初代教主ご命日祭 2024年2月10日二代様御歌題「教祖」として詠まれた御歌7首(『真珠玉』より)賤が家にうぶ声高く生れませる教祖はわれらのいのちなりけり赤貧の家に育ちし教祖なれど白梅の気品そなへいましき老の身のつかれもしらに世のためよ人のためよと生きたまひけり老の身も忘れてひたすら地の上に天国造るといそしみ給へり朝にけに身の行ひを省みて教祖を亀鑑に生きむとぞ思ふ大いなる教祖の導きなかりせば常夜のやみに迷ひたりけむ七転び八起の教祖にならひつつ地上天国建てむとぞおもふ二代様聖言抜粋「ご昇天後」 明主様は御昇天になられたから、どこかへ行ってしまったのであるかというとそうではなく、ちゃんとここにおられるのであって、…「教主の座」ここについておられるのです。明主様は私にちゃんとかかって皆様を育成なされておられるのであります。「御講話」昭和31年9月 御昇天後の現在、明主様のお身魂は、私の背後にいつも引そうておられるのでありまして、私の言う事が即ち明主様の申される事であり、私の示す方向が、明主様の御指示遊ばす方向で、それをどうしても聞かれぬお方は、明主様が已むを得ずお綱を切られる訳で、自然に本教団から去ってゆかれる運命にありますが、そういう事のなきよう切に祈っておる次第であります。「本筋活動に入る」昭和31年7月1日 教主とは文字通り「教えの主」であって、明主様もご在世中は教祖であられると同時に、教主でもあられたわけであります。原典の解釈、集成、統一、敷衍等、教化の最高指導責任者は、その時代々々の教主であります。言わばこれは惟神の職権であって、明主様ご昇天後は霊界から現在の、救世教教主を通じ御念願の地上天国建設を御推進遊ばされるのでありまして、その御心は私の胸に映り、教化上の大綱は私を通して指示されるのであります。この故に本教信徒として御教書研鑽に従事する場合、どこまでも教主教権の下にあって研鑽させられていることを悟了されたいのであります。 御教えは誠に限りない深さと広さを持っておりますから、各人各様の智慧正覚の程度に応じて、或いは深く、或いは浅く、幾通りにも解釈出来るのでありますから、それらを教主教権の下に集め、統一ある本部指導が打ち出されなければ、解釈がまちまちとなり、ついに分裂を来す恐れもなしとは言えません。昭和34年8月 明主様は自分に光の玉があると言われました。これは皆様も御存知でその通りなのです。しかしその光の玉はあると言われただけで、自分で作って自分が入れたとは仰言いませんでした。その光の玉の光線はやはり真神様にあって明主様のところへどんどん流れて来たのです。そして明主様が使われれば使われるだけ補給されて無限に出て来たのです。勿論明主様御昇天後はこの玉を私が頂き、御神体、お守様、御浄霊すべてこの玉を通して配らして頂いているのです。又三代四代と代が変りましても、本教の教主の座にこの玉は授けられるのです。だから少しも威勢は落ちません。これは当り前のことです。「御講話」昭和35年5月17日