PDFダウンロード:https://ourl.jp/kK86g (たくさんの参拝者をご覧になり)いっぱいですね(一同笑声)、いっぱい。 今のは市岡さんのオリジナル曲ですよ(編集注:この日は真明様ご登壇直前にピアノ演奏があった)。僕の話す前に弾くという試みだったわけですが、市岡さん、ありがとうございました(一同拍手)。市岡さんかっこいいですよね、率直に言って(一同笑声)。 ピアノの前はハレルヤ・コーラス。現在各教区でこの曲を練習していますね。照明の具合でちょっとよく見えないんですけれども、歌われた皆様はあの辺に座っておられますよね(真明様、会場下手後方のコーラス団を示される)。 各教区で皆様いつもハレルヤ・コーラスを練習されていますが、大祭だと「全国から」ということになってしまいますので、いつか教区としても神様にお捧げする機会があったらいいなということは常々思っていたんですけれども、ちょうど今回教主様の豊穣祈願祭を九州ですることになりましたので、普段練習されているその成果とでも言うのでしょうか、それをご発表いただいて、でも、今日発表されたのは代表の方ですから、今日歌われなかった方々も、普段練習している時に感じてきた思いとかいろんな思いがおありだと思いますけれども、たった今、代表の方たちの歌声を通して、そういうすべてを神様が受け取ってくださったんじゃないかなと思いました。普段の皆様のご努力、また今のすばらしいハレルヤ・コーラス、ありがとうございました(一同拍手)。 このまま九州の話を少ししたいんですけれども、私が九州に初めて来たのは、おそらくですけれども、高校の時に修学旅行がありまして、その時に福岡とか、あと、柳川とかありますよね、なんか船乗るみたいな、あまりはっきりした記憶は無いんですけれども、おそらくその時が初めてじゃないかということで、だから多分15、6歳の時ですから、そこから30年ぐらいは経っておりますね。それが私の初九州。 そのあとは、教主様のご巡教とか入信式ということでたまに来させていただいておりまして、そして去年は、お米を作るということで、田植えとか稲刈りをさせていただくため、九州の信徒の方のところに図々しくも(一同笑声)お邪魔させていただいておりました。 昨日福岡に着いた時にマミと話していたのですが、マミは、去年田植えした時が初九州だということでした。ですので私は、「じゃあマミは九州歴はまだ2年だね」「僕はもう30年だぞ」(一同笑声)「15、6歳の時からだから九州歴ということでは僕は大先輩だよ」(一同笑声)とか、そういうちょっとくだらない話をしておりました。 でも、今日の祭典も、すばらしいホテルで、ちょっとお借りしているスペースが小さいくらいで、普段の大祭と雰囲気は非常に近いですし、こんな立派な豊穣祈願祭を九州でできるのは、もちろん今日は全国から信徒の皆様集まっておりますけれども、やはり特に九州にいらっしゃる信徒の方々のおかげだなと思っております。全国の信徒の皆様、そして特に今日は九州の信徒の皆様、ありがとうございます(一同拍手)。 今マミの話をしたところで、マミを皆さんに紹介しようとしていたんですけれども忘れてしまいました(一同笑声)。そしたら今、目線の左下辺り(一同笑声)にマミの存在を認識しまして、ですので、今日は、申し訳ございません、壇上には来ないんですけれども、(マミ奥様に向かわれて)ちょっと立ってご挨拶していただけますか(マミ奥様、参拝者にご挨拶になり、一同拍手)。 マミの着物の帯がひな祭りのデザインになっていますので、そこをぜひ見ていただきたいと思います(マミ奥様、後ろ向きになり背中の帯の柄を参拝者に示され、一同拍手)。あと桃ですね。桃とおひな様。(マミ奥様に向かわれ)ありがとうございます(一同拍手)。 祭典の時、たまに「我が家の近況」といって家族の話をするんですけれども、前回それをしないでそのまま本題の話に入りましたら、ある信徒の方のご感想で、なんだ我が家の近況も無しでそのまま話に入られた(一同笑声)みたいな、批判の声、じゃないんでしょうけれども、さみしかったということなのかな(一同笑声)――さみしかったと僕が言うのも偉そうですけれども(一同笑声)――ということで、軽く我が家の近況の話をしたいと思います。 最近印象に残ったことがありまして、子供たちを連れてどこか行くということで私が運転をしてたんですけれども、車から見える山の景色がきれいで、私が、「景色きれいだね」とか言いまして、そしたら長女のめいが、「この景色を造った神様すごいね」のようなことを言って、その時点で「お、めいすごいな」と思っていたのですが、そしたらそのあとにめいが、「神様のことを信じてない人たちはもったいないね」みたいなことを言ったんですね。 それで――いやなんか親馬鹿みたいになっちゃいますけれども(一同笑声)――その感性が大人には無いなと思ったのと、あと、自然を見て、神様がいるということを味わってない他の人がもったいないと感じるということは、めい自身としては、自然に触れることで得られる喜びがあって、それを「もったいないね」のようなことで素直に感じられるのがすごいなと思ったという話と、もう一個は、以前も話したんですけれども、次女みゆの去年の運動会の時、幼稚園全体として万国旗を飾ろうということで、園児は、アトラスから、世界の国旗は200ぐらいありますけれども、その中から好きな国旗を選ぶということになって、その時みゆがコンゴ民主共和国のを選んだという話。 しかも、ちょうどそのタイミングで、私も祭典で皆様にコンゴ民主共和国のアウベルチ本部長の命がけの信仰の話をしてましたので、そのみゆの選択がすごいなという話でしたけれども、今日お伝えしたいのは、これ、家でみゆにコンゴ民主共和国の話とかは一つもしてないんですよ。それを言いたいと思って。 私が家でコンゴ民主共和国の話をしてて、それを受けてみゆが忖度して(一同笑声)、「ここで私がコンゴ民主共和国の国旗を選んだらお父さんの株が上がるんじゃないか(一同笑声)」ということで忖度したのではなくて、家ではコンゴ民主共和国の「コ」の字の話もしてないのに、みゆは200ぐらいある世界の国旗の中でコンゴ民主共和国の国旗を描きたいと言ってそれが運動会の時に飾られた。 信徒の皆様の中でも、みゆが忖度してとか、家でそういう話をしてたからコンゴ民主共和国の国旗を選んだんだとか思っている方がいるかもしれないと思って、そうではないということをいつかお伝えできたらいいねとマミとも話してまして、前回、我が家の近況を話さなかったことで残念という声もありましたので、今回このお話をしてみようかなということでした。 このなんでもない話みたいなんですけれども、これが次の話につながるんですね。 それは、救世教との裁判については、救世教がメシア教に十数億円支払って和解ということになって、そのあと規則変更をしましたね。というか、規則変更というのがなんか必要なんですね。 以前私が、教主というのが男子が優先的に継ぐということについてそれはおかしいと話したことがありました。 要は、救世教時代の規程――「宗家規程」というんですけれども――救世教のルールでは、たとえ女性が先に生まれていても優先されるのは長男子なんですね。男。長男子が教主を継ぐということになっている。 でも、そもそも二代様と三代様が女性で、今までの教主の50%が女性なのに、跡を継ぐ教主は男性が優先されるべきというのは、これはもう数十年前の話ですけれども、当時の社会の状態もありますし、また、当時皇室典範なども参考にしつつ教団の組織を固めていく時にそうなったんでしょうけれども、でも、そもそも二代様と三代様のこともありますし、また、職業的に激しい肉体運動を伴うものじゃないですから――いや、激しい肉体運動を伴ってもいいんですよ――だけど、そもそも男性と女性を分けて男性のほうを優位に見るというのが二代様や三代様に対しても失礼じゃないか、だから規程を変えたほうがいいじゃないかと、そう私は主張したんですね。 だから私は、和解して我々が新たな登録をするというなら、この教主の継承のルールを変えたほうがいいんじゃないかということで、去年の10月ぐらいから新たなメシア教の「宗家規程」が施行されているのですが、その規程では、優先されるのは「長男子」ではなく、ちゃんと「長子」になっています。 これは、去年のある祭典の私の話の中で、理事長に、お願いします、そういうふうにルールを変えてくださいと頼んでいたんですね(「愛の物語」2025年3月1日)。