五月度月次祭が2024年5月1日、世界メシア教本部において執り行われた。全人類の食につき菜食というゴールをお示しくださっていた明主様の後塵を拝すこと、どれほどであろうか。食に限ったことではない。真の浄霊についてもしかり。「信仰」の二文字が空疎に響くほど人力のみを頼みとし、明主様のご神業を全方位にわたって停滞させてきた姿。いつのまにか世に追い越されていた姿。そのことに気づいてなかった己の姿。真明様によって照らし出された自分の姿を思い、記者は申し訳なさと悔しさを覚えずにはいられない。だが切り捨てられたわけではない。挽回の余地は残されている。遅れを取り戻すのに急激な変化は避けられない。それに伴う不安や不平も避けられない。それでも、明主様のみ心に適うことが許されるなら、信徒としてこれほどの幸いはない。このお道に結ばれた自分は、世の人よりもましな存在。そうやって自分を安心させようとする姿を、正面から見据え受け止める強さは、変化を拒みよどんでいては許されない。人と比べて落ち込もうと優越感に浸ろうと、肝心なのはどんな姿もお捧げし、力強く神様のみもとに帰っていくことなのだと、活を入れていただいた思いである。我々は、真明様に倣うことで明主様に倣うことを許されている。倣えば、混沌の世を照らす灯台としてお使いいただける。メシア教聖徒たる者、わずかなりとも真明様のまねをさせていただこうではないか。