ言わせてください。青年たちには、泥まみれになってほしいです。汚れて、汚れて、汚れまくる。土に触れるということですね。 アンゴラでは、世界の飢餓を無くすということで必死に自然農法に取り組んでいます。ポルトガルにおいてもぜひこの御用に全力で取り組んでいただきたいと思います。 フェルナンド本部長を中心に、このポルトガルでも自然農法を大々的にさせていただける場所を見つけていただき、泥まみれになってください。 質問7 なんで教主様は「イスラエル」について話されるの?信徒:2025年の新年教主様聖言において、教主様は、「神様があらかじめ天国で成し遂げてくださった、メシアの御名にある祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、これから世に生まれ出る子どもたちに、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちに定め、未来を創造するみ業にお仕えさせていただきましょう」と仰せになりました。 ここで、なぜ、イスラエル、という言葉が出てくるのでしょうか。 ご教導のほど、よろしくお願い申し上げます。 エリーザ・モーリ(英国信徒 女性 52歳) 真明様:英国に住んでおられるのにポルトガル語が上手ですね。もともとブラジルご出身なんですよね?(信徒はうなずく) イスラエルについてのご質問ですね。 私たちは、ややもすると、「神様は完全平等だ」「神様は公平なお方だ」という誤った認識を持っていると思います。 しかし、聖書にも書かれていますように、人類の中で最初にメシアの御名を神様から授けられたのはイスラエルの方々、ユダヤの方々です。神様がそのようにお決めになった。イエスもユダヤ人ですね。というように、神様は、ユダヤ人を、ご自身の御心を最初に受ける民族として選ばれた。 私たち非ユダヤ人は、この事実に対して、ユダヤ人に対して敬意を持たなければならない。でも私たちは、このような敬意を表さないことが多い、なぜなら、人類は兄弟姉妹でみんな平等なんだ、と思い込んでいるから。でも、神様にとって、まずイスラエル、それから残りの人類、という順番は神聖であり、それを人間で変えることは決してできません。 というように、神様が、この偉大な御名であるメシアの名前をイスラエルの方々に最初に授けられたのだから、私たちは、その順序に敬意を表さなければならない。言い換えれば、私たちは、メシアの御名をユダヤ人を通して受けなければならない、ということです。 例えばですが、明主様のお名前を出さずして、自分はメシアとして新しく生まれることを目指している、と言うことは明主様に対して失礼にあたりますね。 というか、この道を教えてくださったのは教主様ですから、教主様のお名前を出さずして、「メシアとして新しく生まれることを目指している」と言ってはならない。 私たちは、自分に栄光を帰したい思いが強いので、「自分は自分の知恵と力でこの真理を知った」としたいし、教主様のお名前を出さずして、「自分は新しく生まれることを目指している」と言いたいわけです。これが明主様の代理である教主様に対しての非礼になることは誰にでも分かると思います。 同じように、もし我々がメシアの御名をお受けしたいと思うなら、イスラエルの方々に対しての礼節を忘れてはなりませんし、それは、具体的には、自分自身を、「イスラエルに結び連なる者です」と公言することであり、だからこそ教主様は、今年の新年の聖言などでこのように仰せになっているのだと思います。 同様に、今日の祭典でお話ししたように、私たち日本人は、ポルトガルの宣教師たちを通してメシアの御名をお受けすることができたんですから、ポルトガルの宣教師たちへの礼節も忘れてはならない。 このように周りの方々に礼節を示さないということはよく起こりますね。でも、これは気を付けなければならないことだと私は思っています。 質問8 悪い思いばかり湧く私は神様に嫌われているの?信徒:「神様に喜ばれる」ことについてお伺いします。 私は、自分が表立って口にしていることや行動とは裏腹に、ネガティブな思いや考えが心に浮かぶことが多いです。 そのようなネガティブな思いや考えは、メシアの御名にあって神様にお委ねさせていただいておりますし、また、このような思いが湧くのは神様の御心であることも理解させていただけますが、ただ、このようなネガティブな思いや考えが浮かんでしまう私は神様に喜ばれているのでしょうか? レジーナ・テレーザ・サヴィオッリ・レイテ(英国信徒 女性 64歳) 真明様:レジーナさん、ご質問ありがとうございます。 ご質問にあった、理想と現実が違うというところ、私もよく理解させていただけます。このギャップは常にありますね。 ただ、私たちが考えなければならないのは、では、もし私たちがポジティブな考えや思いしか抱かないとしたら、神様はそんな私たちを喜んでくださるのかどうか、ということ。 私たちは、次のような幻想を抱いていると思います。それは、「神様は、私たち人間が善い思いと善い行いをすれば喜んでくださる」という幻想です。 恩寵という言葉がありますね。グレイス。 恩寵という言葉は、私たちはそれをお受けするには値しない存在だけれども、神様は私たちに恵みを与えてくださった、という意味です。 神様が私たちを救われたのは、神様のほうで一方的にされたことです。なにも、私たちの行いや思いが神様から見て善いものだったから我々は救われたのではない。 今日の祭典でも紹介した明主様の御歌がありましたね。 「浮草のところ定めぬ我心愁れと救ひませる主はも」。 明主様が救われたのは、明主様の思いや行いが良かったからではない、ということです。そうではなく、神様は、ふらふらしておられる明主様であったにもかかわらず――明主様に強い信仰心があったわけではないにもかかわらず――一方的に明主様を救われた。 なので、ご質問になっているようなことで心配する必要はありません。 というか、別の御歌にもありましたように、明主様は神様に背かれたわけですよね?(「大前に額く我となりにけり神に背きし罪を悔みて」) 背く、というのは強い言葉ですよ。ネガティブな思いや考えということを超えて、神様が言われることには従わないぞという意思を示されていた。 そんな明主様であっても、神様は明主様を救うと決められた。 そして本当は、そういうネガティブな思いや考えをこそ救いたいと思われて、神様は、あなたの心を使っておられるわけです。 ですので、はっきり言えば、むしろ、そういうネガティブな思いや考えをあなたが持たれていることを神様は喜ばれているのです。そして、「その思いを救ってくれないか。私の手伝いをしてくれないか」と、そう神様は仰せなのです。 世の人はこのような考え方を持っていない。ですので、ネガティブな思いや考えをそのままにしておられるわけですね。そこに救いは無い。 でもあなたや、また皆様方は、メシアの御名を通して神様につながる道を持っておられて、神様は、その道を通して私たちがそのような思いを神様のもとに帰すのを願っておられるわけです。 なので、面白いことに、ご質問とは反対なのです。あなたがネガティブな思いや考えを持っているから、神様はお喜びになっているのです。 確かにこのような負の感情を来る日も来る日も抱くのは簡単なことではありませんが、神様は、決して、そのような思いを抱いたお前を罰するぞとは仰せではない。 私たちの使命は、神様を信頼申し上げ、メシアの御名にあって、私たちの心に湧いてくる思いを神様にお捧げすることです(一同拍手)。 フェルナンド本部長:真明様、誠にありがとうございました。 たくさんの質問でしたね。今まで、時間の関係等で、真明様は限られた質問しかお答えにならない時もあったかと思いますが、本日真明様は、私たちが提出申し上げたすべてのご質問に答えてくださいました。真明様、本当にありがとうございます。 真明様:私のほうこそご質問ありがとうございました。本当に、どの質問も大変素晴らしく、私自身にとって大きな学びとなりました。ありがとうございました(一同拍手)。 フェルナンド本部長:ありがとうございます。では皆様、最後に、私たちの心からの喜びと感謝をもって、真明様に拍手させていただきたいと思います(一同拍手)。