みんなの前で頼まれるともう逃げられないかな(一同笑声)と思いまして、ちょこちょこっと言うとうやむやになってしまうかもしれませんから。 ということで、去年10月から施行されている「宗家規程」は、もう男女の区別はありません。 ですから、男性女性関係無く、一番最初に生まれたものが第一候補。これはもちろん、本人が希望すればということと、あと、そもそも「教主制」というものを皆様が望まれればということですね。 だから、もし希望すれば、まずは長女のめい。次に生まれたのは次女のみゆなのでみゆが二番目。長男のみことはそのあと生まれたので三番目ですね。そういうルールに変更されています。 あと「宗家規程」に関連して私が気になってもう一つ修正をお願いしたことがあったのですが、それは、明主様が遺言で跡を託されたのは二代様ですよね。教主の座を継承してほしいということで跡を託されたのは二代様。だから、明主様からすればご自分の奥さんですね。明主様は、ご自分の奥さんに教主を託された。 というふうに明主様がされているのに、明主様が実際にされたことが規程にないというのはおかしいんじゃないかと私思いまして、これも、明主様に倣った規程にしたほうがいいんじゃないかということで、今回、教主が指名すれば自分の配偶者、というか奥さんですね、も教主となり得るという規程になりました。 だから、仮に私が教主になった場合、なんかの具合で妻に頼みたいとして――私のケースでいえばマミですね――そういうことがOKだという規程にしたわけです。 「マミ、もう今お願いします」というそういう冗談は置いといて(一同笑声)、冗談か本気か分からないような話をしていますけれども冗談です(一同笑声)。 でも、明主様は二代様の時にそうされていますから、だから、そういうことを考えると、岡田家がどうというより、やはりこの「教主の座」に働くなにかがあるのかなと、そんなことを私は思っております。 本題に入りたいと思いますが、今日は「救い」についてです。 今日お上げした明主様の御歌と拝聴した聖言は、すべて明主様の救いにかける思いのことですね。救いのために自分は立った(「奴羽玉の暗にさ迷ふ諸人を救はんとして吾は起つなり」)とか、自分のすべて、身も魂もすべて救いのために捧げる(「身も魂も神に委ねてひたすらに救世の神業に尽す吾はも」)とか、そういう明主様のみ心。 ここ、「救い」ということは誰かの救いのためなんですから、自分のことが主体じゃないんですよ。自分が救われたい、自分がいい思いしたい、では人は救えないんですよ。自分が被りたい、自分がなんとか良くなりたい、は救いじゃないんですよ。 誰かを救うということは、自分の身も魂もあとにして人を救うということであって、そのことに明主様はご自分の人生をかけられた。病気の人がいたら血潮がたぎってなんとか救いたい(「病きに悩める人びと見るなべに胸の血潮は燃え沸るなり」と思われた、その明主様の救いの思い。 一方、今の我々の現在地、心はどこにあるのか。 「救われたい」「被りたい」なのか、それとも明主様のように世を救いたいのか。これを自分の中で天秤にかけた時にどうなのかということですね。 世を救うという言葉は確かに響きはいいけれども、明主様の御歌からも明らかなように、救うということは自分のことはあとにしなければいけないわけですから、そうすると、結局、自分のこととの天秤の中で、自分が救いを被りたいとなっていれば救いの道には行けないんですよ。だから、本当は結構厳しいですよ。 当時明主様は、「救世」という漢字を「メシア」と読ませてたわけですから、我々の使命は世を救うこと。ということはいわば泣き言は言ってられないわけです。 自分が被りたい、楽になりたい、ということはあとにして世を救わなければいけない、ということですからね。だから、救いに対する明主様のご覚悟に比べて、その明主様の信徒である我々の覚悟はどうなんだという、ここですね、今日私がお話ししたいのは。 で、「救い」といっても、その意味は、今日明主様の御歌で表現されているのは、「病が治る」ということですね(「救世の業としいへど病なき人を造らむ事にぞありける」)。病気を治すこと。だって明主様は、病無き世界を造る、病貧争絶無の世界を造ると仰せですからね。 そして、病貧争絶無の世界といっても、貧も争も、病が元だというのが明主様のお考えですから、我々にとっての救いとは、病を無くすというのが焦点ですよね。世の病を無くす、これが我々明主様信徒としての焦点。 明主様は、貧しさについても、病気が無いからこそちゃんと働けてお金が稼げて貧しさが無いようになるし、また、元気だから他の人と争わないようにもなると仰せです(「再びジャーナリストの考慮を望む」1954年2月24日)。 ということで明主様にとっては病を治すというのがもう大問題だったわけで、そのための手を掲げるご浄霊だったんですけれども、これについて明主様は、最晩年に、ご浄霊は二の問題で想念の世界に入った(「碧雲荘御奉仕者を囲んで」『地上天国』68号 1955年3月15日)ということを仰せになった。 このことプラス、これも明主様が仰せになった、「ミロクの世は菜食」という点ですね。 先月の『グローリー』(73号)に、『菜食は浄霊に勝る』という別冊がありまして、読まれた方もいると思うんですけれども、浄霊をたくさん受けても治らなかったことが菜食によって治ってきている。浄霊で治らなかったものが、菜食で治ってるんですよ。大変なことですね。 で、そもそも我々ご浄霊はなんのためにしてたんですか?世を救うためですよね。世の病を無くして、世を救うためですよね。そうだとして、そのご浄霊よりもパワフルなもの(菜食のこと)があるとして、それを明主様の信徒である我々が普及しないということがあり得るんですか? 明主様は、お医者でも浄霊でもなんでもいい、とにかく治ればそれが正しいんだと仰せじゃないですか。もちろん、本当に治せれば、ということですよ。というのは明主様のお考えでは、医学は本当の意味では病気は治さない、だから浄霊なんだということですからね。要は、医学というのは、せっかく身体が汚いものを排出しようとして「病気」という症状が出ているのに、それを薬で一時的に止めても意味無いじゃないか、ということですね。 でも、菜食であれば、医学的に止めることとは全然違うんですから、そして、菜食によってご浄霊で治らなかった病気が治ってるとしたら、もし明主様が今生きていらしたら、この菜食というのをもうご神業のど真ん中に据えてますよ。絶対据えてますよ。だって明主様は世の病を無くすため、病無き世界を造るためにご生涯のすべてを捧げられたお方ですよ。 今、「祈り、食、音楽」と言ってますけれども、「食」の重要度を考えたら、「祈り、食、音楽」と3つ並べるうちの一つにするにはちょっと申し訳ないぐらいですね。 やはり今、ご神業の中心に「食」というものがあるんじゃないかなと思います。 というように、菜食によって病気が治るということと、あと、これは先月もお話ししたんだけれども、菜食が内呼吸に及ぼす影響というのもあるんですね。それについては先月詳しくお話ししていますので、そちらをご覧ください(「ヴィーガン食が世界を救う」2026年2月4日)。 簡単に言うと、口とか鼻を使う外呼吸ではなくて内呼吸がいかに我々の心に影響を与えているかという話で、結論的には、肉食をしていることによって長期的には内呼吸が枯れてきてしまって、結果、エネルギーが満ち足りなくなり、「生存競争に勝ち抜かなきゃいけない」ということで、無意識に攻撃的になってしまう。 一方菜食というのは逆に内呼吸に長期的にいい影響を与えて、心が穏やかになって、結果、神様に心を向けられるような余裕のある心になると、そういう話をしました。 だから、菜食によって病気も改善するし。心についても、神様に心を向けられる余裕のある心になる。菜食は、大変なことですよね。 「ミロクの世は菜食」だと明主様がお示しになったように、病気を治して人の心をより穏やかにして戦争の無い世の中を造り上げていくというのに対しての菜食の効果がすごいじゃないですか。 明主様は、「ミロクの世は菜食」だとお示しになったわけですが、そもそも「ミロクの世」がなにかといったら、当然、地球上の人々が和をもって一つとなって幸せに生きているという、そういう世界ですよね。地上天国のことですよね。 そのことを考えると、まず菜食というのは一人ひとりという個人のレベルにおいて身体にもいい、心にもいいんだけど、僕が今日さらにお話ししたいのは、菜食の、個人というレベルを超えて、世界に与える影響。 世の中で最近よく目にするんですけれども、国連かなんかが推進しているSDGs(エスディージーズ。「持続可能な開発目標」の意。)というのがあるんですね。 世の中が持続的にちゃんと良くなるように世界的に取り組まなきゃいけない、ということで、これは、国連に加盟してる全部の国がそれを採択、賛成した。 その内容としては、貧困を無くそうとか、飢餓を無くそうとか、海を守ろうとか、陸を守ろうとか、そういうことです。今人類がしてることのままで進んでいくと、もう地球も人類もだめになっちゃうよ、行き詰まっちゃうよ、だから今の生活様式を変えなきゃいけませんよということで採択したということになってますね。 日本でも、SDGsがどうだとかいうことで、自分たちはこういうことしてます、私はこういうことしてます、ああいうことしてますとよく言うんですけれども、じゃあ例えば飢餓。 飢餓。 世の中に飢餓の人がいっぱいいるからなんとかしなきゃいけないとなりますけれども、これは前も1回話したんですけれども(「伝道あるのみ」2025年4月6日)、人類の救いにとって大切だと思うので今また繰り返しますけれども、今飢餓で苦しんでいる人は世界人口の10%ぐらいいるんですね。世界人口80億ちょっとですから、7から8億人、まあ8億人ぐらいいる。 だから、10%ですよ。世界人類の10%が飢餓で苦しんでる。しかもその約7割は子供なんですね。7割は子供。子供は弱い立場だから一番その影響を受けやすいということなんでしょうね。ということで、今この瞬間も、食べ物が無くて毎分毎分何十人も死んでいる。 そういう現状があるのに、肉を作るための動物の飼料、これは、カロリー計算すると、世界中で作っているすべての食べ物の半分は動物に行くんですね。動物に半分。 とうもろこしとかは7割ぐらい。とうもろこし生産の6、7割が動物の飼料。大豆に至っては8割。世界で作ってる大豆の80%は動物に行っていて、この大豆のカロリーを全部合わせたら15億人分の食べ物があるんですよ。大豆だけで15億人分。 一方世界の飢餓は7、8億人ぐらいですよ。7から8億人は食べ物が無い。だけど、動物に作っている大豆を人間に回せば、十分お釣りが出るというか、もう2倍ですよ、だって15億人分の食料がいわば余ってるわけですから。 一部の金持ちの国の人たち(これには日本人も完全に含まれます)が肉を食べたいから、たくさん大豆を作って餌にしているわけですが、その餌のカロリーで15億人分の食料が賄える。 だから、SDGsの取り組みがどうとか言いながら、もし肉食してるとしたらもう偽善も偽善ですよ。 しかも、大豆で15億ですけれども、他のとうもろこしとかも含めた動物の飼料に作っている食料を全部合わせたら、おそらく50億人分の食べ物がある。で、飢餓で苦しんでるのが8億人。子供死んでる。ほぼ毎秒毎秒子供死んでる。片や「肉食べたい、肉食べたい」ということで、そのために人間にしたら50億人分の食料があるわけです。 10%の人類が飢餓で苦しんでるのに、何を食べるかは絶対に個人の選択ではないですよ。10人家族で1人お腹空いてる。で、あるやり方をすればその人が食べられるのに、「いや、自分はこれを食べたいから、この1人の人は飢餓のままでいいです」なんて、そんなことおかしいじゃないですか。「人類みな兄弟」なんて嘘じゃないですか、それだったら。 しかも、肉食の場合効率が非常に悪い。例えばある家畜に、人間が1日に必要とされる2000キロカロリーを与えても、最終的に人間が食べる時、それは200キロカロリーにしかならないんですよ。 200キロカロリーは、豚バラ2、3枚くらい。だから、理論上としては、目の前に置かれた豚バラ2枚を我慢すれば、それこそアジアとかアフリカとかで飢餓で苦しんでいる子供の一人が今日という日をお腹いっぱい食べられるんですよ。だから我々は、たった200キロカロリーの肉を食べるために、その10倍のカロリーからなる大量の餌をあげてるわけです。 水。 水も大切にしようということなんですけれども、1キロの牛肉を作るのに、だいたい1万5000から2万リットルの水が必要なんですね。ほとんどは食べさせる餌、飼料に撒く水ですけどね。 牛肉1キロに2万リットルの水とか言われてもあまりピンとこないと思うんですけれども、具体的にどういうことかというと、例えばハンバーガー1個食べないとした場合、それで、一人の人が3年間毎日毎日飲める水の量を確保できる。3年間ですよ。 今、「水が無い、水が無い」と言ってる子供がいたとして、我々がハンバーガー1つを食べないだけで、その人に毎日2リットルとか2.5リットルの大量の水を3年間用意することができる。これ、ハンバーガー1個だけですよ。それを作るために、我々の3年分の飲料水を使っている。それだけ大量の水を使ってるわけです。 だからよく、SDGsの取り組みとかいうことで、水を無駄にしないようにしよう、シャワーをできるだけ使わないようにしようというけれども、ハンバーガー1個食べないとどれだけの水が節約できるかというと、25日分のシャワーですよ。25日分のシャワー。これは、シャワーの蛇口を3時間以上出しっぱなしにしてる量です。ハンバーガー1個のためにそれだけの水を使っている(試しに家にあるシャワーを3時間出しっぱなしにしてみたらいかがでしょうか。どれだけの水かがよく理解できるかと思います)。 人によっては、「ハンバーガーは食べません、牛丼なら食べます」というんでしたら、牛丼の肉の量をハンバーガーの半分ぐらいだと見た場合、誰かの1年半ぐらいの飲み水ですし、シャワーだったら2週間。ちゃんと身体を清潔に保つための水分量2週間分。それが牛丼1杯に使用している肉に必要な水の量。 だから、肉を食べながら、じゃあ地球のために少し水を節約しようとかいったって、そんなのはもう雀の涙です。 土地。 土地についても、結局みんなたくさん肉食べたいからね、この畜産の放牧のために世界中で使用している土地の量を全部合わせたら、アフリカ全土ですよ。アフリカ全土。 畜産の放牧のためにアフリカ全土を使ってるんですよ。祭典の前に計算したら、日本列島80個分でした。畜産の農地のために日本列島80個使ってる。あるいはアフリカ全土というのは、アメリカと中国とインドとヨーロッパ全部と日本。アフリカ大陸の中にこれが全部入ります。アメリカと中国とインドとヨーロッパ全部と日本、これがアフリカ大陸に納まってしまう。それだけの広大な土地を畜産のための放牧地として使っている。 当然餌を作る土地も必要ですね。その土地は今度はヨーロッパ全部ですよ。アフリカ全土で放牧されている家畜のためにヨーロッパ全部の土地を使って餌を作っている。 アマゾンの森林を伐採するのも8割、9割は畜産目的なんですよ。だから、土地を大切にしよう、自然を豊かにしようと言って肉食してるのもまったくの欺瞞、矛盾ですね。 CO2。 よく排気ガスがどうとかありますね。車は電気自動車がいいとか、水素カーがどうとか。でも、これも、畜産から、例えば牛のゲップとかいろんなそういうことで畜産業が出しているCO2というのは、世界中のすべての車と電車と船と飛行機、これらすべてが出しているCO2よりも、肉食関連で出ているCO2のほうが多いんですよ。 いや、すべての車ですよ。世界中のすべての車と、すべての電車、すべての船、すべての飛行機が出してるCO2よりも、肉食関係から出てるCO2のほうが大きい。 だから、肉食べながら、「電気自動車乗ってます」って、もう矛盾も矛盾なんですよ、本当に。だから、そういう人は本気ではないですね。CO2を本当に削減したい、水を本当に大切にしたいんだったら、肉食してるのは嘘ですね。 いや、こういう話が我々の耳に痛いみたいな話なんだけど、大変なことですよ、これは。なぜ大変かというと、明主様がミロクの世は菜食と仰せになってて、今、世界で、菜食にするとこれだけ人間にとっていいというデータを人々が出しているということが大変なことじゃないかなと思うわけですね。要は、明主様が仰せのことが世界中で見え始めていると、そういうことですね。 魚。 魚のこともありますね。 SDGsの取り組みの中でも、海の豊かさを守ろうというのがありまして、よく、亀の鼻かなんかにプラスチックのストローが刺さってとかいうことで、プラスチックのごみの中でもストローが良くない、だから紙のストローにしなきゃいけないみたいなことがあって、みんな必死になって紙のストローに変えましたよね。変えた。 でも、海のごみの総量でプラスチックのストローは何%を占めているのかというと、たった0.02%ですよ。0.02から0.03%。一方、海の中にあるごみのほぼ一番の原因は漁業なんですよ。漁業。 このごみについてどういう計算の仕方をするかというのはいろいろあるみたいですけれども、漁業の大型船から出るネットとかのごみ、これは、太平洋の一部では、そこのごみの7割、8割は漁業のごみなんですよ。 どういうごみかというと、結局魚いっぱい獲らなきゃいけないから、トロール船みたいのが大きな網みたいので根こそぎ獲るわけですね。根こそぎ獲る。 ちなみに今問題になってるのは、そうやって根こそぎ獲る時に巨大な網を使うから、当然大量の魚は獲れるんだけど、バイキャッチ(狙っていないのに一緒に捕まってしまう生き物)とか言って、その時に他の貴重なイルカとか、サメとか、人間が食べないみたいなものもいろいろ獲れちゃって、そういうのが死んでしまって、そういう種がどんどんどんどん減ってるということもあるみたいですよ。 こういう話を聞かれると、いや、日本人はそんな関係無いじゃないかとか、私は地物の魚しか食べません、だから日本人そんな関係無いじゃないかとか、日本人は太平洋とか世界の海で大型船でたくさん魚は獲ってないから関係無いじゃないかとか思うかもしれませんけれども、日本国民が消費している魚の半分は輸入なんですね。半分は輸入。 半分は、日本の近海とかで獲れたもので、要は自前ですね。残りの半分が輸入。 で、日本がどれくらいの量を輸入しているのかというと、世界の中で見たら、1位とか2位とか3位とか、その辺です。アメリカとか中国とかと並んで日本。 日本が魚を輸入している量は中国よりも多いぐらいなんですよ。いや、中国の人口は14億ですよ。日本の人口は1.2億。それなのに輸入量はほとんど同じ。ということは、一人頭中国の10倍ぐらい消費してるということですね。 アメリカだって人口は3億以上はいますから、一人頭アメリカ人の3倍近く日本人は食べている。だから、アメリカ、中国、日本の中では、一番そういう漁業を推進しているのが日本ですね。 回転寿司とかに行って、なんであれだけ値段が抑えられているかといったら、それは、小さな船で魚を獲りに行ってたらとうていそんな安い値段で寿司は出せませんから、だから、大型船で根こそぎ獲ったものを食べているわけです、基本。 というように、この日本人の生活様式になっている、回転寿司行きたい、お寿司おいしいというのを維持するために、日本人は、主に自分たちの手は汚さずに、他のそういうことをしている国にお金を払って、そして海の魚を根こそぎ獲ってるわけです。 ヨーロッパかなんかの結構権威ある雑誌によると、ある試算では、今のペースで魚を獲り続けていけば2048年にはもうほとんど海の魚は無くなるというデータもあるんですよ。 よくサステナブル・フィッシング(持続可能な漁業)とか言ってますけれども、あんなの、どういうふうに獲っているかなんてチェックしようがないですから。 あれは、要は、消費者に罪悪感無く買わせることのためにそういう認証を得ること自身がもう会社にとってはうまみですからね。だから、「サステナブル・フィッシング」そのものがもう商売の中に入っちゃってるし、そもそも、太平洋のど真ん中でチェックする術なんて無いじゃないですか。 だから、日本人は、一方で海の豊かさを守ろうとか言って、片一方では、「回転寿司行きたい」「ホテルのブッフェで魚食べたい」とか言いつつ、「ストローはだめだよね」とか言って、まったく矛盾してるんですよ。 日本の近海でも、僕は専門家ではないので正確には分からないけれども、結局魚をいっぱい獲ってることから、私の住んでる熱海も、昔は海藻がいっぱいあったみたいですけれども年々採れなくなってきて、それは、磯焼けというらしいですね。岩が禿げてむき出しみたいになっちゃって、海藻が無い。 だから、魚の獲り過ぎで海藻がどんどん無くなっちゃってるわけです。例えばウニは結構海藻をいっぱい食べるようなんですけれども、魚の獲り過ぎで海の生態系が壊れることで、ウニを食べる魚が減ってしまい、歯止めが利かなくなってどんどん海藻を食べちゃって、海藻が減っていっている。 いや、もし海から海藻が無くなったら、魚自体がほとんど存在しなくなりますよ。だって、海藻を食べる小魚をさらに大きな魚が食べて、、、という連鎖で海の自然が成り立ってるのに、海藻そのものが無くなったら、もう魚もいなくなっちゃいますよ。 神様が豊かな自然、すばらしい大自然を用意してくださったのに、人間は、結局自分の欲望を優先して、ま、人間というか、私も含めてですね、で、今はもう海は瀕死の状況ですね。だから、海の豊かさを守ろうとか言いながら魚を食べてるのも僕は偽善だと思いますね。 というように、菜食、ヴィーガン食ということを考えた時、病気とか心の問題だけではなくて、神様が用意された地球や人類の未来ということに対して及ぼす影響があまりに大き過ぎるんじゃないかなと思いますね。 ヴィーガン食を実践すれば、自分の身体も良くなる、心も良くなる、しかも、世界中の国が問題だとしている飢餓とか、海の豊かさとか、水問題とか、陸の問題とか、CO2がどうだとか、そういうことを解決するのにものすごい力を発揮するのに、そうはいかないですよね。なぜかといったら、だってみんな食べたいからね、肉食べたい。だから、この、「肉食べたい」というのは救いとは一切関係無い姿勢ですね。人とか、地球とか、周りのことよりも「自分が大事」ということなんでしょうね。 でも皆さん、皆さんの中のお一人が1日ヴィーガン食をするだけでどれだけの効果があるかというと、さっき言った水で言えば、1日ヴィーガン食をすることで、誰か一人が丸4年飲める水を確保できるんですよ。たった1日ヴィーガン食をするだけですよ。 しかも、一人の人が1日ヴィーガンするだけで、今日という日に40人の人がお腹いっぱい食べられる。40人ですよ。 で、もし、今日、ここにいらっしゃるのは約1000人と伺ってますけれども、この約1000人の方々が1日ヴィーガンをしたら、一人の人が何年間水を飲めるんだろうかというと、もう一人どころじゃないですよ。 今日ここにいる我々。この、なんか小さいホテルの部屋みたいなところにいる我々1000人。この1000人が今日1日ヴィーガンをしたら、一生を80年とした場合、50人以上の人が一生困らないだけの飲み水が確保できるんですよ。一生ですよ。 80年かける50だから、一人にしたら4000年ですね。ちょっと意味の無い計算をしてますけれどもね(一同笑声)、だって聖書時代の人しかそんな生きないから(一同笑声)。 今日ここにいる我々がたった1日ヴィーガンをするだけで、50人の人が、一生、80年間、毎日毎日困らない飲み水の量を確保できる。 いや、これはね、当然分配の問題とかはありますよ。政治的構造、経済的構造、社会的構造、その問題はありますよ、当然。 そのことも確かに問題なんだけど、そういうことは一旦置いておいて、計算上では、もしここにいる1000人の方が今日1日ヴィーガンをしたら、50人の方の一生分の飲み水の確保、しかも、プラス、今日という日に4万人の人がお腹いっぱい食べられる。4万人。 我々はお腹いっぱい食べていいんですよ(一同笑声)。我々は我慢しろ、今日1日断食しろと言われたらちょっとつらいですけれども、そうではなくて、我々は今日ヴィーガン食をお腹いっぱい食べていいんですよ。単純に我々が、肉、魚、卵、乳製品を食べないで、でもお腹いっぱい食べる、ということをするだけで、飢餓で苦しんでる4万人の人が今日お腹いっぱい食べられるんです。 しかもこの4万という計算は、穀物のようなものだけでお腹いっぱいになる場合の計算ですが、普通の食事は、他にもおかずとか野菜とかありますよね。そういう副菜があると想定して、主食だけの確保を目指すということでいえば、10万人分の主食を確保できてしまう。我々1000人が1日ヴィーガンをするだけで、今日という日に、10万人分の主食が確保できてしまう。 ついでに、ちょっと面白いからと思って、今日の祭典は福岡市なので福岡市の人口を調べたら、Googleで165万と出ました。 仮に、福岡市のほうで、一年のうち1日だけ福岡市民はヴィーガン食にしようとした場合、水についてはすごい量になることだけは想像できて、それは計算してこなかったんですけれども、もし福岡市が1日ヴィーガンデーを設けようといって、165万人の福岡市民が1日ヴィーガンしたら、今日飢餓で苦しんでる人たち7000万人が、今日という日にお腹いっぱい食べられる。7000万人ですよ。 さらに、副菜はあることを想定して、主食だけの確保ということでいけば、1.6億人ですよ。もし福岡市が1日ヴィーガンデーを設けて――まあ市がそういう法律を制定しても市民は実行しないでしょうけれどもね(一同笑声)――でも、もし本当に実行したら、日本国民全体どころか、日本国民でもお釣りが来るような1.6億人分の主食が確保できて、7000万人ぐらいの人はお腹いっぱい食べられる。 ヴィーガン食については、旦那さんがなかなかしたくないという、これ、私たちのよくぶつかるテーマですね。 で、僕はまず、この、「ヴィーガン食」という響きが問題なんじゃないかと。いや、問題無い人にとっては問題無いんですけれども、ヴィーガン食という言葉は、よく分からない横文字ばっかりで、まずウに点々(一同笑声)、それからすぐ小さいイが来て(一同笑声)、横棒を伸ばして(一同笑声)というこの見た目。この「ヴィーガン食」という言葉の見た目と音が、なんかこう未知なもの、変わったものと思われるご主人もいらっしゃるんじゃないのかなと思ったりします。 でも、肉を食べないという食というのは、本来日本人にとっては未知なものでもなんでもなくて、この日本というのは、ずっと昔、天武天皇の時、675年に「肉食禁止令」というのが発令されて、基本それから1200年くらいは肉食はしてなかったんですよ、日本という国は。 明治時代に入り、文明開化の時、それこそ明治天皇が「牛肉食べてます」ということをお示しになるまで、いやもちろんね、厳密なヴィーガンではないですけれども――よく隠れて猪食べたりしたとか、そういうのが今でもある種の肉を「ぼたん」とか「さくら」とか呼んだりしてますが、あれは肉食禁止令の名残ですよね――だけど、基本的には、人間のために働いている牛のような家畜を食べるのは良くないということで、ま、仏教の影響だったんでしょうけれどもね、不要な殺生を避けるということで、というように、日本人は肉食禁止令という令を出してた国なんですよ。天武天皇の時の675年から。 しかも、そういう風土から武士道は生まれたわけですね。侍も武士道も、そういう日本の精神というか生活の中から生まれたわけです。ということは、日本の大和魂を作ったのはご飯とみそ汁ですね。大和魂を作ったのはご飯とみそ汁。 で、もちろんね、明主様は武士道のことについてはお好きではない。よく分からない忠義心とか、忠義心のために無駄死にするとか、そういうのは非常にお嫌いだった。でも、真の武士道、真の大和魂というのはあると思いますね。 そもそも僕は、「強さ」ということを考える時、よく男性の方は、ヴィーガン食をすると弱いとか、肉食べてる男のほうが強いとかなるんですけれども、でも僕は、本当の強さとは、言うまでもなく、弱い立場の者を守ることができるのが強さだと思いますね。 だから、武士道において、無用な殺生を避けるということがありますが、それも、弱い者を守るということから来てるんだと思いますよ。 そして、最も弱い者を守れるのが最も強い者じゃないですか。最も弱い存在を守れるのが最も強い者。 そう考える時、次のことが最も弱いことの一つと言えるのかどうか知りませんけれども、豚。 みんな、豚食べたいとか豚の角煮がどうだとか言ってますよね。 その我々が食べている豚について話しますと、まずお母さん豚は、子供を何匹か産んでも、小さい小屋みたいなところだとお母さんの体重で子豚を押しつぶして殺しちゃう可能性があるから、まったく身動きできない柵の中に入れられるわけですね。 前も後ろも横もまったくスペース無い。ちょっと横になれるくらいのスペースしかない。一生ですよ。一生の間そういうところに入れられる。だってお母さんはたくさんの豚を産みだして我々は豚バラ食べなきゃいけないですもんね。 そのために人間はなにを考えたかというと、貴重な子豚が押し殺されちゃうと大変だからお母さんは動かさないようにしようということで、豚ちょうど1頭分ぐらいの柵の中に入れ込む。そうなると、本来豚というのは10年から15年は生きられるんだけど、その柵の中で子供産ませてまた妊娠させてまた産ませてというのを3年か4年続けると、だんだん弱ってきてもう子供もちゃんと産めなくなるから、じゃあそれはもう殺して、でもお母さん豚の肉質はちょっと悪いからこれは加工肉にしようということで、だからそれ、今我々はソーセージの肉とかに使ってる。 お母さん豚は、子供を自然の中で育てる喜びも無いし、柵の中で硬い石みたいなところで一生を終える。いやそうじゃないところもありますよ、環境がいいというところ。でも、基本的な大規模の状況ではこうなるわけですね。 で、もっとおいしいとされる子豚ちゃん。子豚ちゃんも本来は15年ぐらいは生きられるんだけど、どんどん餌をあげて6か月間育てたら、そのころが一番肉質がよく効率もいいということで、即屠殺場行きです。 子豚ちゃんは産まれたらどうなるかというと、基本的には狭い檻に入れられますし、お母さんからも早めに引き離されちゃいますので、すごいストレスがかかるわけですが、ここで何が発生するのかというと、あまりのストレスにお互いを食べ合っちゃうんですね。お互いを食べちゃう。 そうなると危ないから、産まれた直後何をするかというと、麻酔無しで歯を抜くというか切り取る。 しかも、豚ちゃんたちがお互い食べる場合どこを食べるのかというとしっぽを食べ合ってしまうので、しっぽを食べて傷になってそこに菌が入ると、また抗生物質とかやらなきゃいけないからとかそういうのが大変だから、もう産まれた時にしっぽも切るんですね、ピンッて切っちゃう。赤ちゃんの時。麻酔無しですよ、基本的に。 麻酔無しで歯を切って、しっぽを切って、で、男豚の場合はさらに、おちんちんが付いたままだと、それが育って殺しても、人間が食べる時のにおいがあまりおいしくないということもあるようで、これも、おちんちんについては麻酔無しで切断するわけです(痛みからそのままショック死する子豚もいる)。 しかも、普通はお母さんとは6か月ぐらいは一緒にいるみたいなんですけれども、もう3か月ぐらいで引き離すので、そのストレスから下痢したりして、そうするとそういう病気は抗生物質で止めますから、そういうことで豚には大量の薬も入ってる。 人間が豚を食べたいからということで、今、世界中で、このような仕打ちを豚という動物に対してしている。今この瞬間ですよ。 で、卵に至っては、卵用の鶏について、卵を産まない男鶏は皆様は鶏肉として食べてると思うかもしれませんけれども、卵を産む鶏は食べるのとは別の種類の鶏だから、この男鶏は人間は食べないんですね。 ということでどうなるかというと、卵を産む鶏が何千、何万と産まれた場合、その半分くらいは当然男の子ですよね。雄のひよこ。これ、瞬時に全部殺すんですよ。基本シュレッダーみたいのにかけて殺す。 これが今起きている現実ですね。 だから僕は、肉を食べていることが強さだと思いません。 いや、百歩譲って自分で直接手を下してるならまだ分かりますよ。ヴィーガン食がどうだとか言ってる男性の方が、自分で食べる豚を殺して、鶏も殺して、それで食べるというなら百歩譲って理解させていただけますけれども、それは全部誰かにさせて、しかも、むしろ屠殺の仕事に関わっている人を汚いぐらいに思ってますよ。汚れてるとか言っている。そう言いながら自分は肉を食べて、それで、「私は男らしい」「肉食べてないと男らしくない」とか言っている。 僕は、真の日本の大和魂というのは、弱い者を守る強さだと思いますね。 だから僕は、ヴィーガン食、という名前ではなくて、日本男児食とか、侍食とか(一同笑声)、そういう名前にしたらいいのかなと思ったりしますね。 「ヴィーガン食」という響きが非常に西洋的で、なんかよく分かんないサラダとかフルーツみたいなイメージになっちゃってますからね。でも、日本人は、ご飯とみそ汁ですよ。日本男児が食べるべきものはご飯とみそ汁です。 そんなね、西洋のものを食べて太っちゃったり、身体だけ大きくなるのではなくて、やはり日本人であればご飯とみそ汁を食べて、昔の日本人のように、研ぎ澄まされた精神と、研ぎ澄まされた心と、研ぎ澄まされた身体、これですね。鋼のような心と鋼のような身体、これを持つのが本当の日本男児だと思います。 奥様方、この線で旦那さんに攻めてください(一同笑声)。 でも僕、本当そう思いますね。日本男児たるもの、お米とおみそ汁ですね。それが最も男らしいと思います。 奥さんのほうも、ヴィーガン食じゃなくて大和撫子食でもいいんですよ(一同笑声)、今ちょっと思いついちゃいましたけれども(一同笑声)。 だから奥さんも、「ヴィーガン食だから難しい」とかではなくて、もうご飯とみそ汁、これですね。ご飯とみそ汁と、あと、この九州にはたくさんありますけれども、九州だけではなくて日本は全国的に海藻がいっぱいありますから、だから、豊かな海を守って、豊かな海藻を作って、それを食べさせていただく。 海藻を食べている魚を食べるのではなくて、無用な殺生をしない海藻からダイレクトに栄養を摂ればいいわけですからね。野菜とか海藻からダイレクトに栄養を摂ればいいわけですからね。 だからそういう本当の食であるご飯、みそ汁、海藻、これですね。ご飯、みそ汁、海藻、これです。 というこのヴィーガン食が、明主様がミロクの世に人類が食べているであろうと思われていた食であり、しかも先月の立春祭でも申し上げたように(「ヴィーガン食が世界を救う」2026年2月4日)、明主様は、メシアとして新しくお生まれになったあと、確かに一時は魚も鶏も食べられたんだけど、その食で体調が悪くなってしまい、結果、メシアとして新しくお生まれになった明主様のお身体に合ったのは菜食だったんですよ。ヴィーガン食。 だからそれが、僕は、イエス・キリストが最後の捧げものでありもはや動物の苦しみを伴う食事は必要が無い、ということと関連していると思いますね。 しかも聖書に、「もはやあり得ない」と書いてあるじゃないですか。「罪のためのささげ物は、もはやあり得ない」と書いてあるじゃないですか(「ヘブル人への手紙」第10章18節)。だから動物の苦しみはもう必要無いんです。 先月僕は、「明主様がメシアであるということを僕は世界中の人に言える」という話をしました。でも、本来我々はそこで止まるのではなくて、我々自身がメシアになろうとしてるわけですね。 菜食についても、新しくお生まれになった明主様だけのことだ、明主様は特殊なお方だから、だったらいいんですけれども、我々もイエス・キリストの再臨というメシアになりたいわけですから、明主様に倣うというなら、メシアとして新しくお生まれになった明主様のお身体に合った食を我々がしない手はないわけです。 メシア教のすごいところは、教祖だけがすごいと言っているのではないということ。教祖がすごいというのはどの宗教でも言ってますね。でも我々は、教祖がなったものになろうじゃないかということなんですよ。だから、メシアになろうじゃないかということですね。 で、これがね、いや、そんな突拍子もないことと思うかもしれないけれども、日本の仏教において、単純な数で言えばもちろん浄土宗系が多いですけれども、一番盛んなのは法華経系ですね、創価学会とか。法華経系が一番盛ん。 その法華経の教えはどういう教えかと言ったら、法華経の教えは簡単なんですよ。法華経の教えは「誰でも仏陀になれる」、これが教えです。だから、平等性を説いてるわけですね。誰でも仏陀になれる。 これ、なんか、明主様の聖言に寄せて僕がそう言っているのではなくて、ネットで法華経の特徴はなんですかとか調べたら、誰でも仏性を有してて、誰でも仏陀になれることが特徴ですと出てきますよ。 少し詳しく話すと、法華経の教えというのは、ずっと昔に完璧な存在がいて、地上においてもその完璧な存在と一つになれるんだというのが法華経の教えなんですよ。内容としてはほとんど一緒ですね、我々が主張していることと。 我々は、ずっと昔に神様の子供という魂を宿していただいてて、今地上でもそれと一つとなって、我々の場合は仏陀ではなくメシアになろうというわけですからね。 だから、法華経の宗教が日本でこんなに発展しているということは、やはり、誰か一人が特別なのではなくて、みんなすばらしい存在になれるんだというのは、本来日本人が潜在的に持ってる考え方なんじゃないのかなと思います。 明主様は、確かに法華経の宗教は発展すると仰せになった。創価学会発展しましたよね。でもさらに明主様がなんと仰せになったかというと、法華経の華は花ですから、花は散って、散花結実で実がなったのがメシア教なんだということ。完成させるということですね。仏教を完成させるのがメシア教ということですね。 法華経によって、「すべての人に仏性がある」ということで最初は広がる。それが花であるということですね。みんな受け入れやすいということで、花のように広がる。でも結局その花は散って、最初にできる小さな実が、ま、明主様は当時その実は観音であって、それが成長してメシアになるんだと仰せになった。だから、散花結実ですね。 ということは、我々メシア教というのは、明主様が仰せのように、仏教にとどめを刺す存在なんですよ。仏教の完成版がメシア教なんです。法華経の本当の神髄を説くのがメシア教。 法華経というか仏教は、真実の言葉を隠してるわけです。明主様流に言わせれば、仏教は夜の時代の宗教がゆえにすべての情報を出せない。だから仏教は「メシア」というワードが出せなかったんだけど、それを我々は出してるわけです。 メシア教というのは、世界中の仏教を完成させにきている宗教でもあるんですよ。 だから、まあ、仏教とメシア教は相容れないことは相容れないけれども、だけど、我々のしようとしていることが法華経系のしようとしていたこととまったく違うかと言ったらそんなことないんですよ。だって明主様は日蓮のこと非常に買っておられましたよね。 明主様といえば夜昼転換ですが、その夜昼転換も、まず日蓮が出て、それで私が出たんだという明主様の受けとめですよね(「東方の光」1952年11月12日)。 でも、法華経系はもう十分広がったんじゃないですか。創価学会はもう十分広がったんじゃないですか。で、その花が散って、今度はメシア教の出番じゃないんですか。 今日は豊穣祈願祭ということで、ご神前に種をお供えしていますが(真明様、お供えの種を指し示される)、これ、今朝確認しましたら去年とか一昨年より3倍くらい多かったです。去年とか一昨年は200いくつぐらいの種で、今年は700。だから3倍ですね。お捧げくださった方、ありがとうございます。 本当に農業は大事ですよね。自然農法、大事ですよね。 たまに見聞きするのが、昔の土壌はすごいミネラル豊かだったのに、今は農薬をいっぱい使っちゃってるから、昔のほうれん草1個分の栄養は、今のほうれん草だと6個も7個も食べないと同じ栄養を摂れないとか、あるいはりんごも、鉄分が、昔の土壌は豊かだったのが、今は農薬たくさん使っていて、そうすると作物のミネラルの吸収を阻害してしまうということで、同じ鉄分を摂るのにりんごを10個も20個も食べないと昔のりんご1個分の鉄分が摂れないとかありまして、だから本当に農薬というのが与えている負の影響はすごいですよね。 自然農法は、今までも一生懸命してきましたよね。してきた。だけど僕は、自然農法は、やはり、「ミロクの世は菜食」というヴィーガン食と合わさらないと意味無いと思いますね。つまりキリスト農法に昇華しなきゃいけない。昇華。 キリスト農法ということは、イエス・キリストが最後の捧げものであってもはや動物の苦しみは必要が無いということだから、当然鶏糞とかは使わないし、プラス、「キリスト農法をしている」と言うためには、そのような農法を実施している農家さんもヴィーガン食を実践していないといけないと思います。 我々はずっと自然農法もしてきたし、浄霊もしてきた。でも結局肉食もしてましたからどんどん病気になってたじゃないですか。 だから自然農法というのは、「ミロクの世は菜食」ということと合わさらないと本当の力を出さないと思いますね。 どんなに自然農法のものを食べていても、肉とか卵とか食べてたら意味無いですよ。いや、だって、明主様が自然農法をされたのは究極的には病を無くすためでしょ? それが目的だったんですから、自然農法のものを食べて肉を食べるぐらいなら、農薬まみれのものを食べるけど肉は食べないほうがきっと病気にはならないと思いますよ(一同笑声)。いや本当。 だから、その最後の一山を越えないとだめなんですよ。ただ自然農法でとどまっていてはいけない。だって世の中でもしてますよね、そういう農法は。みんな一生懸命広めようとしてるじゃないですか。もちろん自然農法産の野菜や穀物は身体にはいいと思いますよ。でも、そういうものを食べながら、同時に、肉食だ、卵だ、チーズだとしてたら全然意味無いですね。 だから、ヴィーガンというか、そもそも日本人は昔から、先ほど言いましたように肉食をあまりしてなくて、もちろん貝とか魚とかは食べてましたけれども、基本的に四つ足の動物は食べてなかったわけで、今の「ヴィーガン」という意識とは違うけれども、ヴィーガン寄りの食事をしてたのは間違いない。それを今さらなにか西洋のほうから来たヴィーガンという言葉を使うこと自体癪にさわる感じもありますけれども(一同笑声)、とにかく、日本人が本来してたご飯とみそ汁という食事と、そしてこの自然農法が合わさった時、すごい力を発揮するんじゃないかなと私は思っています。 今日も基本的にずっと食の話をしてきましたけれども、日本人が食の話をします時、だいたい健康のことになるんですよね。皆さん「四毒」とかご存じですか?四毒とかいって今なんか流行ってますけれども、それは、小麦粉と植物油と乳製品と甘いもの、これを食べないのが身体にいいということとか、あるいはマクロビというのもありますね。 でも結局、それを実践するとかいうと、だいたい日本人の考え方というのは健康のためになるんですよ。食というのは基本健康のことになってしまう。 ま、それはそれでいいんだけど、西洋に目を向けるとどういう理由でヴィーガン食をしているかというと、健康はそんなにないんですよ。基本的にはもっと大きな理念を持ってるわけです。例えば環境問題。これが問題だ、地球の未来を考えなきゃいけない、だからヴィーガンなんだとか、あるいは動物倫理、これを考えなきゃいけないとか、そういう大きな理念があって、で、その上で食のことをするんですね。健康のことはどちらかというと二の次ですね。 でも日本人というのは、ある意味で言えば結局アメリカの傘に守られて、そういう大きい理念のことについては俺たち(西洋)がやるんだ、世界が進む方向性は俺たちが決める、だから日本人はおとなしくして、なんかこの島国にいて、黙って健康くらいに気を付けていればいい、というような大きな枠組みの中でのことでもあると思いますよ。要は、日本は世界のことに口出しできないということですね。ま、戦争負けちゃいましたからね。 当然アメリカとしては、当時、アメリカから見たらアメリカに反逆した日本なんかには静かにしててほしいわけですから、だから我々日本人が、食べ物のことを聞いても、すぐそれを「健康、健康、健康のため」とか言ってるのも、もしかしたらまだ植民地根性が抜けてないからかもしれませんよ。 でも、極端な話、ま、今日しているお話を全部台無しにしちゃうみたいですけども、僕は、健康というより、やはりメシア教の打ち出す菜食というのは、イギリスの人とかヨーロッパの人とかが言ってる環境問題でもない、動物愛護でもなくて、信仰に根ざした大理念があっての食であるべきだと思うわけです。 そしてそれは、イエス・キリストが最後の捧げものであるがゆえにもはや動物の苦しみは必要無い、だから人類はもう動物とかそういうのを食べる必要が無いという理念ですね。この理念に裏打ちされたヴィーガン、これを私は「クリスチャンヴィーガン」と呼んでいるのであって、これが僕は真の大和魂であってほしいですね。 クリスチャンヴィーガン。なんか横文字ばっかりですけれども、そもそもイエスは中東だから西洋とは関係無いですよね。だけど今の世の中西洋の影響が大きくて、、、いや、私自身もスーツ着ながらこうやって西洋の批判をしてますけれども(一同笑声)、それは一旦横に置いておこう(一同笑声)。置いとく。 日本人は、食というとだいたい健康のところで止まっちゃう。でも我々は健康で終わるのではなくて、一大理念のもとにあるヴィーガンであるべきだと、そう思います。 クリスチャンヴィーガンの話は、我々としては、「わーすごい」ということになるんだけど、世との接点ということを考えた時、例えば今日お話ししたSDGsのことに関しても、SDGsを達成するためにヴィーガンだということでやってる人はほとんどいないですよね。 でも、今日私がした話からすれば、世界のいろんな問題にとってヴィーガンがもう一番の解決策ですよね。 だって人類、そしてこの地球というのは、国連でSDGsというのを採択しなきゃいけないくらい進んでる方向がおかしいとなっているわけですから、それらを解決するのはどう考えてもヴィーガンのインパクトが大きいけれども、なぜ誰もヴィーガンをやろうと言わないかといったら、それは、みんな肉食べたいからですよね。肉、チーズ、明太子(一同笑声)、豚骨ラーメン(一同笑声)、もつ鍋(一同笑声)。 だから我々にとってクリスチャンヴィーガンというのは、いわば弱点ですよね。みんな肉食べたいだろうから言ってもなかなか受け入れてもらえないんじゃないかということを思いますので、ヴィーガンは我々の弱点。 でね、僕はね、ここで私たちには二つの選択肢があると思うんですね。明主様から問われている選択肢が二つある。 それは、世の中の人に刺激を与えずにいく道か、あるいはその弱点をさらけ出す道か、そのどちらかですね。 しかも我々は、この日本であれば宗教であることがすでに弱点だったのに、宗教とほとんど同列と思われるヴィーガンという弱点も訴えだすようになってしまって、皆様としては、「いや真明さんなんでですか」ということを言われたいのではないかなと思います。 我々は、宗教であることを受け入れてもらうことだけでも大変だったのに、それと同じか、場合によってはもっと大変と思われる、「肉食うな(一同笑声)」というメッセージも出そうとしている。肉食うな、明太子食うな(一同笑声)、豚骨ラーメン食うな、もつ鍋食うなというメッセージが出てきちゃってるんですよね、今。だから今、我々困ってますよね、困ってる(一同笑声)。 でも、ひとたびヴィーガンを隠したら、もうずっとそれでいっちゃいますね。しかも我々、隠すのはもうやりましたよ。隠す方法はもう宗教でやった。やりましたよね。「MOA美術館どうですか」とか言って、やったじゃないですか。 自然農法でも、なんか、無農薬の野菜いいですよという宗教を隠す方法でやり尽くしたじゃないですか。もうやり尽くしましたよ、その方法で。 で、結局どこにもいかなかったじゃないですか。いや、どこにもいかなかったという言い方はちょっと語弊があるかもしれないけれども、最終的に神様は全人類に神様を信じてほしいと願っているのに、それを我々は先延ばし、先延ばし、先延ばしにしてたわけですよね。意味無いじゃないですか。弱点だから先延ばしにしようとしてたわけですよね。 というように、ひとたび弱点を先延ばしにしたら、もうずっとそれでいきますよ。だったら、むしろ宗教であり、ヴィーガンであることをど真正面に据えるべきだと思うんですね。 それを訴えることで周りの人から嫌われちゃうとかありますよね。それはある。だけど、例えば今日の豚の話とか、肉食のせいで失っている水とか食べ物の話は事実なんですよ。事実なのに、みんな肉を食べたいがためにそれから目を背けてるわけでしょ。 でも、世の人に訴えていこうという時に、ただ、「ヴィーガンしましょう」というより、今日お話ししたようなことを、「こういうこともあるんですよ」ということで示せれば、その時は拒否をしても、もしかしたらあとで考えるかもしれないですよ。 だって、まあ、実際世の中の人たちがどれだけ本気で取り組んでいるかは分からないけれども、少なくとも、SDGsみたいなことを言って、少しでも良い世の中にと人類が思っていること自体大変なことですよね。曲がりなりにも人類をより良い方向に持っていこうということを人類は思っているわけですからね。 だから、そういう心が人類の中に宿り始めてきているなら、今日私がお話ししたようなことをお伝えしたら、もしかしてその人が、「自分でもなんかさせていただけるかもしれない」と思って、それこそ菜食をしてみようとか、そういうことで、結果、本当にこの世の中の不平等が取れて、餓死している人たちが無くなって、自然もきれいになって、人類が幸せな世界になったら、それが明主様が願っておられたことじゃないんですか。 明主様は、ミロクの世は菜食ということをはっきり示されてるじゃないですか。だからこの流れはどんどんいきますよ。 今日お話ししたようなデータがあるのに、これ、100年、200年も今の状況のままではいかないですよ。世の中もどんどん変わっていきますよ、ヴィーガンのほうに。というように世の中が変わってからでは遅いじゃないですか。二番煎じみたいでかっこ悪いじゃないですか。やはりメシア教が先頭切ってやったほうがいいんじゃないんですか? 「ヴィーガンだとこうなります」「飢餓の人これだけ救えます」「水これだけセーブできます」「穀物もこれだけ貧しい子供のところに行くんです」「CO2もこんなに出しません」と、我々全員で訴えたらそれはすごい力ですよ。 だからここで最初の話に戻りますが、これは、もし自分が「被りたい」だと難しいですよ。肉食べたい、これも食べたい、これが難しい、あれが難しい、という姿勢なら意味無いですね。ということは、救いのために生きるか生きないかを決めなきゃいけないということです。だって明主様は立たれたんですよ、救いのために。 (真明様、栞をご覧になりながら)明主様の御歌、「村肝の吾が心に鞭うちて力限りに此世救はむ」。 明主様は、ご自分の心に鞭を打っておられたんですよ。 いやこれね、皆様単純に「いい御歌だな」と思うかもしれませんけれども、明主様がご自分の心に鞭を打たれていたということは、いわゆる人間的な弱さを明主様もお持ちだったわけです。 ご自分の人間的な欲、ご自分の都合、これがしたい、あれがしたいというのはあられた。だけど明主様は世の中の救いのためにご自分の心に鞭を打たれてたんです。 ということは、「なかなか踏み出せないな」というような皆様がお持ちの葛藤を明主様もお持ちだったということです。だけどそれを明主様に乗り越えさせたものはなんだったのかといったら、救いのお気持ちですよね。 病人を見て、「なんとか治してあげたい」というそういう世の中の救いのために明主様は立たれた。そのためにご自分の心に鞭を打たれて世の中のために歩まれた。生涯を捧げられた。 今主神は私たちにこのクリスチャンヴィーガンという一大理念を授けてくださってるわけです。そしてこれが、一見ただ食のことみたいなんだけど、メシアとして新しく生まれるということにも通じてるし、キリスト教の完成版ということや、仏教にとどめを刺すということにも通じていますので、もうすべてですよ。 というように、今現界で生きる我々にこのクリスチャンヴィーガンというのが来てる。だから、実際に心に鞭を打たれなくてもいいけれども、やはり地球に来てるということは、本来、地球を救いに来させられているわけですから、それについて、当然心の問題のことはありますよね。心の問題。湧いてくる思いについて神様にお捧げする、この問題はありますよね。これも地球を救いに来ている御用ですね。 でも同時に、今地球が抱えているいろんな問題についてクリスチャンヴィーガンで救うという手もあるわけです。この二つ。心の営みと日々の食事を通した生き方。 だから日本人の皆様にとってはもう逃げ道は無いんですよ。このクリスチャンヴィーガンというのは、女性の方にとっても男性の方にとっても、それが本来の日本人としての生き方であり、そして世界中の人が受け入れるべきことなんですね。 僕は先月の立春祭の時いろんな科学的な話をしまして、それについて、科学的な話でどうだというような感想もございましたが、そもそも明主様もたくさんされましたよ、科学的な話。宇宙線とか中間子とかパスツールの細菌がどうだとか、もういっぱい話されています。それは、世の中の病気を治したいという救いのためにいろいろ研究されてたわけですよね。 だから我々は、自分がどう生きていきたいかですね。 今日私がお話ししたことはこの世的なことが強調されたお話ではあったけれども、でも、もしかしたらそういうことを聞いて、自分の都合はあとにしてなんとか地球のために、というふうに思われる方もいるかもしれない。 我々は、自分の都合とかそういうのをあとにして、この世界人類を救うということが託されてるんです。 それは、以前にも言いましたが、男性の方も作りますが、主に女性の方が日々作るもので人類の未来が決まっちゃうんですよ。 今、時が来た。散花結実。すべての真理が一つに集約される時、ですね。 キリスト教も行き詰まってる。ま、キリスト教の人は自分たちが行き詰まってるとは思ってないでしょうけれども、キリスト教も行き詰まってるんですよ。だってイエス・キリストがいつ来るかな、いつ来るかなということでずっと待ってるわけですから。当然仏教も行き詰まってる。地球も行き詰まってる。 でも、すべての宗教を救って、この地球をすばらしい場所にするというのが地上天国であり、その地上天国建設が明主様の願いなんであって、皆様はその信徒なんでしょ。 だから私たち全員で共に手を携えて、「クリスチャンヴィーガン」をご神業の一番正面に持ってくる。 自分がいいことをしようと思う人はもうやめたほうがいいですね。自分がいい思いになりたい人はもうやめたほうがいいですね。やめたほうがいいです。 だって明主様はあんなにご努力になって、先達の方も救いのためにあんなにご努力になって、それなのに、人のことよりも自分が被りたい、自分が救われたい、自分が良くなりたいんだったらもうやめたほうがいいですね。メシア教は人を救う宗団なんですから。人を救って、地球を救って、人類に救いをもたらすのが私たちなんですから。 だから、被るためだったらもうやめたほうがいいですね。それが目的なら他にいろんな宗教あると思いますよ。ご利益とか、パワースポットとか、神社とか、そういうところにお参りしてたほうがいいですね。 我々にはなにもないんですよ。別に大企業がスポンサーでもなければ、むしろ、宗教だということで馬鹿にされてるくらいですよ。でも私たちが世を救う真理を託されている。それが皆様一人ひとりに今託されてるんです。 心のことについても教主様がずっと教えてくださったじゃないですか。だからそれをお伝えできることもありますよね。で、今、プラス菜食のこともあるじゃないですか。それもお伝えできるかもしれませんよ。 だから、もう、救いの時が来た。 今は、ヴィーガンを受け入れるとか受け入れないとかの段階をもうとうに通り越して、このクリスチャンヴィーガンを通してどうやって世の中を救えるかに悩んだほうがいいですね。今にもなってまだヴィーガンができるかできないかで悩んでる場合じゃないですね、もし救いが目的ならですよ。 もし自分が救いを被りたいことが目的ならまあもう明主様とは関係が無いんですけれども、でも、メシア教の信徒であれば、明主様の信徒であれば、世を救うのが使命ですからね。 今日ここに集った全世界の信徒の代表の方々は、今日私が話したこの救いの使命を受けてくださったと私は思っています。 人類の未来は明るいんですよ。人類の未来は明るい。なぜならこんなに(真明様、参拝席の信徒全体を示される)いるじゃないですか。皆さんいらっしゃるからですよ。僕一人だったら大変ですよね。僕一人しかいなかったら駅とかで拡声器でやってるやつ(一同笑声)でしてるかもしれないけれども、皆さんこんなにいらっしゃるんですから、だから人類の未来は明るいんですよ。皆さんがいらっしゃるから人類の未来は明るい。 もうメシアは降ったんです。ハレルヤ・コーラス歌ったじゃないですか。もう降ったんです。イエスはもう降った。だとして、なんで子羊の捧げものとしてイエスが自分を捧げたのにまだ我々は動物を食べる必要があるんですか。 我々は、皆様と共に神様から武器を託されてるんです。世界を救う武器を託された。これは神の武器ですよ。聖なる武器。これを託されてるんです。それはなにかといったら、心のお掃除のことと、クリスチャンヴィーガン。 確かに世の中には戦争とかいろいろあるけれども、そういう世の中を我々の光でどんどんきれいにして、下手したらもう我々が生きている間、あるいは我々の次の世代、あるいはその次の世代くらいで、いやこれは本当にすごい世界だと、それくらいの世界にしようじゃないですか、我々で。それ、今日から始められるんですよ。 だから、人類の未来は明るい。これからもういいことしかないんです。しかもこれは、言葉のあやとかではなくて、本当にいいことしかないという人類の未来に向かって、我々の今までの歩みは、神様も隠して、イエス・キリストも受け入れずに、明主様のみ心もよく分からないまま来てしまったわけですから、それをもうスパッとやめて、人類の明るい未来のために、そして明主様が願われた地上天国建設のために、我々一つになって歩む時が来た。 仏教ももう終わりですよ、今日で終わり。もう花が散って、メシア教に全部吸収されるんです。 というそういう大いなる確信ですね。明るい未来への確信。これを持って皆様と共に歩んでまいりたいと思います。 ありがとうございました。